1杯目 初めての言葉はおしゃけ!

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1杯目 初めての言葉はおしゃけ!

「おしゃけ!! おしゃけ!!」  それが私、リリアリス・エイヴィヤードが人生初めて発した言葉だった。  両親はさぞかしびっくりしただろう。生まれて少しした子どもが見たことも口にしたこともないであろう酒を所望したのだ。  実際、腕に抱いていた母親――エリアリス・エイヴィヤード――は驚いた顔で私の顔を見ていた。いや、あれは驚いたって言うより唖然とした顔かもしれない。だって普通子供が初めて言葉を発したら飛び上がって喜んでくれるはずなのに、エリスママは何を言ったのか理解できない、というような表情で私の顔を凝視していたし。  生まれてすぐの私がどうして酒を所望したのかというと、実は私転生者らしい。そう、いわゆる前世の記憶を持って別の人間として新たに生まれたってやつね。言ってる本人がまだ半信半疑だけれども、私の脳みその中には生前の記憶がしっかりと刻み込まれている。  生前の私はそれはそれはよく頑張って馬車馬のように働いていた、世間でよくいう社畜。日本のね。  毎日いつ帰れるのかわからない残業の嵐。家は会社の近くに見つけたボロボロのアパート、もちろん彼氏はいないし、結婚もしていない、仕事が恋人とか言いながらあくせく働く日々。  そんな私の唯一の楽しみは酒。成人した時から毎日酒を飲まない日はないと言えるくらい酒を飲み続けていた大の酒好き。  日本酒、カクテル、洋酒なんでも来いのちゃんぽん大歓迎、というおよそ女と思えないような飲みっぷりには会社の男性陣も引いていたっけ……。  たまの休みにはもちろん料理も家事も化粧もせずに家にこもっては酒を片手に映画やドラマを見るだけ。  そんな私が命を落として転生しちゃったのは、30歳手前で部長から直々に任された1年半ほどの大きなプロジェクトを成功させ、そのプロジェクトの功績を讃えられて社長賞まで貰った忘年会で世界でも高級と称されるワインを当てた幸運っぷり。  ああ、このまま死ぬんじゃないかと思いながら、ほとんど酔わない私が珍しくべろんべろんに酔っ払って……そしてたぶんその日に死んだ。  死んだ日のことは私の中でトラウマになっているのかなかなか思い出せはしないんだけども、たぶんまともに歩けないくらい酔っぱらっていたし、線路に落ちたのか、車に引かれたのかなんなのか。とりあえず目が覚めた時には、「あー私死んだんだっけ」という気分だった。  それから数日後、ふとしたときに気づいた。  私、赤ちゃんになってない??  自分が赤ん坊になってる事を自覚したのは目の前でいつも優しく笑っている女性が母親と認識した瞬間。その時ようやく私はちゃんと、人になったんだと思う。  それまではきちんと脳みそが働いてなかったのかなんなのか、ぼんやりと夢と現実の狭間にいるような感覚だった。お腹がすいたなと思えば勝手に涙が出て、なんだか濡れて気持ち悪いなと思えば涙が出る。言い知れぬ寂しさに襲われても涙が出る。そうすればなんだか自分の欲も不快感も拭われていくのだ。勝手に天国ってこんなものなのかなーなんて能天気に考えていたんだけど、どうやら違うみたい。  自分が赤ん坊だという認識を持ってからは、ある程度そこのコントロールもできるようになってきた。  視覚も良好、聴覚も問題なし。五体も満足。まだハイハイはできないけども、代わる代わる私の顔をのぞき込む人達の顔をそれぞれ認識することくらいはできるようになって、なんとなく聞き取れ始めた言葉から私はやっと新しい自分の名前と自分の家族を知ることが出来た。  まず父、何故か屈強すぎる肉体を持った髭面。名前はリンドール・エイヴィヤードというらしい。赤茶色のふさふさの髪と口元にはたっぷりと髭があるせいか、とても老けて見える。体は鍛え抜かれているのか、筋骨隆々なんだけどいったい何の仕事しているんだろう。ボディビルダー?  そして母、エリアリス・エイヴィヤード。美人、とても。リンドールパパが抱きしめたらぽきっと折れてしまいそうなほど細く、繊細な体つき。腰が細すぎて私を抱きかかえるとき、折れやしないか私が心配になるほど。