偽り

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  * 「……止めだ、止め」  壮介は、手を止めて伸びをした。  細かい作業で目を使うことが多い金継ぎは、夜は作業がし(にく)い。その上、今やっているのは夜にやるには難しい、割れを継いだ細い線の部分に漆を乗せていく作業だ。無理にやって失敗しては、元も子もない。  それ以上の無理はせず終わる事にして、道具を片付ける。片付け終えて台所に向かうと、冷蔵庫からビールを出した。  時計を見ると、まだ九時前だ。思ったより、時間が経っていない。普通なら時間は無視して飲んで寝てしまうところだが、そうも行かない。  今日は、千都香と毅が二人で食事に行っているのだ。  毅が千都香に一目惚れしたと騒いでいたのは、教室を始めた頃だった。毅とは長い付き合いだが、真面目で固い融通の効かない男である。一目惚れなどとふわふわした事を言い出すとは、思っても居なかった。人は見掛けによらないものだ、と思った記憶がある。  その後、千都香のバイト先のビヤホールに通い始めた時は、唖然とした。毅は、酒が強くない。ビール一杯飲めるか飲めないかだ。壮介の基準で言わせれば、立派な下戸だ。  そんな大して飲めもしない下戸の癖にビヤホールに通うのだから、相当イカれているらしい。  しかも、それだけ通い詰めているというのに、二人きりで出掛けた事は無い。……無い筈だ、壮介の知る限りでは。  何をぐずぐずしているのだろうと呆れながらも、静観していた。余計な事を言って、また千都香に「パワハラです!」とか「セクハラです!」とか「弟子ハラです!」と言われても困る。  そんな毅からビール掛け事件の翌日、千都香のことで相談がある、と勢い込んで電話が有った。  何事か、と身構えたものの。 「ビールをかけてしまったお詫びに、千都香さんを食事に誘いたいんだが」  ……「食事」か。その程度か。壮介は受話器を握り締めたまま、脱力した。 「なんでんな事俺に言うんだ」 「いや……師匠に許可を取ったほうが良いかなと」 「師匠じゃねえ」  千都香は壮介を師匠と言っているが、壮介にとっての千都香は、弟子ではない。  弟子は取らないと決めているからだ。  
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