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A、B、C、D、E、F、G、
意味はない。今日の日記は何を書こうかと悩んでいて、とりあえずローマ字の羅列を眺めてみた。
でもさー、こうやって見てると、ちょっと疑問に思わない?
どうしてローマ字はAから始まるんだろう~って疑問に思わない? どうしてZが最後なの? って思わない……?
どうしてBからじゃダメなの? Cからは? Dからは?
もしかしてAから始まるのには理由があるのかな?
…………。
まぁー、どうでもいいんだけどね。
でもさ、ローマ字の羅列に限らず、当たり前だと思ってることがしばらく見つめてると、あれっ? これって何でなの? って思うこといっぱいあると思うんだ。
例えば、
「あれ? この手って本当にわたしの手?」
これ、わたしはめちゃくちゃある。一番多かったのは学生の頃かな。
いつも通り、将来使うかどうかもよくわからない授業を真面目な顔だけして受けてたとき、ふと思ったんだよね。
シャーペンを握ってるこの手って……あれ、本当にわたしの手なのかな? って。
毎朝洗う顔をさすってるこの手も、ドアノブを回すこの手も、かゆいところに伸ばす手も、今こうしてシャーペンを持つ手も……全部一緒? 本当にわたしの手なの?
人間の体の部位で、一番使うのは絶対に手だとわかってる。だからこそ、馴染みのあるこの手を疑ったことなんて一度もなかった。
でも本当にそうなの? もはや考えるまでもなく伸ばしたりグーパーしたり、指を交差させてみたり、自由自在に動かしてるこの手って、わたしのものなのかな……?
そんなことを考えてたら、当たり前にしてた『勉強』の意味もわかんなくなっちゃって、今は……日記を書いてる意味がわからないでいる。
ね。
当たり前のことを改めて考えてみると、よくわからなくなる。
だけどそれが大切な気がする。
「ママ、これなに?」
って無邪気に笑ってたあの頃のように。
いつの間にか疑問に持つことを恥ずかしいと勘違いしてしまっている大人のままではいたくない。
わたしは、これでいいと思う。
この日記も、毎日つける意味を疑問に思いながら続けることに意味がある。
それが、わたしの日記。
ローマ字の羅列がAから始まる意味、それと同じ。
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