偽り

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   *  そんな調子で始まった、千都香の仕事復帰だったが。  小さなぶつかり合いとすり合わせは時々有るものの、(おおむ)ね順調に進んで居た。  千都香が漆に関わるのは、スクールで生徒に呼ばれて千都香の手に負える範囲の簡単な事を聞かれた時、壮介宅で自分の金継ぎをする時、壮介の仕事の見学をする時の三つ位だ。その際は、最初に壮介に見せた通り、厳重に服装を整えている。  スクールではその限りではないが、壮介の所で漆を扱う際は、手袋を二重にはめていたりする。休みに入る前と同様、千都香が来ると強制ランチタイムが入るからだ。ランチタイムの際は、手袋を一枚脱ぐ。また漆を扱う時に、新しい二枚目をはめるのだ。  千都香は、家で台所仕事をしていた時も、手袋をした事は無かったと言う。 「はめても煩わしくて外しちゃってたんですけど、慣れると手袋越しでもなんとなく分かる様になるもんですねー?……洗い物だと、べたべたしてるとかぬるぬるしてるとかつるつるしてるとか何かこびりついてるとか、金継ぎなら柔らかさとか固さとか凹みとか盛り上がりとか」  そう言って食器を洗う千都香は、何故か楽しそうだった。何かしら楽しい事を探さないと、やっていられなかったのかもしれない。  洗い物はともかく、二重の手袋ではへらを持って錆漆を盛るのも、筆を持って漆の細い線を引くのも、さぞもどかしい事だろう。  だが、千都香が、それを選んだのだ。  「試してください」と、千都香は言った。  それなら、同情するのではなく、きちんと試してやらねばならない。そして、無理だと判断した時には、きっぱり引導を渡さなくては。  それが、千都香をこの道に引きずり込んだ、自分の責任だ。  ともすれば以前と何も変わらない様な気がしてしまいそうな賑やかで明るい日々の中で、壮介は、時折自分にそう言い聞かせた。  
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