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女帝はほがらかに微笑むと、ふと手を伸ばしてきた。倒れてから一気に痩せてしまった左手が、ヴァルトルートの頭を押さえつけるように撫でる。
大きく目を見張るヴァルトルートに、彼女は言った。
「お前を化け物だという者など放っておけ。皇帝に即位したお前に尚も逆らうのならば制裁をくだせばよい。――ヴァルトルート。クララを支持している貴族は多いが、お前を支持している貴族には国の重鎮が多い。お前の皇女としての功績を知っているからだ。三大貴族であるバッハマン家はもちろん、フェルゲンハウアー家当主もまた、お前に期待していると言っていたぞ。自信を持て」
「……母上」
「お前には、期待している」
なんのためらいもなく、女帝の手が離れていく。それを寂しく思うのは、女帝が頭を撫でてくれるのが初めてだからだ。きっと、こうして母子のように接するのは最初で最後だろう。
「それから。……お前が、あいつについて聞いてこないのは、余に気をつかっているのか」
「……あいつ、と申しますと」
「お前の父親だ」
息を呑む。
これまで、父親について女帝に問うたことはなかった。幼いころ、マクシミリアンに一度聞いたときに酷く厳しい顔をされたからだ。それからは自然と貴族らの妖精に関する嘲笑が耳に入ってきて、父親に関しての話題は出さないほうがよいと判断している。
「知っておきたいだろう?」
「……それは」
「話してやりたいが、実は余もよく知らんのだ。視察に向かった余の前に、あいつは現れた。余は皇帝だというのに、俺様な態度でな。性格もひねくれていて、気遣いもなにもない最低なやつでなぁ。顔も正直、中の下くらいだったな」
なんだそれ、と普通ならば思うだろう。けれど、ヴァルトルートは察することができた。
「皇帝相手でも下手に出ない、そんな態度が気に入ったんですね」
女帝は、遠い目に懐かしい色を浮かべて口の端を歪める。
「……ああ。お前の知っている通り、自称妖精でな。なんでも、今は滅んでいるディタとかいう国で人々を見守って暮らしていたらしい。ディタ滅亡後もそこで腰を落ち着けていたらしいが、事情があって住処を追われたとかほざいていたな」
「ディタ、の、妖精」
「時を操る妖精だ、と言っていた」
女帝がヴァルトルートを見つめてきた。その視線を受け止めて、ドレスの裾をぎゅっと握りしめる。
ふと、女帝が朗らかに笑った。
「どうだ、ディタに行ってみたくなったか?」
「……興味はあります。でも、僕はベルレイク帝国の皇女です。だれが父親であろうと、女帝の娘に変わりありません」
ヴァルトルートは、視線を下げて微笑んだ。
「母上が話して聞かせてくださった。それだけで十分ですから」
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