【十三歳現在・過去】

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【十三歳現在・過去】

 私は自宅のある仙台から、岩手県の県境にほど近い東和(とうわ)町に住む祖父母の元に預けられた。私は嫌だったが、母が落ち着くまでは静かな所で養生したほうがいいと言い張った。 父はそうでもないが、母の目は明らかに私に対して嫌悪していた。それが辛かった。  八月になり、両親も来て、親戚一同がお盆で集まった時はまだ楽しかった。しかし、皆がそれぞれの住む街へと消えていくと、私は取り残されたようで哀しかった。包帯もまだ取れず、箸はおろか、靴も履けない。スプーンとサンダルで毎日を過ごしていた。傷は治癒し始めていたが、何をするにしても少し痛かった。痛くて、泣きたくなった。 祖父母はとても無口な人たちだから、会話も少なく寂しい。いや、私の怪我について訝しがっているのかもしれない。帰ってしまった親戚も、私の怪我については何も聞かなかった。たぶん、全員が知っていて、全員が気を使っているのだ。馬鹿みたいだ。  小高い山々に囲まれた町は、田舎といえば田舎だが、山奥というわけではない。水田が多いだけの、何の変わり映えのない町。夏は蛙や蝉の鳴き声が悲鳴のように聞こえる町。『ホタルの里』があるのどかな町。すぐ近くに牧場がある、『布津(ふつ)』と表札がかかった広い平屋が父の実家だ。  私が布津の家で暮らし始めると、家の外でヒソヒソと噂をする人達をよく見かけた。明らかに私を、特に包帯を巻く手足を見ては、さっと散っていく。ただでさえ、親元を離れて不安であるのに、私の事を噂しているのかと思うと、辛くなった。もしかして、祖父母が私の怪我の事を他人に話したのだろうか。どう見てもあれは、私を見る母の目に似ていた。  誰も頼る人はおらず、私は一人で怯えていた。  私の祖父は、日本刀などを作っている鍛冶職人だ。昔、右目に怪我を負った祖父は、もう片方の目を駆使しながら、数人の年老いた職人と、夏の暑い日にも『たたら』で汗だくになって砂鉄を溶かし、鉄を打つ。  『たたら』とは、昔ながらの製鉄炉をいう。 大人の胸の高さほどある台形で、中がくり抜かれている。そこに炭を入れて火を焚き、砂鉄を溶かして造る『玉鋼(たまはがね)』は、現代の技術でも造り出すことは難しい純度の高い鉄だと、祖父は誇らしげに言う。 『たたら』は、母屋のすぐ隣にある『炯屋(どうや)』と呼ばれる鍛冶場の中にある。 母屋より一回りほど小さい屋根、黄土色の土壁、ざらざらと土が剥き出しの床、高い天井が熱さを逃がす、水車がバシャンバシャンと回り川の水を水場に注ぎ込こむ、そして、大きな四本柱に取り囲まれた『たたら』がある、それが『炯屋』。 祖父たちは、鉄を精製し始めると三日ほど『たたら』を離れない。  私は幼い頃から慣れ親しんでいるが、その光景は凄まじいものがあった。一心不乱に鉄に向かう男たちは、真剣そうに見える顔に喜びをわずかに浮かべながら、煌煌と燃える『たたら』を見つめている。  この地域一帯はその昔、鉄の産地として、伊達藩を支えた地域だったらしい。徳川家康も豊臣秀吉も関心を寄せたほどに、鉄の生産が盛んだったそうだ。だから、祖父が鍛冶職人であることにも何ら違和感がないが、ただ一つだけ、不思議に思うことがあった。 『たたら』を取り囲むようにある、四本の柱である。  その四本の柱には、それぞれ鉄製の像が飾られている。三本はイエス・キリストが磔にされていて、南の柱だけにマリア像がある。 この像たちは、祖父が造ったのだそうだ。  私の祖父母はキリスト教のカトリック信徒だ。もちろん、私の父も、そして私もそうだ。母だけが仏教徒である。布津の血を引くものは、全員キリスト教徒である。  鉄の生産で有名だったこの地域は、東北の長崎と呼ばれるくらいにキリスト教にまつわる話が多い。ここは、キリシタンの町だったそうだ。だから、私は生まれながらにして信徒になったことにさほどの違和感はない。  しかし、キリスト教と製鉄とは変な組合せだ。  祖父は『主の祈り』を唱えながら、『たたら』に向かう。そうすると、鉄がよく溶けるのだそうだ。 「天にまします、我らの父よ。願わくば、御名の尊ばれんことを、御国の来たらんことを―――」  キリスト教徒だから、四本の柱に聖像なのだろうか。  『たたら』の火が落ちた時に、祖父にその疑問を質問してみた。 「どうしてイエス様の像が飾ってあるの?