第二章

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 ふわりとヴァルトルートのなかで好奇心にも似た高揚感が生まれた。  久しく感じなかった、背中に羽が生えたかのような感覚。 ――今、ここにいるヴァルトルートは、皇女ではなくただの少女 (わかってるんだ。どこにいても、何をしていても、皇女であることを忘れてはいけないって。でも、少しくらいなら――)  マクシミリアンの言葉に傷ついた心を、癒したかった。  ここには、ヴァルトルートと名も知らない男しかいない。……少しだけ。ほんの少し、皇女であることを隠して話をするくらい許されるはずだ。 「どうして泣いていた」 「え?」  唐突な言葉に、ヴァルトルートは思考を打ち切って顔をあげる。 「お前、泣いていただろう」 「な、泣いてないよ! 僕が泣くわけな……い」  男の手が、ヴァルトルートの目元をぬぐった。彼の手袋には小さな水滴がついている。それを見たヴァルトルートは、動揺を隠せないほどに瞳を揺らして唇を噛んだ。  ややのち、薄情するようにふいっと顔を反らす。 「別に、泣きたくて泣いてたわけじゃない」 「嫌なことでもあったのか」 「……ちょっと」 「聞いてやる」 「へ?」 「何で悩んでるんだ。聞いてやる」 「……」  ぽかんとして男を見上げれば、笑みの形をした仮面と目が合う。 (変な人だな)  初対面の少女が泣いていた。面倒くさがらずにその理由を聞きたがるなんて、何か目的があるのか、それとも単なる酔狂な男か。 「失礼なことを考えているだろう」 「……ちょっとだけ。本当に聞いてくれるの?」 「ああ」 「誰にも言わない? 秘密にしてくれる?」 「お前がそれを望むなら」  会ったばかりだ。名前も知らない。  なのに、ヴァルトルートはこの男にみょうな親近感を覚えていた。彼が持つ魅力なのか、気を許さずにはいられない何かがある。  男は辺りを見回して、樹の根が大きくせり出した箇所を見つけて歩いていく。  樹の根を椅子替わりに座り、すぐ隣をぽんぽんと手で叩いた。 「ここにこい」 「お、おじゃまします」  ちょこん、と男の隣に座る。  肘が擦れるほどに近い距離に、少しだけ胸がドキドキした。  けれど、今のヴァルトルートには浮かれるほどの余裕がない。仮面の男に出会って涙は引っ込んだが、 気を抜けばまた泣いてしまいそうだ。 「……何があった」 「酷いことを言われたんだ」 「何を言われた」 「僕のせいで、大切な人が怪我をしたんだ。……そのことを、言われた。僕が悪いのはわかってるよ。なのに、あんなふうになじらなくてもいいじゃないか。挙句に、僕の存在自体が間違ってるって、そう言われた、ら」  マクシミリアンの声音をありありと思い出して、また涙が溢れてくる。人前で泣いてはいけない。  なのに――。   ぐすん、と鼻をすすって袖で強引に目元をぬぐう。 「僕だって、精一杯頑張ってるんだ。足りないっていうから仕事だって増やしたし、社交だって出来る限りやってるよ。でも、僕は……存在自体が間違ってるらしいから、結局何をやっても駄目なんだって」 「……そうか。お前は、そいつに認めてほしいんだな」  すん、と鼻を啜って、男をふり仰ぐ。 「……僕が?」 「そう聞こえたが違うのか。認められないから、悔しくて泣いてるんだろう。頑張っているところを、褒めて欲しいんだろう」 「……僕が、マクシミリアンに褒めてほしい……?」  ふいに、脳裏に幼いころの光景が過った。  三歳になったばかりのヴァルトルートはマクシミリアンの手を引いて、庭園にある東屋でお花屋さんごっこをして遊んでいる。色とりどりの花を並べて、その花の名前を一つ一つ告げると――「よく覚えたな」と、マクシミリアンは優しく頭を撫でてくれた。  唇を噛む。  温かくて優しすぎた想い出が、なぜかとても痛い。
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