【十三歳現在・過去 仙台】

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【十三歳現在・過去 仙台】

 夏休みが終わって、私は仙台に帰ることになった。  智広兄さんとは、あれ以来会っていない。  命に別状はなかったが、あれだけの火傷を負ったのだから、肉体的にも精神的にもすぐには回復できないだろう。今でも、赤いランプをじっと見つめて立つ、智広兄さんの両親の姿が目に焼き付いている。  藤蔓保都は、何とか命は取りとめたそうだ。しかし、火傷は酷いらしい。祖父母が見舞いに行っても面会謝絶、智広兄さんのおばさんが行っても病室には入れない。本人か、それともその両親か、どちらかが拒否をしているのだろう。  いっそのこと死んだほうがましなのでは?  そう思わなくもない。全身の焼けただれた肌を背負っていきれるほど、人は強くない。 それとも、生き残って正解?  智広兄さんは、どうしているだろうか?  『呪い』を確認するようで、怖くて見舞いにも行けなかった。両親に聞けばわかるのだろうが、それも出来なかった。  母がまた、あの目で私を見るのかと思うと、耐えられなかった。  ようやく私の傷は癒えて、ズキズキと鼓動していた痛みもなくなった。靴も履くことが出来る。手は、きちんと爪が生えるまで手袋をしておくことにした。夏休みの宿題も、智広兄さんに教えてもらったおかげで何とか提出することができた。 もう私の手許に、あの夏を連想させるものはない。  ただ唯一、気になるのは『かなやこしん』のことだ。智広兄さんは、何を知っているというのだろう?  知りたいと思うと同時に、あの時の藤蔓保都の目を思い出す。忘れてしまいたいという感情が、私の中であの夏を深く心に沈めていった。思い出しては沈み、また思い出してはより一層深く沈む。まるでキリシタンの史跡のように、ひっそりと片隅に追いやられていく。現実には何もなかったように。  九月も終りに近づき、制服も冬服へと変わった。長い間手袋をはめていると、学校の友達も違和感を持たなくなってきている。爪が生えそろって手袋を外せば、どこを怪我していたのかと聞かれるだろうが、素直に「爪が剥がれた」と言って、少し不恰好な爪でも見せれば、変には思われないだろう。私自身、不思議でも何でもなくなっている。  金曜日の授業が終わり、部活のミーティングに出席した後、いつもより早く帰れることになった。部活仲間の何人かとマクドナルドに寄っていくことになり、校舎を後にした。  校門前まで歩いていくと、黒いバイクに乗った人が帰宅する生徒たち一人一人を監視しているかのように見送っていた。  秋の日差しが、バイクの流線に光を零す。 「智広兄さん!」  呼びかけると、智広兄さんは私を見つけて手を振った。 「やあ!元気だった?」  優しく微笑んだその顔は、以前と全く変わりのないものだ。腕はグレイのジャケットによって、手は運転用の手袋によって隠されているため、そこに火傷跡があるのかはわからない。  友達にマクドナルド行き辞退を告げると、女の子特有の文句を背中に浴びながら、智広兄さんに駆け寄った。 「どうしたの?私の学校、よくわかったね?」 「百合ちゃんのおばさんに聞いた。ちょっと怪しまれたけどさ」 「だいぶ怪しまれてると思うけどなあ」  智広兄さんは苦笑して、私の頭を撫でた。その横を友達が通り過ぎ、皆で一斉に私達をからかうと走り去っていった。  私はものすごく恥ずかしかったが、智広兄さんはいつもどおりの微笑を浮かべていた。 「友達、怒っているみたいだけど、行かなくていいのか?」 「いいよ、別に。マックに行くだけだもん。それより、何か用事なの?」 「まあ、用事ってほどでもない。話が途中だったからさ、終りまで話しに来ただけだ」  自分の顔が強張っていくのがわかった。恐怖と不安が、またあの夏を呼び覚ます。  智広兄さんはバイクの後部座席を開けて、ヘルメットを取り出すと、私に向かって放り投げた。  躊躇しながらも、私はバイクの後部座席に飛び乗った。