どうして、あの柱だけマリア様なの?」  祖父は、優しく笑った。 「わしらの先祖はなあ、鉄のおかげで命を救われ、イエス様のおかげで心を救われた。信仰する神様に感謝する気持ちと一緒に、『たたら』の神様でもある『金屋子神(かなやこしん)』にも感謝する。南の柱にマリア像を立てるのは、その方角に『金屋子神』がいらっしゃるからだよ」 「『たたら』の神様は、イエス様たちが好きなの?」  素直に質問を返すと、祖父は困ったように顔をしかめた。そして、怪我をして潰れた目を擦った。    その話を聞いた夜は、全く眠れなかった。  頭の中で、イエス様の悲痛な顔とマリア様の優しい微笑がぐるぐると円を描いて、私を放してくれなかった。  『かなやこしん』とは、一体どんな神様なのだろう?同じ救世主なのだろうか。  祖父の困ったような顔。『たたら』の神様とイエス様たちは、私には理解できないような難しいつながりがあるのだろうか。   田舎の夜は静かすぎて、怖い。  ズキンズキンと手足も疼く。  闇の中で色々なことを思い描いているうちに、私は疲れ果てて眠りについた。  ああ、嫌やんだ。また、あの場所さ、通らねばなんねえ。  おらたちにとっちゃあ、あの場所は地獄より酷い。毎日、誰かが咎められ連れ去られていくでばよ。そん度、おらたちさ向けられるのは、刀よりおっかねえ嫌悪とへばり付く羨望の目だでばよ。 神は何をしてるのっしゃ?誰もおらたちを救ってはくれねえ。 「次!」  断罪にも似た声が、村の男を進ませる。  踏めっでばっこの、踏め!んでなければ――――。 「だめだでばあ・・・踏めねえ!踏めねえよ!」  そう言って、男はへたりこんだ。その男を、役人は容赦なく蹴り倒す。 「連れていけ!次!」  ああ、嫌だ。皆、そんな目でおらたちを見ないでけらいん。おらたちは踏まなくてもいいっけよ。 皆が泣き叫ぶ声を背に、八人は心を押し殺して足を前に進ませる。役人が薄ら笑いを浮かべて、八人に唾を吐きかける。  ああ、おらたちにも踏ませてけらいん。おらたちも。  んだすけ、罪人はおらたちだっちゃ――――。  次の日、祖母の慌しい足音で目が覚めた。 時計を見ると、まだ午前六時を少し過ぎたばかりだ。しかし、夏の太陽はもう昇っていて、熱気をそこら中に振りまいている。  祖母は、普段は穏やかな人で滅多に慌てたりしない。旧姓を土佐(とさ)といい、岩手県藤沢町からこの町に嫁いできたそうだ。岩手県と言っても、東和町とは県境を挟んで隣町である。東和町もそうだが、藤沢町もキリスタンの町なのだそうだ。ゆえに、祖母もキリスト教徒であることに幾ばくの違和感もない。  とにかく、祖母が騒いでいるから、何が起きたのだろうと不安になった。パジャマのまま起き上がって、声のする部屋へと歩いていった。  廊下を曲がり、茶の間の前まで来た時に、祖母の声が聞こえた。 「実家の智広(ちひろ)が、自分の腕の皮を剥いだっけよ!」  祖父がうるさいと言わんばかりに、バン、と机を叩いたために、私は驚いて体をすくめた。なぜか聞いてはいけない話のような気がして、二人の前に出ていけなかった。  『皮を剥ぐ』、それは私がした過去の行為に似ている。 「落ち着けっこの!何も命には別状はないでば。お前も経験しとるっちゃ?」  祖父は不思議なことを言い、奮い立つ祖母の気持ち鎮めようとしていたが、祖母は『前はどこそこの誰が手に串を刺した』、『次はどこどこの誰だ』と、不思議なことを次々と言い、全く落ち着かなかった。  祖母が経験した? 『皮を剥ぐ』こと? 『串を刺す』とは?  私はそっと、自分の部屋に戻った。祖父と祖母は、喧嘩にも似た会話を延々と続けている。  祖母の実家、土佐の家と、布津の家とは昔からつながりがあるそうだ。この地域で製鉄が盛んだった頃、『炯屋』を取り仕切っていた家らしい。同じような家に生まれた祖父と祖母は、当然のごとくに幼馴染みだった。  同じような家での、同じような行為。 『ちひろ』とは誰だろう?会った事のない親戚だ。どうして皮を剥いだのか。  串を刺した人は、生きているのだろうか?どうしてそんなことをしたのか。  祖父も経験したのだろうか?あの行為を。私に対して妙に落ち着いているのは、その所為かもしれない。 すると、私の父も経験しているのだろうか?叔父も叔母も、いとこたちも?それで、私に何も言わなかったのだろうか。だとしたら―――。 この家が怖い、ものすごく怖い。 