第二章

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「はぁ!」  気合の掛け声とともに、空気を切るような音が鳴る。  アルノルトは身体を回転させて、もう一度――「はぁ!」と剣を振り下ろした。  切っ先に向けて軽く湾曲した剣は、真っ直ぐにヴァルトルートへ向けられていた。といっても、あいだには大人十人は縦に寝転べるほどの距離があるのだけれど。  後宮の中庭、噴水広場と呼ばれるそこで、アルノルトが剣舞を披露していた。遠巻きには、アルノルトの剣舞をひと目みようと後宮の男たちが押し寄せている。娯楽の少ない後宮らしい光景だった。  ヴァルトルートはというと、万が一にもアルノルトの剣が届かない離れた場所で、椅子に座って剣舞を観賞している。 「見事ですねぇ。ほんと、アルノルト様は剣術だけはお上手で」  ヴァルトルートに日傘を差しながら、ジャンがのっぺりと言った。 「普通、剣をふっただけであんな音は鳴りませんよ。あれだけ気合が入ってるなら、気功とかも出来そうですよね。あ、気功ってできたら便利だと思いませんか? コーランカには気功の達人というのがいましてぇ」 「気功か。話には聞いたことがあるよ。手から不思議な波動を出して、遠くにあるモノを壊したり動かしたり出来るんだよね」 「ええ、そうですそうです。すごいですよねー。でも、気功といえばやっぱりマッサージでしょう。すごく気持ちよくて、疲れなんて一気に吹っ飛んじゃうそうですよ!」  うっとり瞳を輝かせるジャンは、まだ剣技を見せ続けているアルノルトのことなど完全に見てはいかなかった。  正直、アルノルトには申し訳ないが飽きてきたので、ヴァルトルートもジャンの話に乗ることにする。 「疲れが吹き飛ぶのはいいね。僕もさ、最近肩こりが酷くて困ってるんだよ」 「おや、お祓いはされましたか?」 「えっ!? 僕の肩こりって、そういう心霊チックな理由からきてるの!?」 「後宮にいると外の情報がよくわからないんですけど。でも確か、なんとかっていう貴族が暗殺されたとか。しかもその貴族、ヴァルのことを嫌ってたそうじゃないですか」 「……はっきり言うね、まぁ、間違いじゃないけど」  プレヴィン伯爵が暗殺されてから、一週間が過ぎた。  人々がやっとのことプレヴィン伯爵暗殺の噂に飽きてきたところに、また別の貴族が二人暗殺されたのだ。  死んだ貴族の名は――スマルン伯爵。と、その奥方だ。  スマルン伯爵は、口は悪いが実力のある男だった。女社会において男でありながら伯爵位を継いだことからもわかるように、己が領土を治める分には間違いなくよき統治者であった。  プレヴィン伯爵の捜査も難攻しているが、スマルン伯爵暗殺に関しても、これといった手掛かりがないと官憲機関が報告書をあげてきていた。  ただ――一人で居るところを背後からナイフで、という点が共通しているので、プレヴィン伯爵とスマルン伯爵を暗殺した犯人は同一人物ではないか、という話も出ている。 「未練を残して死んだのなら、じゅうぶんヴァルの肩にいる可能性はありますよ」 「……うへぇ。スマルン卿が僕の肩に乗ってるとかありえない。というか、もし本当に肩に乗ってるんなら、そのままそこで肩揉んでほしいよ。そしたら僕の肩に滞在する許可をあげるのに」 「さすがヴァル。死者をも奴隷にしてしまうとは、ワタシは感動しましたよ。あ、なんでしたら、ワタシが肩揉んであげましょうか?」 「え、いいの? 揉んで揉んでー」 「はいはいー。じゃあ布を肩にかけて、髪を前に纏めてもらってー。……じゃあ揉みますよー」 「はーい」  ジャンの細いが力強い指が、ヴァルトルートの肩に触れた。触れた箇所から、仄かな人のぬくもりを感じる。 「……あ、痛い痛い痛い。めちゃくちゃ痛い」 「けっこう凝ってますねぇ。筋が固くなってますよ。少しずつほぐしましょうか」 「うん。優しくして、お願い」 「こんな感じでどうですか?」 「あ、いいっ。すごくいい……はぁっ。あっ、あっ、気持ちいいよぅ」  ジャンの手は、繊細といえるほどに細く美しい。どちらかといえばか弱い印象があったけれど、肩を抑える力はとても強い。 (ああ、男の人なんだなぁ)  しみじみとそんなことを思う。  ヴァルトルートの乳兄弟として育ったジャン。近くにいすぎて気づかなかったが、彼も立派な青年なのだ。 「……ねぇ、ジャン」 「なんです?」 「ジャンは、後宮から出たい?」  何気ない問いだった。
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