そして、ヘルメットに頭を押し込む。智広兄さんも、ハンドルに掛けてあったヘルメットをかぶった。 「・・・なんだ、ヘルメット二つあったんじゃん」 「買ったんだよ。さすがに街中でノーヘルだったら、捕まるよ」  大きなエンジン音が辺りに響く。やはり怖くなって、智広兄さんの体にしがみついた。 「離すなよ」  以前と同じ言葉を私に投げかけると、智広兄さんはバイクを走らせた。  バイクは道幅の狭い連坊通りを通り抜け、東二番町通りまで出ると右に曲がり、県庁方向を走った。SS30のビルを通り過ぎ、青葉通りとの交差点を左に曲がり、青葉城跡方向に欅並木を進む。西公園前の交番を右に曲がり、公園内にあるグランドわきの道に緩やかに侵入し、その速い動きを止めた。  人気がない林の中に神社が建っていて、すぐそばに茶屋がある。秋の季節には、花もなく枯葉舞う寂しい所だ。 「智広兄さん、ここのお茶屋さんって今日はお休みだよ?」 「ここじゃなくて、こっち。こっちに用があるんだ」  智広兄さんはヘルメットを取ると、広瀬川に架かる大橋方面を指差し、バイクを降りた。私もヘルメットを取り、地面に着地する。  枯葉散る桜の木の中を抜けて、公園角にある交番前を通りすぎ、橋のたもとまで歩く。 智広兄さんが立ち止った前に、背の高い黒い石碑が杉の枝葉に隠れて建っていた。 秋風がガサガサと不気味に、赤みを帯びた杉の葉を鳴らす中、智広兄さんはいたわるようにその石碑の表面を手でなぞった。 「これはね、一六二四年の正月に広瀬川で、カルバリヨ神父のほかに武士8名が、真冬に水牢の中で殉教した、その石碑なんだ。改宗をするように説得したらしいけど、頑として拒否したらしい」 「・・・昔の人ってすごいのね。私、殺されるぐらいだったら即改宗しちゃうけどな」 「そうだな。今の時代は人生の選択は多種多様で、宗教はそのうちのほんのわずかな位置を占領しているに過ぎない。しかも、一秒も絶えず次々選択に迫られる。僕らは、一つのことに集中できない世の中を生きているんだ。どちらが幸せか、そんなことは僕らにも彼らにもわからないよ。ただ流されるだけの人生か、信念を持って死を選ぶか、僕はどちらも選択しかねるな」  智広兄さんは哀しそうに微笑んだ。  ふと、藤蔓保都のことを思い出した。もしかしたら、智広兄さんは後悔しているのかもしれない。酷い火傷の体になるとわかっていながら、火達磨の従兄弟を助けたことを。 「智広兄さん・・・保都さんは―――」  私の言葉を、哀しい声が遮った。 「僕はね、自分だったら少なくとも、理由もわからずに死にたくはないよ。僕が保都を助けたのは、生死の判断ぐらいはあいつに決めてもらいたかった、ただそれだけだ。無責任のようだけど、結局僕らは人生において自分が正しいと思ったことを実行するしかない。すごく理不尽だろう?」  智広兄さんは短く息を吐くと、ジャケットの胸ポケットを探った。きっと煙草を探しているのだろう。しかし、そこにはなかったらしく、しばらく手のひらを見つめていた。 その手の皮膚は、皺になっていたり、張り過ぎていたりと、無器用に智広兄さんにしがみついていた。きっと、上腕もそんな感じなのだ。 「どうも、愚痴っぽくなっちゃうな」 「・・・仕方ないよ。私だって、うちの『たたら』に知らない男の人が来てたよって、智広兄さんに話していれば、もしかしたら助かったのかもしれないって思ったもん。後で保都さんだって、わかったんだけど」 「保都が?」 「うん。すぐにいなくなったけど。あの時の顔・・・おかしかったもの」 「・・・そうか」  智広兄さんは顎に手を当てて、横に視線を逸らした。何かを考えているようだが、いつものごとく、私にはわからない。 「何?」 「いや、先に続きを話そう。さて、何か食べたい物でもある?」 「ケーキ!」 「言うと思った。僕はケーキ屋なんて知らないからな。道案内はまかせた」    立体交差道路がある広瀬通りを走り、国分町の小道に入る。人通りの少ない道路にバイクを駐車し、表通りまで歩く。