【十三歳現在・過去 呪い】

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【十三歳現在・過去 呪い】

「ある程度の自己逃避は許されるだろう。でも、限度を超せば、それは様々な弊害を生むものだよ」  智広兄さんは、煙草がなくて苛々しているのか、テーブルを指でコンコンと叩いた。窓の外を見ると、もう夕暮れは迫っているのか、アーケード内にはライトが燈り始めている。 「『サブリミナル効果』って知ってる?意識下に刺激を与えることで、表れる効果のことなんだが」 「うん。テレビでやってた」 「じゃあ、『カリギュラ効果』は?」 「カリギュラ?何それ?」 「もともとはアメリカ映画の名前なんだけどさ、内容が過激過ぎて一部の地域で公開禁止になってしまったが、そう聞いたらきになるだろ?怖いもの見たさで」 「うん。見てみたい気もするし、やっぱ。やめとこうって思うし、気にはなるかなあ」 「例えば、高い所から下を見ると吸い込まれそうな、飛び降りてしまいそうな感覚とかないか?」 「あー!わかる!」 「そう、その感覚が『カリギュラ効果』だ」 そこまで話して、智広兄さんは小さく息を吐いた。 「僕らは、あの土地でその二つの効果に似た衝動催眠を受けている可能性が高い」 「え?」 「僕はそれが、『呪い』の正体の一つだと思っている」 それって、思い込みってことなの? 「でも・・・実際に智広兄さんだって、体験しているでしょう?なら、どうして智広兄さんは、止められなかったの?」 「うーん、厳しい指摘だな。あれは、もう決まっていたことだ。僕も、あの土地で生まれてしまったから仕方ないよ。無理に抵抗すれば、余計にフラストレーションが高まって、酷い目に遭っていたと思うね。でも、拒否しようと思えば出来たとは思うよ」  私は呆然と、ただ目の前にある平然とした顔を見つめた。 いたずらに混乱させられているようで、頭がクラクラする。それじゃあ、私がした行為は何だったのか。 「でも、ずっと皆がかかるような、そんな催眠術って―――」 「それが土地柄ってやつだよ。ずっと住んでりゃ、色々な事を言われるからな。しかも、聞こえない程度に話すから、余計に性質が悪い。気になるだろ?ヒソヒソ話って」  布津の家に初めて行った時の事を思い出す。 「うん・・・」 「そうやって、潜在意識に『呪われている』ということが事実として植えつけられていく。さらに滑稽なことに、僕らの先祖はその噂話に怯えて、そして何らかの原因で怪我をした仲間を見て『呪い』だと思い、次が自分だと思い込む。ヒステリックな連鎖反応、メビウスの輪のように終りがないのはそのせいだ。この夏、僕と百合ちゃんは『呪い』にかかった。それを知って、美祢子と保都は『呪い』を実行したんだ。いいかい?ちょっと整理してみようか。ああ、ペンとノートを貸してくれ」  私は慌てて、リュックからペンとノートを取り出した。ティーカップを退けて、テーブルに広げる。周りの客や、ウェイトレスが訝しそうにこちらを見た。少し恥ずかしい。  智広兄さんは、まるで周りなど気にしないといったふうに堂々としている。そして、その手は綺麗な字をノートに並べていく。  一、自分たちは殺されないキリシタンとして、特権的地位にある。それは罪悪に思えた。ゆえに、殉教したキリシタンに呪われているのではという不安がある。 二、さらに、周囲から妬まれ、様々な噂話をされる。『たたら』の中で怪我をすれば、周囲から「呪われている」といわれ、処刑場には「殉教者の幽霊が出る」などの噂があった。それはものすごい圧迫感となる。 三、一方、製鉄の神『金屋子神』は『黒不浄』を好む。 四、製鉄が上手くいくのは、キリシタン殉教者を『金屋子神』に捧げているからかもしれないという、思いこみが発生する。 五、ちょうど『大柄沢洞窟』は『たたら』の南にあった。キリシタンにとって、イエス、マリア像は自分の命だ。