【十三歳現在・過去 土佐家】

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【十三歳現在・過去 土佐家】

 しばらくして、智広兄さんは退院した。  傷はまだ痛むそうだが、入院しているほどでもないらしい。皮膚を剥がした部分に、自分の太ももの皮膚を移植させたから、治癒が早いのだろう。  私は退院祝いのケーキを持って、地図を頼りに自転車で会いに行った。県境まではさほど遠くなかったが、藤沢町に入ってからは道程が長い気がした。太陽が私をジリジリと焼き、包帯に汗が滲む。  土佐の家の前に来て自転車を降りると、近くの主婦らしき人達が集まって何やら話をしていた。そういえば、布津の家の前にもこんな人達がいた。すると、この人達も智広兄さんの怪我を訝しがっているのだろう。私達が怪我をするのは『呪い』だと知っているのだ。  案の定、私が土佐の家に入っていくと、昼下がりの主婦達は気味悪そうに散り散りになっていった。  母の目に似ていて、辛い。  頭を振って、自分を強く持つと、自転車を置いた。 視線を上げると、最初に『炯屋』が目に入った。布津の家とは違い、萱葺きの屋根は荒れ果てていて、寂しく感じた。回り込んで裏手を見てみると、水の流れのない溝があり、水車は時間を止めたように動いていない。所々、板が抜け落ちていた。 「『たたら』を使える人はもういなくなる」  伝統というものはいつか廃れていくのだろう。よく、後継者不足ということを耳にする。大量消費、大量生産、飽食のこの現代に、誰も苦労をしてまで慎ましやかな生活を送りたいとは思わない。みんな、田舎から出ていく。私の父にしたってそうだ。何も若い人達だけが、古き良き時代をないがしろにしているわけではない。  母屋のほうは、布津の家より大きい。広い土間の玄関に足を踏み入れて、声をかけた。 「こんにちは!布津百合奈です」  しばらくして、智広兄さんの母親らしきおばさんが現れて、私を案内してくれた。 「あらあ、暑かったでしょう?わざわざどうもね。今、冷たい麦茶を入れてあげるから」 「ありがとうございます。あの、これ、祖母から」  私はパウンドケーキの箱を渡した。おばさんは喜んで、後で麦茶と一緒に持っていくからと言った。  階段を上がり、向かって右側の扉をノックする。返事はなく、おばさんが勝手に開けた。  智広兄さんは、クーラーの良く効いた部屋で本を読んでいた。訪問者に気づく素振りはない。 「ほら、智広!布津さん所のお嬢ちゃんが、お見舞いに来てくれたわよ」  おばさんが呆れたように大声を出すと、智広兄さんは驚いて顔を上げた。そして、照れたように笑った。 「ああ、ごめん、ごめん!やあ、よく来たね。けっこう遠かっただろう?今、麦茶でも用意するからさ」 「もう!用意するのは母さんでしょ?生意気に親を扱き使って。怪我が治ったら、働いてもらいますからね」  おばさんは智広兄さんに、冗談めかして厳しく言うと、私にはにこやかに「待っててね」と言って、部屋を出ていった。 「ごめんな、うるさい親で」 「そんなことないよ。いいね、明るいお母さんで。それに・・・智広兄さんのこと、怖がってないね」 「そりゃあ、うちの母親も八つの家の中から嫁いで来たからね。自分も経験している事だし、怖がってもどうしようもない事だからじゃないかな?百合ちゃんのお母さんは、普通の家の人だろ?」 「うん、そうだけど・・・」 「心配しなくても、時間が経てば忘れちまうよ。爪が伸びちゃえばね。百合ちゃんだって、もう『爪を剥ぐ』なんてしたくないだろう?」 「うん」  再びノックの音がして、おばさんが麦茶とパウンドケーキをお盆に乗せてやって来た。  おばさんも、あの行為をしたのか。  見た目には何の傷もない。私も、時が経てば何の痕も残らないだろう。そうして、記憶が風化していくのだろうか。  智広兄さんは、おばさんの行動を覗いながら顎を擦った。 「そうだ、百合ちゃん。夏休み、もうすぐ終わるけど、宿題は終わった?」 「え?ううん、まだだけど・・・」 「僕の家に持っておいでよ。これでも、二年前は受験生だったからね、五教科なら教えてあげられるよ」 「ホント?良かった!まだ、全然手をつけてないの。ペンを持つと、指が痛かったし」 「そうか。