午後四時過ぎのアーケード街は慌ただしく、学校帰りの学生やショッピングを楽しんで家に帰ろうとする人々がそれぞれの方向に流れていた。国分町二丁目のアーケードに面したビルの階段を上り、風月堂に入った。  ウェイトレスにアップルパイとローズティー、キリマンジャロコーヒーを頼んだ。注文したものが来ると、智広兄さんは味を確かめるように一口飲むと、口火を切った。 「僕らの先祖は、代々製鉄をしてきた。彼らが信奉していたのはキリスト教だったわけだが、昔から製鉄の神、特に刀鍛冶が祭っているのは『金屋子神』だ。製鉄を志すものなら、誰もが知っていただろう。イエスと一緒に祭られていた可能性は高い」 「その『かなやこしん』って、どういう神様なの?製鉄の神様っていわれても、ピンとこないよ。字もわからないし」 「うーん・・・。『古事記』は読んだこと・・・ないよな?」 「もちろん」 「そうか、もちろんか・・・。岐阜県不破郡に『南宮大社(なんぐうたいしゃ)』という所があって、そこに祭られているのが、『伊耶那美命(いざなみのみこと)』が大火傷を負ってまで生んだ神様の中の一神、『金山彦神(かなやまびこのかみ)』だ。『金山彦神』は火を防ぐ神、つまり火の制御者だったわけで、その他の火の神を総じて現れた、金属精錬、製鉄の神様なんだろう。五行思想では、火は金に勝つからね。そうだ、この『金山彦神』にはもう一つ変わった性質、良縁、安産、夫婦円満のご利益があってね、神奈川県の『川崎大師(かわさきたいし)』境内にある神社では、とてもユニークな祭りを行うんだ」 「えー!?どうして、製鉄の神様が良縁の神様になるの?」 「それはね、『伊耶那美命』が『金山彦神』を生んだ時に―――」  途中まで話しかけて、智広兄さんは急に気まずそうに黙り込み、わざとらしく咳払いをした。私はわけがわからず首を傾げた。どうも智広兄さんは、自分の考えを無防備には表現しない人だ。 「・・・話が逸れたなあ。とにかく、そこから『金屋子神』が生まれたといっていいだろう。金に屋根の屋に子供の子で、『金屋子神』だ。昔、鉄山を管理した豪族が祭ったと言われている。これには、『物部氏(もののべし)』の信仰も関係している」 「『物部氏』って、『蘇我氏(そがし)』に負けた人だよね」 「そうだ。僕は、『千松兄弟』の姓『布留』が、『物部神道(もののべしんとう)』の中心、『石上神宮(いそのかみじんぐう)』の祭神『布留御魂(ふるのみたま)』に由来していると思っている。別名『布都御魂(ふつのみたま)』と呼ばれているから、今の布津姓に通じるものがある。この祭神は、物部氏サイドが編纂した『旧事本紀(くじほんき)』という歴史書で『十種宝物(とさかのかんだから)』という無敵の武器を授けた神様だ。しかも、千松兄弟の出身地である岡山県美作(みまさか)は、その以前に物部氏の祭祀があったとされているんだ。『中山神社』という所があるんだけど、『中山』は、山脈を神と崇める『五蔵山経(ごぞうさんけい)』から由来していてね、五行思想と似たようなものだ。その内の一つ、『中山教』は製鉄の中心とされて―――」  また途中まで話しかけて、智広兄さんは頭をかいた。今度は先程とは少し違い、顔がむず痒そうに動いている。何がそんなに照れくさいのか。 「ごめん、どうも歴史が好きなものだから、つい・・・」 「ううん。面白いから、別にいいよー」  智広兄さんの顔が。  私が一部の感想を除いてそう言うと、智広兄さんは安心したように息を吐いた。きっと以前に、これで人を退屈させた事があるから、気を使っているのだ。 「それで、『南宮大社』は全国の金属業者御用達の神社なんだ。『ふいご祭り』という、古来の精錬方式の刀打ちの祭りもある」 「ふうん。それで、どうして『金屋子神』は南にいるの?」 「一般的な解釈としては、五行思想で南の方角は火の神座といわれているからだ。面白い事に、長野県の『諏訪大社(すわたいしゃ)』も昔は『南宮』と呼ばれていたんだ。南から西に座す、金神を祭る意味があったと思われている。