体の内部に、暗い黒い感情がじわじわと私を落とし入れるように広がっていく。  漠然とした不安と恐怖の中、私は手足を見つめて独り、部屋で震えていた。  数日たって、祖母と私は、岩手県一関市にある病院へ行くこととなった。自分の腕の皮を剥いだ親戚を見舞いに行くためだ。祖父母は、私が見舞いに行くことを反対したが、新しい服が欲しいと言って無理についてきた。  本当は、会いたかったからだ。  『土佐智広』と札ある病室をノックすると、低いがよく響く声が返事をした。 「どうぞ」  ガチャンとノブを回して戸を開けると、ベッドに大学生ぐらいの若い男が体を起こし座っていた。半袖から見える腕には、包帯が厳重に巻かれている。  祖母は何やら気まずそうに、見舞いの言葉を述べると、おみやげのクッキーを差し出した。男は照れながらそれを受け取ると、包装紙と取り外し、小分けにされたクッキーの袋を私に差し出した。 「はい、おすそわけ」  土佐智広は、私に優しく微笑みかけた。私は恐る恐る受け取った。祖母が何も言わずに、お茶を入れてくれた。  その日は、たわいもない話をしながら一時間ほど滞在し、私と祖母は家に帰った。  そして次の日、私は当然のごとく土佐智広の病室に行った。祖父母は、もはや何も言わなかった。 「『ちひろ』でいいよ」  本人からそう言われたが、六歳上の人を呼び捨てにするわけにもいかない。私は、『智広兄さん』と呼ぶことにした。 二人きりで対面して、話す事といえば決まりきっていた。 「智広兄さんは、どうして自分の腕の皮を剥いだの?」  智広兄さんは、苦笑して頭をかいた。 「うーん、理由はわかっていたんだが・・・。まあ、衝動については押さえようがなかった。百合ちゃんもそうだろう?話は聞いたよ。爪、剥いだんだってね?」 「うん。何かね、その時はすごく大切な儀式みたいに思えたの」 「僕もそうだ。そうだなあ、自分がそうなるであろうことを予測していた分、儀式的意識は百合ちゃんよりあったかもしれない」  予測?やっぱり、父も親戚の皆も経験しているのだ。あの行為を。  しかし、知っていたのに、どうしてあんなにも痛々しい行為を止めなかったのだろう。 「痛くなかった?」 「終わった後は痛かった。剥いでいる間は興奮していたし、喜んでいたようにも思えるよ」 「あ!私も。ねえ・・・親戚の皆もそうなの?」  怖いけど、聞きたい。  智広兄さんは、一瞬だけ深刻そうに表情を曇らせた。そして、優しく微笑んだ。 「たぶんね。誰も何も言わないけど、そうだよ」 「土佐の家と、布津の家はそうなの?」  そこでまた、智広兄さんは表情を曇らせて顎を擦っていたが、短く息を吐くと、私を見た。 「そうだ。藤沢町と東和町に残る六つの家、合計八つの家の血を引く者は、だいたい経験するらしい」 「八つの家?誰から聞いたの?」 「八つの家以外の、近所の人達から。僕はずっとここに住んでいたからね。口さがない奴も多いから、『呪われている』って小さい頃よく言われたよ」  呪われている?あの行為が、呪い? 体が急に鬱陶しくなり、傷ついた手足に思いっきり力を入れた。それでも傷はズキンズキンと、私を告発するように痛み出す。怖くて、体が震え始めた。  永遠に続いていくのだろうか。 そう思うと、自分が怖い。  よほど顔が強張っていたのだろう、智広兄さんが私の手を握ってくれた。 「怖いだろうけど、たぶんもう二度とあの狂気じみた欲求は起こらないよ」 「・・・どうして、わかるの?」 「僕は、大学で史学科に通っているんだ。それで、この地域の歴史や自分の祖先について調べている。どうも、僕らの代でこの『呪い』は終わるらしい。いや、終りにさせることが出来ると言ったほうがいいかもしれないな」 「終りにさせる?」  嫌だからといって、『呪い』を終わらせることなんて出来るのだろうか。そんな不可思議で便利な呪いがあるのだろうか。  そんなことがあるはずがない。 きっと永遠に続くのだ。 私の子供は爪を剥ぐ、絶対に。  それでも、智広兄さんは頷いた。 「僕の父も、その他の家の人達も、『たたら』を使える人はもういなくなる。僕らの祖父母の代で、八つの家の『たたら』は消えてしまうんだよ」  『たたら』と八つの家、そして不可思議な『呪い』。謎かけのような言葉が、蝉の悲鳴と共に私の耳に入ってきた。  暑い、熱い。
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