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少年はヴァルトルートを姫と呼ぶが、その態度は皇族を前にした卑屈なものではない。極度の敬愛でも、取り入ろうと心にもない世辞を言ってくるわけでもない。
少年の前にいるヴァルトルートは、一人の意志ある少女でいられた。
「姫様は大人だね。俺が姫様くらいのときは、もっと気楽に生きてたよ。ここで――宿屋で掃除夫や案内人の仕事はしてたけど、それはそれで楽しかった。……姫様が大人なのは、それだけ辛い思いをしてきたからなんだね。俺、勘違いしてた。皇族ってもっと偉そうで、望むことなんでもして、傍若無人な人たちの家系かと思ってたんだ」
女帝に知られれば処罰されかねない発言をして、少年はヴァルトルートを覗き込む。
「はじめてだ」
「……ガーくん?」
「こんな気持ち。変なんだ、姫様とずっと一緒にいたいって思う。明後日になったら姫様はバッハマン地方に向かって出発するのに」
胸の中が心地よいぬくもりで満たされる。自分と同じ気持ちでいてくれる、そんな幸せを噛みしめて、ヴァルトルートは少年の首筋にしがみついた。
「約束して。大きくなったら、僕をガーくんのお嫁さんにしてくれるって」
「そしたら、また会えるかな」
「会えるよ。夫婦になったら、ずっと一緒にいられるんだよ」
「……うん、そうだね。約束しよう。俺たちが大人になったら、結婚する。絶対だ。俺、姫様を迎えにいくよ」
ぱっ、とヴァルトルートの表情が輝いた。
「そうだ!」
(いいことを思いついた!)
ヴァルトルートはドレスの腰に巻きつけてあった袋を手に取り、その中からある物を取り出した。
悪戯を思いついた子どものような好奇に満ちた目で少年を見つめる。
「じゃあこれ、約束のしるしにあげる!」
ヴァルトルートが差し出したのは、銀色をした懐中時計だ。蓋部分に唐草の文様が描かれたそれは、たまに城にやってくる骨董屋から自分のために購入したものだった。
「僕、時計が大好きなの。いっぱい集めてるからこれあげる。これね、特別なお気に入りなんだよ。蓋をあけると音楽が鳴るの」
「貰っていいの? 大切なものなんじゃ」
「いい、約束のしるしだからガーくんに持っててほしいんだ」
少し戸惑った素振りを見せたが、少年は頷いて懐中時計を受け取った。
「ありがとう」
「がーくん、大好き」
「俺も、好きだよ」
抱きしめあい、お互いの頬にキスをして、最後に指切りを交わす。
――お嫁さんにしてね
その言葉は、少年の心に深く刻み込まれた。
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