『諏訪大社』の祭神『建御名方(たけみなかた)』は、別名『南方刀美(みなみかたのとみ)』とも言われていて―――わかるかな?南の方の刀に美しいという字で、『南方刀美』だ」 「『金屋子神』と何となく似てるね」 「そうだ。『南宮大社』は『諏訪大社』を本宮としている。この二人の神様にはもう一つ共通点があってね、どちらも藤が好きなのさ」 「藤?」  私はアップルパイをフォークで取り損ねて、皿の上に落とした。藤といえば―――。 「僕はね、母方の藤蔓姓はこれが由来だと思っている。『たたら』の火を入れる時に、藤蔓を供えるからね」 「どうして、藤蔓を供えるの?」 「うーん、たぶんこれは、前に話した出雲地方の『鉄完流し』の際に、川に流した鉄石をすくう籠を藤蔓で編んだからなんだと思うよ。岐阜や長野には鉱山が存在している。そこに、出雲式の鉄採取方法が伝わって、それが諏訪や南宮の神様とミックスされたんじゃないかな。『古事記』や『日本書紀』などの国譲り、簡単にいうと天の神様に地上の神様が領土を明け渡すってことなんだけど、その場面でそれを示唆する箇所が出てくるから」 「よくわからないけど、その神様とイエス様が混ざったものが、布津の『たたら』なのね?」 「そう言ってもいい。その前に、アップルパイを食べてしまったほうがいい」 「え?」  私は言われるがままに、急いでアップルパイを食べた。智広兄さんはその様子を、不思議そうに見ていた。以前、ケーキを持っていった時も、あまり好きそうな感じではなかったから、食べられる人が信じられないのだろう。 「ごちそうさまでした。じゃあ、続きをどうぞ」  私は一息ついて、ローズティーを飲んだ。智広兄さんが苦笑して、「見ているだけで、口の中が甘くなってきたよ」と、コーヒーを飲んだ。 「『金屋子神』の由来はだいたい理解してもらえたね。されど、さて、困った事に『金屋子神』は『黒不浄(くろふじょう)』を好む神様でね。それを供えると、製鉄が上手くいかない時にでも、鉄がよく溶けるようになると言われているんだ」 「『くろふじょう』って何?」  そこで、智広兄さんは声を低くした。 「汚いという意味で、不浄という熟語があるだろう?それに黒で、『黒不浄』だ。まあ、いわば動物等の死体だ。特に人間のね。それを、『たたら』を囲む四つの柱に立て掛けると、抜群のご利益があるらしいよ」 「死・・・」  背中にゾクリと、暑くもないのに汗が流れた。 布津の『たたら』には、四つの柱にイエス様とマリア様だ。それがどうして『黒不浄』になるのか。もしかしたら、私達の先祖は実際に死体を―――。 「人柱、つまり生贄だけど、これは中国などの水田祭事の神、蛇神に人を捧げる祭りや、『八岐大蛇(やまたのおろち)』の生贄にされる『奇稲田姫(くしなだひめ)』に見られるような古代出雲の風習によるものが大きい。蛇がどうして農業の神になるのかと言えば、鼠をとる生き物だから、結果的には穀物などを守ってくれているという役割を担っているからさ。さらに転じて、『八岐大蛇』は死んだ後、『草薙剣(くさなぎのつるぎ)』を生むことから、それに象徴されるのは優れた製鉄技術『たたら』を持つ、出雲の豪族であるという説もある。つまり、製鉄の際に人を捧げたわけだ。八つの頭と『炯屋八人衆』。ぴったりだろう?」 「う・・・」 「ごめんな、気持ちの悪い話で。でも実際、『諏訪大社』にそういった祭りがある。例えば、正月の『蛙狩り神事(かわずかりしんじ)』では、蛙を弓で射殺して捧げる。そして、『御頭祭(おんとうさい)』という鹿の首を捧げる祭りも。今は剥製らしいけどね」  イエス様とマリア様は、生贄なのだろうか。だとすると、布津の家は一体どのような信仰をしていたのか。  自分に流れている血が、怖い。 「・・・柱に立てるのは、どうして?」 「これはね、『御柱(みはしら)』という古い信仰で、縄文時代から続いているという説もある。魔除けや結界という意味があるらしい。それに、『諏訪大社』の『建御名方』は、国譲りの際に地上代表の神様『大国主命(おおくにぬしのみこと)』の命令を承知せずに、天上からの使いの神様と力競べをして負けて、諏訪湖のほとりまで逃げてきた神様なんだ。