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バキリ、と。
耳に不愉快な崩壊音が聞こえ、すぐ真上の天井が落ちてきた。炎をまとった木材が酷くゆっくりとした動作で、けれどもすさまじい恐ろしさで唸りをあげながら落下してくる。
つぶされてしまう――そう思ったと同時に、ヴァルトルートの視界が一転した。唐突な浮遊感に襲われ、次の瞬間、強い衝撃がくる。
気がつけば、ヴァルトルートは侍従長の女の腕に抱きかかえられていた。侍従長の女はヴァルトルートを抱きかかえ直すと、一目散に宿屋からの退散を試みる。
「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああ」
業火の轟音さえも凌駕する絶叫が宿屋を震わせた。
悪魔の唸り声のような悲鳴に、身をすくませる力も残ってないヴァルトルートは、頭の奥底で冷静にその声を受け止める。
(……もしかして)
ガーくんの、声?
視線だけを侍従長の女に向けるけれど、彼女は宿屋から脱出することに気を取られていて、ヴァルトルートの物言いたげな視線に気づかない。彼女に、少年の叫び声が聞こえないはずがないのに。
(……ガーくん)
少年が苦しんでいる。大丈夫だよ、って抱きしめてあげたい。
なのに――ヴァルトルートの意識は、どんどん沈んでいく。眠りにも似た、深い穴の底に引っ張られるような感覚。疲弊した身体が、これ以上は耐えられないと危険信号を訴えてくる。
(ガーくん。ごめん……ごめんなさい)
ことん、と。
ヴァルトルートは意識を手放した。
目が覚めたヴァルトルートは、馬車のなかにいた。
バッハマン地方への視察は中止になり、療養をしながら帝都へ帰還している途中だという。
ズキズキと痛む全身に身悶えながら――ヴァルトルートは、あの少年のことばかり考えていた。
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