第三章

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第三章

 驚くくらい進展のない日々が過ぎた。  ヴァルトルートは、部下からあがってきたプレヴィン伯爵関係の者たちについての報告書に目を通しながら、口の端をつりあげる。 (駄目だ。それらしい者はいない)  ヴァルトルート派の貴族にも、プレヴィン伯爵が仲良くしていたクララ派の貴族のなかにも、暗殺を実行したと思しき者は存在しない。 (まさか、物取りの外部犯じゃない、よね……?)  可能性の一つとして考えてみたが、部外者がやすやすと侵入できるほどにバルア王城の警備は甘くない。  ヴァルトルートは大きく息を吐きだして、胸元からガーを取り出した。その背中を撫でながら、休憩がてらじっと執務室の天井を見上げる。 (……疲れた)  最近は仕事部屋に行く時間さえ惜しく、執務に精を出している。今日の午後から少し時間を空けられるが、その時間は後宮に行くことになっていた。  女帝が倒れてから、一度もヴァルトルートは後宮に行っていない。今回のことでアルノルトも不安になっているだろうから、あるじであるヴァルトルートが出向いて安心させてやらねばならないのだ。  それもまた、皇女としての仕事の一つだった。  女帝の体調は、よろしくない。  意識もあるし意志疎通もできるが、寝台から起き上がることさえ難しいとのことだった。これまでも苦しいのを無理やり我慢して執務を行っていたというし、このままでは皇帝位を娘に譲って隠居暮らしになる可能性が高いだろう。 そうなれば、ヴァルトルートとクララの王位継承に関する対立は避けられない。 「あの、殿下」  ふと、同室で仕事をしていた秘書の一人が声をかけてきた。 「なに?」 「お疲れでしたら、少し散歩でもなさってはいかがでしょう。今日はよい天気ですよ。気晴らしにもなりますし」 「でも、仕事が残ってるしね。時間がもったいないよ」 「あ、でしたら、エーフィ様のところをお尋ねになったらいかがです?」 「エーフィのところに?」  そういえば、女帝が倒れてからは一度も顔を見せに行っていない。エーフィが無事なのは知っているし、順調に回復しているという報告も受けているので、足を運ぶ必要性がなかったのだ。  秘書たちを見れば、皆心配そうな目でヴァルトルートを見ている。 (ああ、そっか。心配かけてるんだ)  最近はこれまで以上に仕事に縛られている。傍に仕える彼女らとしても、仕事で疲弊していくあるじを見るのは忍びないのだろう。 「……そうだね。ちょっとエーフィの顔を見てこようかな」  そう頷けば、秘書たちのあいだに笑みがこぼれた。気遣ってくれる気持ちが嬉しくて、ヴァルトルートにも笑みが広がる。 (じゃあ、ちょっとだけエーフィのところに――)  ふいに、扉を叩く音がした。  対応した秘書の一人が、せっせと書類を片付けるヴァルトルートのもとへ急いでやってくる。 「殿下、クララ皇女が来られているそうです」 「え? ……え!? クララが!?」  すぐに支度を整えて、クララが待っているという廊下に出た。廊下には即席の椅子が置かれ、クララが鼻歌を歌いながら足をぶらぶらさせている。  執務室が並ぶ廊下に華やかなクララの存在は酷く不釣り合いで、思わずぽかんとしてしまう。  色とりどりの宝石がちりばめられた髪飾りに、胸元に垂らされた銀細工の首飾り。胸元の開いた純白のドレスは露出が多く、強調された胸元には香油が塗ってあるようだ。クララとのあいだには距離があるのに、ふわりと花のような香りまで漂ってくる。 (……男でも落としにいくのかな)  思わずそんな感想が出てしまうくらい、今のクララには色気があった。 「どうしたの、クララ。僕に用?」 「はい、お姉様。お姉様がお疲れだと伺って、遊びにきました!」 「……ん?」 「ご迷惑を承知で参りましたの。お姉様には休息が必要ですわ。クララが癒してさしあげます。一緒に、大庭園をお散歩いたしませんか?」  嬉しそうに微笑んで、クララは椅子から立ち上がる。床に擦れそうなほど長いドレスの裾を蹴るように大股で近づいてきた彼女は、ヴァルトルートの手を取って顔を近づけてきた。 「お姉様。ね、クララにお任せになって」 「……えっと」 (エーフィのところに行きたかったけど……でも、休憩って点では、クララと一緒に過ごすのも悪くないかな?)  そんな結論に至り、ヴァルトルートは頷いた。エーフィのもとには、またあとで行けばいいだろう。せっかくクララがきてくれたのだから、ありがたく誘いに乗ることにする。  ぱっとクララの花開くような笑みに、ヴァルトルートも微笑んだ。 (可愛いな、クララは。なんだかんだで、僕もクララには甘いんだよね)  そんな自分を再確認して、思わず苦笑する。
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