で、そこから彼を出さないための仕切りが『御柱』のもとという説もある。『御柱』を立てる、これが神社の原型だとも言われてるんだ」  だんだん、考える力がなくなっていく。難しくて少し怖くて、頭がこんがらがって、話を聞くことが出来なさそうだ。 「魔除けなのに、どうして・・・」 「『御柱』信仰と、中国や古代出雲の水田祭事の人柱、出雲の製鉄技術、『金山彦神』と『建御名方』、それぞれがミックスして、『たたら』の柱に『金屋子神』を祭る意味があるのだと思う。ややこしいけどね。諏訪の『御柱(おんばしら)祭』って知ってる?大きな丸太を落とす行事なんだが。テレビで見た事ないか?」 「ええっと・・・人が柱と一緒に丘の上から落ちていく、危ない祭りでしょう?」 「そう。あれは四本の柱を落とすんだ。何かに似ていないか?」 「え?・・・ああ、『たたら』の四本柱」 「そう。『御柱』は、七年に一度の祭の前までは固定位置に直立している。日本には他に『御柱』の祭りがあるけど、諏訪が最も古代の祭りに近いらしい。どうして四本の柱なのか。これも定説はないんだが、僕は五行思想の方角、中央を除く東西南北を示すものだと思っている。しかし『たたら』の柱と違ってね、『御柱祭』は死者が出たら密葬するなどして、どうも死を不浄として避けていたらしい。『上社物忌令(かみしゃものいみりょう)』という書物に、そういった事が書いてあるそうだ。さらに、死者が出た家は祭りに参加できない。それでも『御柱』には、たぶん人柱に似た抽象的意味がある。だから、危険な行為にも関わらず、人が寄って集って一緒に落ちるんだ。つまり・・・」  つまり、イエス様とマリア様を柱に掲げることにも、抽象的意味があるということだ。  なんて酷い連想ゲームだ。  私たちの先祖は、天に召されたイエスとともに殉教したキリシタンを、抽象的に『金屋子神』に捧げていた。マリア様は、キリスト信仰において重要な位置を占める。だから、マリア像だけ南なのだ。そして、『大柄沢洞窟』を南にしているのだ。  殉教したキリシタンを生贄に捧げる精神を、一体誰が許してくれるだろう。殺されない立場を利用して、私たちの先祖は―――。 「今、布津の『たたら』にある像は、百合ちゃんのお祖父さんが作ったものだけど、昔は処刑場や殉教者が埋葬されている場所の石を拾ってきて、その裏に十字架を彫って柱に掲げたそうだよ」 私が質問した時、祖父がどうして困惑したのか、ようやくわかった。  祖父は知っていたのだ。自分たちがどうして『呪い』を受けるのか。自分たちが、何を捧げて『たたら』に向かっているのか。  『たたら』を継ぐ人がいないのはわかる気がする。八つの家全体で、背負う罪と罰はとても重い。 製鉄を続ければ『呪い』は続いていくのだから。  もし、誰かが『たたら』を継いでしまったら、どうすればいいのか。  それを考えると、傷が治ったとしても私は将来に渡って、先祖の罪を意識していかなければならないのだ。『呪い』は、罪の意識を風化させないように存在しているのだ。 「・・・おじいちゃんや皆は、全部知っているの?」  智広兄さんは優しく微笑んだ。 「いや、そんなに詳しくは知らないと思うよ」 「でも・・・」 「先祖から口伝で聞いたぐらいだろう。そりゃ、柱にイエス像を立てる理由は知っていたと思うけど」 「そっか。そうだよね・・・でも、どうして殉教者を捧げることを辞めなかったのかしら?少しは『呪い』が弱くなりそうだけど・・・」  そう言うと、智広兄さんは肩をすくめた。 「僕らは、キリシタンに呪われてなんかいないよ」 「え?だって・・・私達、現実に呪われてるじゃない!」 「まさか。僕は霊的呪術的な意味で、『呪い』が存在するなんて信じてない」  そう言い切ると、智広兄さんは残りのコーヒーを一気に飲み干した。
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