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「佐藤さんは、これからいつもの場所に行くんですか?」
かけられた言葉と共に急に上げられた顔のせいで、鼓動が九丸のゴロゴロのように聞こえてしまわないか、焦って言葉に詰まる。ほぼノーメークだろうに、上からのわずかな照明にも映える涼やかで柔らかい笑顔に一つ。僕の不埒な考えが顔に出てはいなかっただろうかとの心配で一つ。ドクン、ドクンと身体に響いた。
「は、はい。いつも通りです。九丸のお気に入りの場所なので」
ようやく声を絞り出した僕の笑顔は、さぞや不自然なはずだ。上げた頬に力みを感じる。
彩芽さんは僕の心境なんて気にする風もなく、さらりと言葉を紡ぐ。
「そういえば、佐藤さんも『風またぎ』に呑みに行ってるんですね。マスターから聞いちゃいました」
「えっ! 彩芽さんも行ってるんですか!?」
言った瞬間に「しまった!」と発っせない言葉が頭の中で反響する。今まで下の名前で呼んだことなんてなかったのに。
「はい。わたしもたまに行くんですよ。それでね、こんな人いるんですよ! ってマスターに話したら、それって佐藤さんだよって」
違和感なく返答してくるところをみるに、どうやら不快ではないのかもと、僕は勢いのレールに調子を乗せた。
「いやあ、まさか彩芽さんも常連とは思いませんでした。実は、僕と九丸は『風またぎ』で出会ったんです。それで今に至るわけで」
言った。また言ってしまった。もうこれからは『彩芽さん』で通そう。そうしよう。
「ふふっ。その話もマスターから聞きましたよ。素敵な出会いですよね」
「はあ。まあ、素敵かどうかはあれなんですが、良い出会いではありましたね」
そりゃあそうだ。九丸と出会えなかったら、今こうして彩芽さんとも話せていないわけで。
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