その上、イエスは十字架、柱に掲げられている。 六、実際、処刑場から拾ってきた石などを柱に掲げると、鉄はよく溶けた(これは祈りを唱えるとよく溶けるということと同じく、気のせいだろう)。 七、しかし、自分たちが犠牲になっていないのは、とても悪い気がした。ならば、我々も何かを犠牲にしなければならない。 八、そうするうちに、連鎖的に身内に怪我人が続出した。これは『呪い』に違いないと、思い込む。しかし、そう思うのは怖い。ならば、『金屋子神』に自分を捧げていると思ったほうがましだ。いや、それは我々の使命である。 智広兄さんの考えているキリシタンの『呪い』の原因になったものは、八個あった。 「と、これぐらいかな。僕らの先祖はこういった理由から、精神的に追い詰められていたんだ。人間は満たされない欲求や不安、葛藤などのストレスを抱えると、『適応機制(てきおうきせい)』といった、現実からの逃避によって解決しようとする精神が働く」 「何それ?」 「教育心理学でよく言われているんだけどね。大きく分けて三つ、『攻撃型』、『自己逃避型』、『自己防衛型』がある。僕らの『呪い』は、この『適応機制』が為せる業だ。僕は、自己同一性がない、精神の不安定である若い時期に『呪い』は発生すると考えている。自分が呪われる、つまりわざと怪我をする事によって罪悪感から逃れ、自分を傷つけるのは理由があるのだと、意思を持たせて正当化した、かなり自虐的な行為に走ったわけだ」  それじゃあ、私達は自分で自分を傷つけて、それをずっと『呪い』だと? 「でも!『呪い』はキリシタンの拷問方法に似ているって、智広兄さん、言ったじゃない!私、拷問なんて知らないもの!」 「あのね、拷問ぐらいの話は、聞こうとする意識がなくとも耳に入ってくるものなんだ。僕も小学校の頃、『こうやってキリシタンは殺されたんだぞ』って同級の奴らに言われたことがあった。小学生がそんな事を自ら知ろうとするわけがない。テレビなんかで聞いただけだ。しかし、僕らにとっては、そういった生半可な知識が詰め込まれていくと、罪悪感から忘れようとして意識の下に沈む。それは確実に精神を締めつけていく。何げない時にまでそう考えるようになれば、行動も『呪い』は存在するという方向になる。わかるだろう?忘れようとすれば、現実を思い出すしかない。それを繰り返せば、深みにはまるだけだ」  智広兄さんの言ったことは、夏休みが終わってからの私の心の動きに似ていた。 「僕らはそれを認識していかなくちゃいけない。そのためにも、これでもかというくらいの、確かな知識が重要なんだ。中途半端な知識では、余計に『呪い』を増幅させていく。そこには、冷静に判断できない思い込みや決めつけが生まれる。それに、『呪い』の様々な衝動は個々の経験から連想される。保都のキーワードは『火』だった。あの土地からの『呪われている』という催眠、家族からは正当化された欲求としての自虐的行為を要求される中で、それは増幅していったんだ。僕らがあの行為を儀式や使命のように感じたのは、惨い行為を正当化しようとしたせいだ。百合ちゃんの『爪を剥ぐ』という強い衝動のきっかけは、お祖父さんの家に来た時に起きなかったか?」 そういえば―――。  私は黙って頷いた。智広兄さんは、面白くなさそうに短く息を吐いた。 「そういう土地柄だし、そういう家なんだ。『この子もそうなるんじゃないか。そうなるだろう』って、家族ですらそんな目でしか見れない。美祢子もそうだが・・・保都は少し神経質な性格でね。この話をしても、全く冷静に聞くことが出来なかった。取り返しがつかないぐらいに、信じ込んでいたんだ。だから、あそこまで酷い結果になったんだろう・・・」 「じゃあ、私の『呪い』が軽いのは・・・」 「もちろん、あの町から遠く離れて住んでいることもあるだろうけど、根が単純だからってのが一番の理由さ」 「ひどーい!なんか、私が馬鹿みたいじゃん!」  