明日からでも、来るといいよ」  おばさんが楽しげに、「役に立つのかしらねえ」と笑いながら部屋を出ていった。智広兄さんが肩をすくめた。 「まあ、これで百合ちゃんがうちに来る理由は出来たわけだ」 「うん」 「知りたいだろう?自分に何が起こったのか?」 「うん」 「よし、まず八つの家のことを教えよう」  智広兄さんは、机の引出しからノートを取り出して開いた。そこには綺麗な字で、細かく文字が敷き詰められていた。 「この地域で、その昔、製鉄の指導者となったのは八人の技術者だった。僕の家である土佐家、百合ちゃんの家である布津家、僕の母親の実家である藤蔓家、大柄家、大篭(おおかご)家、千松(ちまつ)家、右名沢(みなさわ)家、箕輪(みのわ)家。この家の先祖たちを『炯屋八人衆(どうやはちにんしゅう)』と呼んだそうだ」  千松家と大柄家、大篭家は知っている。布津の『たたら』手伝いに来ている、祖父と同年齢ぐらいの人達がそうだ。 「その人達は鉄を作るのが上手かったの?」 「まあね。製鉄法『たたら式』を教え伝えられたのがその八人だったから、当然といえば当然なんだけど」 「『たたら式』って、おじいちゃんがやっている方法?」 「そう。川で採集した砂鉄を炭火で三日三晩溶かし続ける方法だ。これは、別名『南蛮流製鉄法(なんばんりゅうせいてつほう)』とも言う。出雲地方にも『たたら』があるけど、こっちはもっとダイナミックだ。『鉄完流し(かんなながし)』といってね、鉱山を切り崩して土砂を川に流すっていう・・・どうも話が逸れるなあ。まあ、鉄は戦争には欠かせない武器となる。だから、出雲の豪族は大和朝廷から恐れられた。そして、江戸幕府も伊達藩を恐れた。僕らの先祖が学んだ製鉄法は、西洋から教え伝えられたものらしい」 「だから、ここにはキリスト教にまつわる話が多いのね?」  智広兄さんはパウンドケーキを一口食べると、「甘い」と顔をしかめた。そして、机の上から煙草を手に取って、「吸ってもいい?」と申し訳なさそうに言った。私は黙って頷いた。  煙草に火をつけて息を吸うと、その先端が煌煌と赤くなった。 「うーん、そうだな。そう言ってもいいかな?当時、この地域に『千葉土佐(ちばとさ)』という人がいてね」  『土佐』は智広兄さんの苗字だ。 「まあ、うちの先祖らしいけど、その人が関西のほうで盛んに行われている『たたら式』の製鉄をこの地でやろうと、技術者を誘致したんだ。それで、一五五八年頃、今の岡山県から『たたら式』の技術者、『布留(ふる)大八郎(おおはちろう)・小八郎(しょうはちろう)兄弟』をこの地に住まわせた」  『布留』、私の苗字に似ている。 「たぶん、君の家の先祖がその兄弟だ。元々この地に住んでいた家が製鉄を教わるうちに、兄弟の家と婚姻関係になったのだろうね。そうそう、ここでは別名『千松兄弟』とも呼ばれている。これはね、彼らの『炯屋』があった所が、千松沢という地名だからだ」 「じゃあ、千松の家の人も、元をただせば私の家と同じ先祖なの?」 「たぶんね。推測ばっかりで申し訳ないけど、そうはっきりとした記述が残っていないんだ。で、その兄弟から製鉄法を教わった八人が『炯屋八人衆』だ。ここまでは、いいかな?」  私はパウンドケーキを食べながら頷いた。 自分の分を食べ終わると、智広兄さんが食べ残しているものを見つめて、「食べてもいい?」と訊いた。智広兄さんは笑って、「いいよ」と言った。  二本目の煙草が燈る。 「君の家は、キリスト教を信奉しているだろう?」 「うん。それがどうしたの?」 「この地にキリスト教を広めたのはその兄弟だからさ。君の所はその血を受け継いでいるからね。いまだに信仰が厚いのはその所為だ」 「ふうん、そういえば智広兄さんの家は?」 「曽祖父の頃から仏教徒だよ。僕は無宗教。君のお祖母さんは洗礼を受けたけどね。今でもキリスト教を信奉しているのは、八つの家の中では布津家と千松家だけだ」 「ふうん、その兄弟はキリスト信者だったのね?」 「そう。ここで質問です。キリスト教を日本に布教したのは誰?」 「フランシスコ=ザビエル!一五四九年に鹿児島にやってきて、教え伝えました」 「正解。彼は、岡山でも布教活動をしていた。『千松兄弟』は岡山出身だから、その影響を受けていたわけだ。そしてね、これが面白いのだけど、『千松兄弟』が製鉄をする時にあるお祈りをすると、よく砂鉄が溶けたのだそうだよ。