第九章

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「小野寺」  深みのある声で呼びかけられ、顔を向け直そうとした直後に、気付いたら僕は体勢を崩していた。 「わ」  肩の一部を押されたせいで呆気なく後ろに倒れそうになる。思わず転ぶかと体を強張らせたものの、背中に回った手と背後にあった木の幹が支えてくれた。 「い、委員長…?」 「……。」  不審者装備越しの視界の中で、微かに細められた眼がごく近距離から僕を観察している。  顔の方へ伸ばされた指先が、まるで猫でも撫でるように顎の下を(くすぐ)る。僕はひくりと肩を動かした。 「あの、っ、ちょっと」  声に笑いが滲んだ。  急にどうしたんだろう、委員長。動物に飢えてるのかな。朝風紀室で会った時といい、何だか気まぐれなご様子です。  不思議モードの彼が面白いので、抵抗もせずされるがままになってみる。 「…春先と比べ、随分変わったな」 「へ?」  変わった…?僕が?  自分のことながら何の話やら分からず、彼の目を見つめ返した。 「夏季休暇の間に何かあったか」  その声が。  思いのほか真剣みを帯びていたので、一瞬だけ固まる。  あったと言えば、あった。留学中に起きた色々な出来事、ことにパーティーで昔の担任と会い…この人に助けられた日のこと、劇を上演した日のことが脳裏を過る。 「何か、というと…?特に変わったことは無かったように思います」  けれど、それらをこの人に伝えることを僕は咄嗟に拒んだ。 「…心当たりが無いならいい」  アイスブルーの瞳の色が、ふっと薄まる。 「おーい!副委員長ー、ちょっといい?」 「はい、今行きます!」  土手の下の方から声が飛んできて、それきり会話は途絶える。  何か言わなければ。しかし僕が口を開きかけては閉じている間に委員長は離れ、こちらの背中を押してきた。 「早く行ってやれ。最後まで気は抜くなよ」 「……お任せください」 …何だろう、なんで選択を間違えた気がするんだ。  僕は内心でもやりと落ち着かない気分が広がるのを感じながらも、夏祭りの準備に戻るのだった。 「搬入中に転倒事故があったらしくてな」 「怪我人は?」 「幸い出ていないぞ。ただ機材の方が―――」  ここのところ委員長がいない間あれこれ相談に乗ってもらっていた柿内(かきうち)先輩からの報告に、僕はふむと口元へ指先を当てた。 「分かりました、こちらで対応しましょう。ただ進行に関わるので生徒会とも連携した方がいいですね。連絡はされましたか?」 「既にいっているはずだ」 「放送委員や総務委員にも協力を…でも、指示系統が2つのままというのもうまくないか。ちょっと瓜生君たちと話してこようと思います。こちらはお任せしてよろしいでしょうか?」 「ああ、もちろん」 「ありがとうございます」  ぺこりと柿内先輩に頭を下げれば、幾分微笑ましそうな視線が返ってきた。柿内先輩を相手にすると、トラブル対応に追われる最中でも授業参観か何かをされてるような気分になって困る。  夏休みの間にギプスは外れたらしく、数日前久々に風紀室で顔を合わせた時には、もうすっかり以前通りの柿内先輩だった。まだ激しい運動なんかは控えているそうだけど、責任を感じていた僕としても一安心です。 「頼もしいリーダーさんだな」 「…茶化さないで下さい、行ってきますね」  運営側のイベントテント(なお成瑛クオリティ)はまとめて設置されており、生徒会の陣も割と近い。  さすが空気感が違ったのでちょっと気後れしたものの、すたすた入ってゆくと随分賑やかな声が聞こえてきた。 「ローン!」 「うわあ、やられた~」 「ドワッハッハ」 「僕らに勝とうなんて100年早いよ!」 「…何してるんですかね、あれ」  どこから運んできたのかソファに座り、卓を囲んでいるのは生徒会庶務の和住(わずみ)(れん)さん(なぎ)さんに、書記の鎧塚(よろいづか)逸樹(いつき)先輩、そして会計さんこと侑李の4人。  得意満面で牌を倒す姿を見て、副会長――賀栁(かやなぎ)千珮矢(ちはや)先輩がこめかみに指を当てている。 「いらっしゃーい、小野寺ちゃん。相変わらず浴衣似合うねぇ」 「ありがとうございます。侑李も素敵ですね。何サボってるんですか」 「あ、副委員長ー久しぶりー」 「お久しぶりです。仕事して下さい」 「一戦やってく?」 「やりません。仕事して下さい」 「ふくいいんちょ、おつ…れさま。律たち…すご…。れ…追い…られた」 「お久しぶりです。なるほど…なら仕方ありませんね……」 「仕方ない訳ないでしょう。いい加減後輩に丸投げしてないで働きなさい」  雷が落ちました。  