私が頬を膨らますと、智広兄さんは「さっきまで深刻そうだったのになあ」と、頭をかいた。 私ですら、あの行為に至るまで二年間も悩んだのに、これで単純だと言われたら、藤蔓保都はどれほどの強い衝動に悩んでいたのだろう。  智広兄さんは、夜になっていくアーケードを見下ろした。行き交う人達を、冷ややかに見つめている。 「この事実を裏付けるように、だいぶ早くから一族のほとんどがあの土地から離れている右名沢と箕輪の家は、最近『呪い』の被害者が少ない。僕より三つ上の奴がいるんだが、怪我一つせず平気そうにしている。そういった欲求は起こってこないそうだ。・・・僕は駄目だったね。高校まで藤沢に住んでいたから、皮を剥いだよ。でも、『呪い』には懐疑的だったし、性格も楽天家なんでね、比較的軽く済んだ。しかし、僕らの時代には『呪い』は危険過ぎるんだ。早めに対処しておかないと、保都のような犠牲者が次々に出るぞ」 「え・・・どうして?」 「残酷な殺人事件や出来事がすぐに入手できて、情報伝達がスピーディーだからさ」  ああ、そうか。  昔は、情報も溢れてはいないし、町中に広まるとしても時間がかかった。でも今は、テレビやラジオ、雑誌、インターネットで情報は溢れ、携帯電話でどこにいても連絡可能だ。もっと酷い拷問方法なんて、すぐに知れ渡るだろう。気づかないうちに自分で、そして周りも無意識に、何度でも何重にも『呪い』をかけることができるのだ。それが、中途半端な情報であればあるほど判断に迷い、そして決めつけや思いこみを引き起こしていく。  八つの家の人達以外でも、様々な理由で簡単に『呪い』がかかってしまう時代に、私達は生きているのだ。 「僕らの罪悪の象徴は『たたら』にある。あれがあるかぎり、『呪い』は一回きりだと言ったが、神経質な人間ならば、若いうちに何度でもかかる恐れはあるんだ。僕もそうかもしれないし、百合ちゃんもそうかもしれない。しかし、詳しく知っておけば、そんなに酷い行為はしないだろう。怖い怖いばかりでは、冷静さを失って深みにはまる。『反動形成(はんどうけいせい)』っていってね、過度に押さえた精神は、爆発的に逆方向へ転嫁されるんだ」  最後に哀しそうに微笑むと、智広兄さんは立ち上がった。 「これで話は終わり。さて、遅くならないうちに帰らないと僕が誘拐犯になってしまう」  私はノートをリュックに押し込むと、立ち上がった。 「・・・布津の『たたら』は、なくしてしまうの?」  祖父は『たたら』の仕事に誇りを持っている。廃れてしまうのは気の毒だ。しかし、継ぐ人がいたら―――。 「僕もなくしたくないが、他の皆があれでは・・・。どうしようも出来ないよ」  智広兄さんは強い人だ。きっと、この人は二度と『呪い』にかからないだろう。  私は?私は、どうなのだろうか。  そう思うと、いくら『呪い』ではないと思っても、怖かった。怖がってはいけないと思えば思うほど、怖かった。  また、あの欲求が起こってしまったら、私はどうやって対処したらいいのか。  私の目には、藤蔓保都が焼きついている。    午後六時過ぎに風月堂を出て、さらに慌ただしくなったアーケード街を歩く。そこから右に曲がって裏通りに入り、停めてあったバイクに飛び乗った。その時、智広兄さんは後ろを振り向き、優しく微笑んだ。 「もし、あの欲求がまた起こったら、迷わず僕の所に来い。少なくとも、『爪を剥ぐ』以下にすることはできるだろう。大丈夫、大事には至らないさ」  智広兄さんは不思議だ。私が不安に思っていることが、わかっているようだ。強い人から「大丈夫」と言われると安心する。  エンジン音が夜の街に響き渡ると、私は智広兄さんにしがみついた。 「離すなよ」  バイクに乗るたび、同じ事を言う智広兄さんがおかしくて、私は吹き出した。すると、ヘルメットをコンと叩かれた。
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