どちらかと言うと私は母親似であることを切に願うなー……。  一番上の兄、リンドバーグ・エイヴィヤード。金色のストレートショートヘア。整った顔立ちで、母親に似たのか優しい目でいつも私を見て笑いかけてくれる。大好き。  二番目の兄、リンドリーグ・エイヴィヤード。仏頂面でいつも私を睨みつけてくる。父親の赤茶の髪を受け継いでいて、リンドバーグお兄ちゃんと違ってくるくるの天然パーマ。リンドリーグはなぜか私に敵意を向けてくるから嫌い。目が怖いし。  そして私、リリアリス・エイヴィヤード。まだ鏡を見たことないから父親似なのか母親似なのかわからないけれど、優しい家族に囲まれて第二の人生が始まったところ。  今のところ私の知る家族はこれだけ。  名前的にも見た目的にも外国なんだろうけども、いったいどこの国なのかはわからない。テレビもなければラジオの音も聞こえないのだ。聞こえてくるのはエリスママたちの声だけで、その声だけではまだ言葉をすべて理解できていないからかいい情報は得られない。  まあいずれ分かるだろう。働かなくていいなんて最高じゃないか!としばしの休暇という気分で甘やかされるがままに甘やかされ、可愛がられるままに可愛がられる生活を心から楽しむことにした。  楽天家……かもしれないけども、もがいても足掻いても正直生まれ落ちてしまってるものはどうしようもないじゃない?  そんなこんなで過ごした私はハイハイ出来るまでにすくすく育ち、つかまり立ちを経て、1歳の誕生日を迎え、そして初めて強い欲を持った。いや、初めて……と言うよりは私には至極当然な欲ではあるけども。  そう、お酒が飲みたい!!  そうして滑り出た初めての言葉はママでもなく、パパでもなく、 「おしゃけ!」 「リ、リリス……? お酒って、言ってるの?」 「おしゃけ!!」  まだうまく言葉を話せない私の口から唯一発せられる言葉をようやく理解したエリスママは困ったように眉を下げた。 「困った子ね、どうしてお酒なんて言葉知ってるのかしら……」 「父様が、教えたのではないですか?」 「リールがそんな言葉を教えるとは思えないけども……それにほら、お父様は家にほとんどいないでしょう?」 「そうですね。父様は、騎士団の仕事でお忙しいですから」  騎士団?!  一番上の兄、リーグの口から出たとんでもない言葉に私の頭から一時的にお酒を飲みたいという欲が吹き飛んだ。  騎士団なんて未だに組んでいる国があるのか。イギリスか、フランスか、ますますここがどこなのかが謎めいていく。 「とうさまはいつかえってくるの?」 「そうね、次はいつかしら」 「最近は諸国との関係も良好と聞いています。コールダー国との貿易も上手くいっている、とカルダーノ叔父様が言っていました」  コールダー国???そんな国地球にあったっけ。  聞きなれない国に不安な気持ちが胸に広がっていく。 「よく勉強しているわね、リーグ」 「当然です! 学問も騎士の務め。父様のような立派な騎士になり、ウェセター国のために仕えるのが僕の夢です」 「きっと国王陛下もお喜びになるわ」  そう言って兄の頭を撫でる母親を見ながら私の頭はパニックに陥っていた。  コールダー国にウェセター国……ここはもしかして地球ではない??  さらに私に衝撃を与えたのは二番目の兄、リドリーだった。 「でもおさけっていってもさ、リリスはのめないよね。だって、きしじゃないとのめないもん」 「そうね、お酒は特別なものだから、お国のために働いている貴族の方と国にお仕えしている騎士様しか口にできないわね。リドリーもよく勉強してて偉いわ」  な、なんだって?!?!  余りの驚きに私の口からは大絶叫が響き、目からは大粒の涙がこぼれ出した。  慌ててエリスママが私を抱きかかえてあやしてくれるがそれどころじゃない。  私の生きる楽しみそのものと言ってもいいくらいの酒が、この世界では騎士じゃなければ飲めない、という事実にまだ1歳半しか生きていないにもかかわらず、私は人生の終わりに打ちひしがれて……と言うよりはわんわん声を上げて大泣きした。
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