168人が本棚に入れています
本棚に追加
「本当だな。……なら、良かった。」
「あん?」
二缶目のビールを取り出して開けようとしていた壮介は、プルタブを引き起こし損ねて眉を顰めた。
「折を見て、千都香さんに交際を申し込みたいと思っている」
「そうか」
壮介は缶に口を付けたまま一度止まって、毅に短く相槌を返した。
そうか、と言いながら、今聞いた事を、頭の中でリピートする。ようやく腑に落ちて、もう一度仕切り直して飲もうとした時。
「もちろん、結婚を前提として、だ」
耳から入った思いも寄らぬ一言のせいで、壮介は珍しくビールで咽せた。
*
先日の電話でのやり取りを思い出し、壮介はイライラとビールを飲んだ。今日は、ちゃんと焼き締めのカップに注いでいる。
毅の誘いを伝えた千都香は、案の定乗り気では無かった。
毅と──顔見知り程度の男と二人きりというのと、誘われた店が敷居の高そうな店だというのが、気の進まない理由の様だった。
誘われたのなら、やったー奢りだラッキー、くらいのノリで行けば良いと思うのだが、千都香は、そういうのは嫌らしい。行くのなら自分の食事代は自分で出すのが当たり前だと思っている。
誰にでも効きそうな「奢りだぞ」という台詞が、全く逆効果になる女。面倒臭い事この上無い。
「そこの和食屋は、岩の食器使ってるぞ。勉強の為に、行ってみろ」
躊躇する千都香に軽くそう言ったのは、わざとだ。
奢りに興味を示さない千都香は、「勉強になる」とか「修行のため」とか言う言葉に殊の外弱い。それを狙ったら、面白い様に落ちた。
考えてみれば、真摯で向上心の有る、良い生徒だ。
もしも千都香が男で、漆に強い体質だったら。弟子ではなくて、一緒に仕事をしていく立場で働いて貰う道も、有ったかもしれない。
壮介は苦笑して、新しいビールを取りに立ち上がった。千都香は女で、酷い漆アレルギーだ。どちらの条件も満たしていない以上、一緒に働く未来など無い。
新しい缶を開けて注ぎながら、時計を見た。
そろそろ良い時間だ。
「ちゃんと家まで送ったら、連絡するから」
必要無い、と断ったものの、毅の事だ。連絡は絶対にして来るだろう。連絡が来るまでは、嫌でも起きていなくてはならない。
所在なく二缶目を飲み干した所で、携帯が震えた。
最初のコメントを投稿しよう!