だから、『たたら式』製鉄を教わった人々は喜んでその祈りを唱えた。たぶん、それはキリスト教の祈りだ。だからね、『たたら式』が広まっていくのと同時にキリスト教も広まっていったんだ」  祖父も『主の祈り』を唱えている。時々、『聖母マリアの祈り』に変わったりもする。そんな歴史があったのか。 「だから、うちの『炯屋』の四つの柱には、イエス様とマリア様の像があるの?」 「え?ああ・・・それは、ちょっと違うんだ」  智広兄さんは困ったように顔をしかめた。あの時の、祖父と同じ顔だった。煙草の先端を見つめて、考え込むような素振りをする。 「・・・とにかく、砂鉄を溶かすためは炭を大量に使う。その原料となる木材を求めて遠くのほうまで行くこともあるから、どんどんとキリスト教は広まっていった」 「弾圧は?禁教令ってあったよね?」 「さて、いつでしょう?」 「一六一二年」 「良く知ってるね?」 「ちょうど今、やってるもん」 「いい復習だね。しかし、伊達政宗(だてまさむね)はその翌年に幕府の許可をもらって、かの有名な『支倉常長(はせくらつねなが)』をスペインに派遣している。『後藤寿庵(ごとうじゅあん)』って知ってる?伊達藩の家臣なんだけど、その人も一緒に派遣された。これは、政宗が外国との貿易を目指していたからだ。政宗は貿易のためにキリスト教を容認する構えだった。それに、製鉄の保護も合間ってキリシタンを見て見ぬ振りしていたんだ」 「じゃあ、仙台のキリシタン達は生き延びたのね?」 「いや、やはり弾圧はすぐにやってきたよ。前にも言ったけど、鉄を生産できるということは軍事力を増幅できる事になる。もちろん、有能な農業道具を作ることが出来れば、生産力も高まる。それと同時に、国は大きくなっていく。それを恐れた幕府が厳しく取り締まるようになったんだ。政宗が死ぬまでは、その意向からこの地の人々は弾圧を逃れられた。しかし、政宗の死後はこの地方にも弾圧の手が延びた。ここだけでも、三百人以上の人達が処刑されたそうだよ」  智広兄さんは、苦々しそうに煙草をもみ消した。 「・・・僕らの家が、最近までキリスト教を信奉できたのはなぜだと思う?」 「うーん、信仰が厚かったから?」 「違うよ、もっと現実的な側面を持っている」  現実的な側面?キリシタン弾圧でも、逃れられる条件?  ――――そうか、優秀な製鉄法を知っていたからだ。 つまり反対に、製鉄法を知らないキリスタンたちは処刑されたということになる。 同じキリシタンが殺されていく様子を、私達の先祖はどんな目で見ていたのだろうか。そして、殺されていく人達は、私たちの先祖をどんな目で見ていたのだろうか。 私が顔を強張らせると、智広兄さんは哀しく微笑んだ。 「僕らの家は、この地域では結構嫌われている。改宗せずに生き残れた、特別待遇の一族だからね。妬み嫉みの対象なんだろう」  三本目の煙草に火が燈る。  私はここで暮らしているわけではない。智広兄さんは直に感じてきたのだ。奇異と嫌悪の視線を。  まるで、私の母のような目を。 「今日はここまで。明日にでもまた、宿題を持って来るといい。暗くならないうちに帰ったほうがいいぞ」 「うん・・・」  土佐の家を出ると、外はもう夕暮れで太陽が煌煌と赤い光を放ち、私は血に染まったようになった。  今からでも遅くねえ!転べってばよ! 「切り捨てい!」  一斉に振り下ろされる残虐な刀、一斉に飛び散る断末の血。  中には一度に切り落とせなかったために、何度も何度も切られている首もあった。  刑場の外には、殉教を哀しむ者たちが涙を押さえて無言で立ち尽くしていた。殉教したキリシタンの躯は埋葬すら許されない。明日は我が身だ。そう誰ともなく思う。 おらたちを見る、その眼が・・・おっかねえ。 『あんたらさ、天に行くことねえ』 んだとも、おらたちもイエス様を信じてんのっしゃ。んだとも、イエス様はおらたちを救ってくれんのっしゃ?  おらたちだども、製鉄が上手くいかんかったら――――。製鉄がおらたちさ、救ってくれるっけよ。  んだすけ、おらたちは鉄を造らなんねえ。  んだすけ、おらたちさ、そんな眼で見んでけろ。
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