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【過去:19歳夏・現在】
『千松兄弟』が製鉄をする時に、ある祈りを唱えると、よく砂鉄が溶けたのだそうだ。だから、『たたら式』製鉄を教わった人々は喜んでその祈りを唱えた。たぶん、それはキリスト教の祈りだ。『たたら式』が広まっていくのと同時にキリスト教も流布していった。
さらに、砂鉄を溶かすためは炭を大量に使う。その原料となる木材を求めて遠くのほうまで行くこともあるから、どんどんとキリスト教は広まっていった―――。
「悲劇の拡大だな」
僕はここまで書き終えてペンを置いた。ふと時計を見ると、もうすでに夜九時を回っていた。大学の図書館も閉館の時間である。
別に早くから卒論を書いているわけじゃない。これは、あの町に住む、憐れな一族に見せるためだ。
僕たちが『呪い』を受けていると知ったのは、ほんの幼い頃だった。口の悪い同級生たちが、面と向かって言う。
「お前んち、呪われてるんだってよ!うちのかあちゃん、言ってたぞ!」
「お前、どうやって死ぬか知ってるか?こうやって、首切られて死ぬんだぞ!」
僕は何も言わなかった。どうせ無駄なのだ。その子供の親に言ったとしても、嫌悪の目で見られるだけだった。それが、一番辛かった。
そう言って、苛められるたびに保都と美祢子は泣いていた。そして、親に必死に訊くのだ。
「ねえ、僕たち死んだりしないよね?」
烱屋の八つの家以外から嫁いできた母親などは、自分の子供がおかしくなったと思うらしい。そして、周りの陰口に神経をやられてしまう。皆、ヒソヒソとよく話すからだ。僕たちが怪我や事故に会うのを、当然だと思っている。
僕の父親は、指の骨を自ら全部折った。
僕の母親は、太腿の肉を自らえぐった。
僕はじっと、自分の腕を見た。
熱い。
僕の腕は踊っているように、熱い。
そして、誘っている。
しばらく経つと、手が震え始める。僕の理性が、あの欲求と戦っているのだ。
「ちっ・・・!」
僕はペンで腕を思いっきり刺した。
ブチッという鈍い音が人気のない館内に響く。シャツに染みてくる血を見て、僕はそっと息を吐いた。
これぐらいで済んでよかった。
「閉館の時間です、貸出を希望する学生は―――」
閉館のアナウンスが流れると、僕は書庫から出してきた本を返却棚に返した。疲れ切った足取りで、出口に向かう。
カウンターを通る時、図書司書の男が目ざとく僕の問題点を見つけて声をかけてきた。
「ちょっと、君!血が出てるよ。ほら、そこ!」
「ああ・・・。さっき、角にぶつけたんですよ。大したことはないです」
僕がそう言うと、男は怪訝そうな目を向けた。
それは、あの町にいた頃、始終受けていた視線によく似ていた。
外に出ると、ネオンに消されそうになっている星たちが、懸命に瞬いていた。月もない、真っ暗な帰り道を、僕は帰らなければならなかった。
ノートの内容は中途で終わっている。見せるつもりはなかったが、少しの間、保都や美祢子を落ち着かせるには丁度よかった。
読み終えた美祢子は、悲痛で顔を歪めていた。
「いまさら、過去のことを調べて何になるのよ?もう、苦しいの!考えたくない!」
「僕も考えたくない。でも、逃げていては始まらない。なあ、協力してくれよ・・・僕だって不安なんだ。いつ、あれが来るか・・・」
「いやよ!私だって精一杯なんだから!」
僕だって精一杯だよ。
何も信仰していない僕にとって、神が救ってくれることはないだろう。僕を辛うじて救ってくれるのは、この頭に詰め込んだ知識と科学への幻想だけだ。
僕は自分自身を信じ切れるのだろうか?
昔、神を最後まで信奉し殉教したキリシタンのように。
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