賀栁先輩に叱られてぶーぶー言う双子と、しょぼんとする書記様、げらげら楽しそうな侑李を横目に、僕はくるりとテントの中を見回した。 「会長なら少し席を外しておりますよ。運営の中心は瓜生たちが担っていますので、大抵の要件はそちらで済むと思いますが」 「ありがとうございます」  ならちょうど間がよかったですね…。  委員長もだったけど、会長様ともとんでもない偶然の結果夏休み中遭遇してるんですよね。しかもその時結構気まずい出来事があったから、密かに警戒していたのだ。  幸い戻ってきてから今のところエンカウントは神回避している。  僕は安心して奥のテーブルを囲む1年生たちの方へ近づいた。  切れ上がった眼の涼やかな美形が瓜生(うりゅう)夏希(なつき)君。ほわんほわんした空気が滲み出ている天使が水無瀬(みなせ)(りつ)君。八重歯がかっこかわいい犬っぽい雰囲気のイケメンが古賀(こが)大和(やまと)君。  全員中等部から責任者の立場を経験しているだけのことはあります。初々しい雰囲気もあるけど、さすが落ち着いていた。 「小野寺先輩、お疲れ様です」  まず真っ先に瓜生君が声を掛けてくれた。うーん、先輩嫌いとの話だったけど、やっぱこう見る限り普通にめちゃくちゃ良い子。  水無瀬君が瓜生君の様子を見てぱちりと目を瞬いた後、ふにゃっと柔らかい笑みを浮かべる。なんかこの子全体的にハ行の擬態語が似合い過ぎるな。 「おつかれさまです、小野寺先輩。いよいよお祭りですね…何だか緊張してしまいますが、先輩のおかげでとっても動きやすいです。改めてありがとうございます」 「いえいえこちらこそ」  あ゛あ゛可愛い…。  圧倒的癒しですね。守りたいこの笑顔。親衛隊入隊届出してこようかな。  1年生3人とはここ数日の間に何度かやり取りしているけど、僕はすっかり水無瀬君ファンになりつつあります。彼に貢いでしまう生徒たちの気持ちが分かって怖い。 「報告は入っているかと思いますが、搬入トラブルの件についてご相談しに来ました。既に風紀で収拾をつけに動いているものの、機材や通行に影響があったのでこの後にも思ったより変更が出てしまいまして」  先に頭の中でどうすべきかは決めてきた。  対応策に加え、他組織への伝達や指示の内容、方法。生徒会にしてもらいたいこと。変更で生まれる不備とそのカバー案。  などなど諸々を伝える。さすがもう何となく1年生の中でも役割分担ができていて、古賀君が慌てる様子も無くメモを取っていた。 「―――とするのが良いと思いますが、いかがでしょう?」  話し終えると、何故かテントの幕内が静まっていることに気づく。若干居心地が悪かったものの、僕は1年生の反応を待った。 「…全く問題ないと思います。こちらも万事その通りに動きます」  瓜生君が答えてくれたので、にこりと微笑みを返す。 「ありがとうございます。いい夏祭りになるよう、もうひと踏ん張り頑張りましょうね」 「はい。…あの、小野寺先輩」  微かに気後れしたように呼びかけられ、緩く首を傾げる。 「……後でお時間ありますか。ここまで色々お世話になったお礼がしたいので」  なんと。  僕は目を丸くし、それから素でふと笑ってしまった。淡々とした言い方ながらも、いつもより少し声が低い。瓜生君、若干照れているのでは。 「光栄ですね。でしたらのちほど、落ち着いた頃一緒に回りましょうか。楽しみにしていますね」 「はい。…ありがとうございます」  さしもの大抵のことには動じない神経強者揃いの生徒会もこれには驚いたらしく、皆ぽかんとしている。  先輩組が盛大に瓜生君の体調を心配しだす声を背中に、僕は何だか微笑ましい気分で風紀のテント群へ戻るのだった。 ―――――――――― ▽成瑛小噺▽ ○瓜生君VS生徒会不良組 「ええぇぇええぇ」 「ちょっとどうしちゃったの、なっつー」 「食あたりでも起こした?」 「なっつーが年上相手であんな穏やかなんて」 「明日は槍が降るかな?棒が降るかな?」 「あまり五月蠅(うるさ)くしていると叩き出しますが」 「アッハハ!それにしても、いいお手本だったでしょ~?小野寺ちゃん」 「……。」 「ほんとよく気ぃ回るよねぇ。あの完璧主義を無自覚でやりながら、他人にちゃんと合わせられるのもすごい」 「……はぁ」 「なっつーすっかりベタ惚れじゃん」 「で?あんたはすぐ頭をピンク色に染めるその癖、やめたらどうですか」 「素直じゃないねぇ。でもダメだよ?なっつー。小野寺ちゃんは」 「チッ…だから」 「あの子に手ェ出したら、俺優しい親切な先輩じゃいられなくなっちゃうかもしれないなぁ」 「………。現時点では自分が良き先輩だとでも言うつもりですか?そこに驚きますね」
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