第二章

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(……ああ、そっか)  仮面の男に言われて、初めて気づいた。 ――ヴァルトルートは、マクシミリアンに認めてほしかったのだ  他の貴族に中傷されても平気なのに、マクシミリアンに言われたら傷つく、その理由。  ヴァルトルートはまだマクシミリアンのことがとても好きで、好きだからこそ冷たくされるのが辛い。昔みたいに褒めてほしいのに、頑張っても認めてもらえないから、今のように泣いてしまう。  簡単なことだったのだ。  この胸の痛みの理由は、つまり――「絶望」。  今日、はっきりとわかってしまった。 ――お前の存在自体が間違っている  あの言葉は、マクシミリアンの本音だったのだろう。  ヴァルトルート自身を全否定する理由はきっと――完全なる敵、になったという意味。とっくにマクシミリアンのなかでヴァルトルートは、クララと皇帝位を競う鬱陶しい存在に成り下がっていた。 (……それだけの、ことだったんだ)  ぽろぽろと涙がこぼれた。  隠しようがないほどに溢れる涙を見られないように、自分の膝に額をこすりつける。  声を出しては駄目だ。誰かが駆けつけてくるかもしれない。だから、声を堪えて泣きじゃくった。こんなに泣いたのは何年ぶりだろうというくらい、無言で涙を流し続ける。  仮面の男は、何をするでもなく隣に座っていた。  肩を抱かれたわけでも手を握られたわけでもないのに、彼の存在がとても暖かい。  涙よりも鼻水で絹布がぐちゃぐちゃになったころ、ヴァルトルートは口をひらいた。 「ねぇ。きみ、なんて名前なの?」  涙声になってしまって恥ずかしいが、これだけ泣きじゃくったあとなのだ。開き直ってもいいだろう。  仮面の男は少し考える素振りを見せてから、「ロイ」と答えた。 「ロイか。僕は、ヴァ……」 「ヴァ?」 「ヴァ……ン。そう、ヴァンっていうんだ」 「ヴァンか。覚えやすい名前だな」 「う、うん。そう、よく言われる」  よく言われるどころか、初めて名乗った名前なのだが。  けれど、意外にもヴァルトルートは「ヴァン」という名前を気に入った。これから偽名を名乗る機会があれば、この名前を固定で使おうと決めるほどに。 「立ち直ったようだな」 「え? ふぁっ」  ロイの手が、ヴァルトルートの頭を撫でた。優しく淡金の髪を梳かれ、恥ずかしさで顔を真っ赤にしてしまう。 「ちょ、僕、大人だからっ」 「大人には見えないが」 「か、身体は、その……」  子どもだけど、と言いかけて、慌てて口をつぐむ。それでは自分が皇女であるとバラすようなものだ。  大人なんだよ、と言いたいのを堪えて、渋々俯いた。 「……イエ、なんでもないです。僕は正真正銘の子どもです」 「そうだな。素直が一番だ」  子ども扱いは続く。何が楽しいのか、ロイはずっとヴァルトルートの髪を手櫛でとかし続けた。 「落ち着いたのなら、こちらから少し聞きたい」 「なに?」 「後宮に、アルノルトという者がいるだろう。二年前に後宮入りした」  アルノルトの名前に、思わず目を丸くする。頷けば、ロイは話を続けてた。 「皇女の正夫らしいが、皇女が女帝に即位したらそのまま皇婿の地位につくのか」 「そうなる予定だけど」  女帝は、多くの夫をもってもよい。  そのなかで、もっとも位の高い身分が「皇婿」である。皇婿は数多いる正夫のなかから選ばれ、あらゆる特権を得るという――後宮にいる男たちからすれば、もっとものし上がりたい大望の地位だ。 「そんなに、ヴァルトルート皇女はアルノルト様を愛しているのか」 「え? ……っと。嫌いじゃない、と思うけど」 「二年前、アルノルト・バッハマンが後宮入りした際、城下では華々しい式典が開かれたほどだ。皆から望まれて、アルノルト様は後宮にあがられた。ヴァルトルート様も、さぞ愛を注いておられるのだろう」  ヴァルトルートは、ぽかんとした。  無口だと思い込んでいたロイから長文が出たことにも驚いたし、話の内容そのものにも驚いた。 「……もしかして、ロイはアルノルトを見るためにここにきたの?」  ロイはそれには答えず、顔を伏せる。 「アルノルトは後宮の奥にいるから、顔は見れないよ。僕、会ったことあるから、話くらいなら聞かせてあげられるけど。……アルノルトが、気になるんだね」 「ああ。……憎いほどに」 「え?」  後半の言葉が小声すぎて、よく聞き取れなかった。  ヴァルトルートが聞き返すけれど、ロイはなんでもないと首を振って立ち上がった。 「そろそろ俺は行く」 「あ……うん。また会える?」  思わず、彼の長衣の裾を掴んでいた。まるで子どもみたいな仕草に、慌てて手を離す。 「ご、ごめん。恥ずかしいことしちゃって」  まごまごと戸惑うヴァルトルートに、ふっ、という優しい笑い声が下りてきた。驚いて見上げれば、ロイが仮面の向こうで笑っている――気がする。 「そうだな、また会おう」 「っ、うん!」  ロイは、手を振ることも振り返ることもなく、そのまま毅然と前を向いて森林の向こうへ消えていった。  残されたヴァルトルートは、樹の根に座ったまま足をぶらぶらさせる。  目の赤さがもとに戻ったら、すぐに仕事を再開させよう。  先ほどまで抱えていた、腹の底で泥が蠢くような感覚はだいぶん弱くなっている。マクシミリアンの態度や自分が置かれた状況を思えば鬱屈とした気分になるが、いつまでも落ち込んでなどいられない。  ヴァルトルートは皇女だ。  やるべきことは、山ほどあるのだから。  ***
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