【プロローグ1 過去回想・現在】

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【プロローグ1 過去回想・現在】

 私は十三歳の誕生日に、自分の手足の爪、合計二十枚の爪を何のためらいもなく、剥いだ。  もちろん、体中の水分が出てくるほど痛かった。宇宙に届くぐらいに絶叫もした。しかし、爪を剥ぐ事は止められなかった。それはすでに決定事項であったし、私が生まれてきた理由であるようにも感じられた。  止めど無く流れる血と、体中を這いずり回る痺れと痛み。手足の指先には、自然と痛みがなく、ただ熱かった。そして、リズミカルな躍動感に溢れていた。カーニバルに参加しているような、狂喜。  第一声の叫びと共に、両親が飛んできて、私の手を止めた。しかし、持っていたペンチとマイナスドライバーはすでに血塗られて、爪は七つほど失われていた。アイボリーの壁に血が飛び散り、水色のシーツに血が滴っていた。  私は、両親を金切り声で脅しながら、力任せにペンチで爪を剥いでいった。熱い、熱い。奇麗に剥がれなかった所は、マイナスドライバーで削ぎ落とした。熱い、熱い。 止められた手を振り切り、もう一枚剥いだ。あと、一二枚だ。そう思うだけで、背中がゾクゾクした。痛みと共に、体中に興奮が走しった。  爪を剥ぐという欲求が初めて湧いてきたのは、十一歳の頃だった。  何でもない、ちょっとした怪我だった。夏休みに父方の祖父母の家に行った時、慣れていないローファーの靴を履いて長時間遊んでいたために、足の親指の爪を割ってしまったのだ。痛くて、誰かれ構わずに泣き喚き、母親に病院へ連れて行ってもらった。消毒をするだけという簡単な処置が済むと、私は恐る恐る現実を見つめてみることにした。  足の親指の爪は、半分欠けていた。そこから、血が少しずつ湧きあがっていた。  私はその血を見た時、何とも言えない、胸を締め付けられるような感情に支配された。ズキンズキンと、躍動感溢れる痛みは今でもリアルに思い出せる。  現在、二十一歳の私はマゾヒストではない。セックスも普通の技巧を好むし、あまり道具を使用するのは好きではない。その人の体があれば、何の文句も言わない普通の女だ。  しかし、十一歳だった私は、爪を剥ぐ衝動を押さえるのに必死だった。授業も、給食の時間も、休み時間も、必死で目に見えない感情と闘っていた。人の爪を剥ぎたいのではない、自分に根付いた爪を剥ぎたいのだ。  わざと怪我をしてみた事もあった。しかし、上手に剥がれない。爪が欠けた程度、中途半端な状態だった。なおのこと苛々し、欲求は高みに昇るばかりだった。  一二歳の時、私は小遣いを貯めてドライバーセットとペンチを買った。家のものを持ち出せば、必ず家族に怪しまれる。だから、自分だけの道具を買わなければならなかった。  そのドライバーセットとペンチは、宝石のように思えた。私の宝物。タイムカプセルに入れた縁日の指輪など、取るに足らない物だ。  宝物を手に入れてから、私の欲求は徐々に、確固とした意志となった。  爪を剥ぐ事は、私の生きる証であり、人生最大の目的である。  崇高であり、高尚であり、美麗だ。  自らの手足の爪が、全て剥がれ落ちるその日を、私は真剣に思い願った。  そうして、私は一三歳を向かえる七月のその日に、天から与えられた使命を決行した。  完全に、全ての爪を剥がし終わると、私は絶頂の声を上げた。  そう、それはセックスのオーガズムに似ていると思う。  両親は救急車を呼び、私は恍惚とした意識の中、病院に運ばれた。手足の爪ごときで、出血死するわけがないのだが、皆が気味悪がっていた。医師も看護婦も、両親も。 しかし、私は自らの意志を信じていた。  一晩、外科病院に入院した後、私は精神病院に連れられていった。一週間ほどベッドに寝かされて、医師と話をした。その結果、私の病名は『境界性人格障害』と名付けられた。  人格形成過程に問題があると、私の両親の前で失礼にも医師はそう断言した。  対人関係が不得手、自傷行為を繰り返す、毎日不安で仕方がない等の症状が、私に当てはまったらしい。否、両親も首を激しく横に振ったように、私はそのような問題を抱えていなかった。  母は精神科に入院させようとしたが、父が拒否したので、私は通院という形で病院へ行った。中学校はちょうどよい具合に夏休みに入ったために、勉学の心配はさほどなかった。そして、毎日、毎日、箱庭や絵を書かされて、まるで幼稚園に戻ったようにお遊戯をさせられた。何を求めているのかわからない、その指示に従う私は滑稽ですらあった。 しかし、もっと滑稽なのは、その後私に『爪を剥ぐ』という欲求が起こってはこなかった事である。あの、熱狂はどこへ行ったのか。崇高であったはずの行為も、もはや理解不能の不可思議な出来事だった。  じっと、包帯だらけの手足を見る。意思のない、激烈な痛みだけが残っている。 自分が怖い、ものすごく怖い。  私は、いじめに遭っていたわけでもない、両親から厳しくされていたわけでもない。ゆえに、精神に負担を感じてもいなかった。  一体、私に何が起こったのだろう?  医師にそう言うと、満足そうに笑った。 「うん、そうだね。ちょっと、疲れていただけかもしれないね。百合奈(ゆりな)ちゃんも、もう落ち着いてきたし、お薬を減らしてみようか?」  疲れていた?いや、違う。私は確固とした意思で行ったのだ。その行為が何を指し示すのかはわからないが。  医師は私の不可思議な欲求が消え去った事を、自分の手柄のように喜び、両親にその旨を伝えていた。  私の精神科への通院は、そこで幕を閉じた。  しかし、医師が「学校に通学する前に、環境を変えて気分転換をさせてみるのも良いでしょう」と、置き土産のような言葉を残したために、私は一般の人がたいてい考えるように、自然豊かな環境へと連行されたのであった。
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