警官の制服が青黒いのは

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 盆休みも終わった八月中旬。この時期になると研修を済ませた新入社員が、職場で『理想と現実の違い』を噛み締めていることだろう。  このまま続けて良いのか。これが本当に自分のしたいことなのか。  そんな疑問は、なにも新人に限った話ではなく。入社四年目の俺だって毎年のように感じている。  独身寮の一室で、まだ年下の先輩(・・・・・)が眠っている朝方。俺はクローゼットから制服を取り出して、ベッドの上に広げた。  水色のワイシャツ。濃い青のズボンに防弾チョッキ。制帽にはワイシャツにも付いている、警察の記章が目立つ。  俺はベッドの向かいにある椅子に座って、その制服を眺めてみた。  決して衝動からではない。確かな理念と未来を見据えて。  二階堂(にかいどう)さんとの話を、ゆっくりと思い出す。 △▼△▼  連絡があったのは一週間前。夜勤明けの昼間だった。  四交替制の交番勤務は、夜勤明けと翌日の週休に自由な時間がやってくる。俺のシフトを知ってか、休みに入るタイミングで二階堂さんから誘いのメールがあった。  二階堂さんは元々相部屋の先輩で、結婚して独身寮を出ていった。上下関係が激しい警察では珍しく、後輩にも気を使う優しい人だ。無理強いも無駄な干渉もしてこない。それでも学ぶべきことは丁寧に教えてくれた。  何度か食事に行ったことはあるけれど、二階堂さんから呼び出された覚えは無い。ほとんどは俺が持ちかけた相談事だ。  メールには『会って話さないか』という簡素な内容と、居酒屋の店名が書かれていた。  二階堂さんが寮から去って一年。  色々なことを経て、警察という組織に思うところがあった。  誰かに相談するなら、やっぱり二階堂さんがいい。俺は『行きます』とメールを返した。  そろそろ夏も終わる。まだ日中はパトロールするのも苦痛な残暑だけれど、夜はだいぶ涼しくなった。  出向いた居酒屋は、よく二階堂さんを誘った行きつけの店だ。中へ入るなり顔見知りの店員に案内された。 「お久しぶりです。お待たせしました」 「ああ、急に呼び出して悪いな」  奥の個室、掘りごたつに座っていた二階堂さんは、ぎこちない笑みを浮かべた。(えり)付きのシャツにジーパンの私服は、相変わらずだ。 「二階堂さんから誘ってくれたの、初めてじゃないですか? 驚きましたよ」 「まぁな、結婚したてで忙しかったのもあるけど、それで今までの縁を切るのも嫌だろ」 「……ですね」  そう思ってくれたのは素直に嬉しい。新婚で誘いづらかったのは本当だから。 「注文しましょう。二階堂さん、いつものセットで良いですか」 「ああ、頼む」  つまみと酒が揃い、俺と二階堂さんは再会を祝して乾杯した。  話し始めは結婚生活について。独身の俺からしてみれば、何かと金のかかる結婚という行為に偏見があったのだけれど、二階堂さんの話を聞く内に『良いかも』と思うようになった。 「でも共働きだと時間合わなくないですか?」 「それは結婚する前から分かっていたんだ、仕方ないよ。ある程度の金が貯まったら辞めるつもりだしな」  専業主婦の奥さんが出迎えてくれる家庭か……俺とは雲泥の差だ。  酔いも回り、つまみが少なくなってきたところで、俺は本題を切り出すことにした。 「二階堂さん。真面目な話、してもいいですか」 「……懐かしいな。何か相談事か」 「はい」  それこそ酒の力でも借りなければ、口に出来ないことだ。  すっと背筋を伸ばす。俺はアルコールの混ざった息を、ゆっくりと吐いた。 「俺、警察を辞めようと思ってます」  二階堂さんは眉間に力を入れ、ジョッキに残っていた酒を流し込んだ。 「その話、他の人には?」 「していません」 「……そうか……お前もか」  警察の離職率は思っていた以上に高い。特に二十代は顕著(けんちょ)で、早ければ警察学校の時点で辞めてしまう者も居るほどだ。俺でさえ何人か見てきたのだから、二階堂さんにしてみれば珍しいことじゃないのだろう。  無言の中、タッチパネルの操作音が鳴っていく。二階堂さんは俺の分まで酒を追加注文していた。 「わけを、聞かせてくれないか」  俺は頷いて、『一身上の都合』だけでは片付けられない内容を、とうとうと口にした。 「……情けない話、耐えきれなくなっただけです、色々と。寮や仕事のことにしても、警察という組織にしても」 「独身寮は確かに窮屈(きゅうくつ)だ。二十歳過ぎて門限に縛られるのは、抵抗があるだろう。旅行するのも事前に申請がいるしな」 「俺の場合、二階堂さんや年下の先輩と相部屋だったんで良かったですが……同期の奴はパワハラで苦しんでるみたいです。いつ俺も、ああなるか」 「警察が縦社会なのは知ってたんだろう?」 「正直ここまでとは思ってなかったです。これじゃあ本当に『国家の犬』ですよ。いつも何かの鎖(・・・・)に縛られてる」  日頃の業務で貯めた金は、キャバクラなど反社と繋がりがあるような店にも使われる。おごりという免罪符で行きたくもない場所へ行かされるのも、付き合いの範疇(はんちゅう)。  もちろん中には二階堂さんのような人も居る。けれど、そう少なくない人数が、娯楽を求めては散財しているのが現実だ。  仕事の対価とはいえ、税金で。 「盆休みも正月も、上の人達から順繰りに休んでいきますよね。俺の盆休みなんか九月ですよ。また今年も実家に帰れません。こういう目に見える不平等が、多すぎませんか」 「それが縦社会だからな。悪い言い方をすれば、いくらでも代えがきく。公務員なんてのは、そういうものだ」 「だからって――」 「待て」  見れば、店員がジョッキを二つ運んで来た。ただ愚痴を話すだけなのに、わざわざ奥の個室で気を使わなければいけないのも、うんざりする。  公務員の不祥事に、世間の目は厳しい。  二階堂さんは再び酒を(あお)って、辞めると言った俺を薄目で見透かした。 「パトロールでの点数稼ぎ、これだって知っての通りノルマがある。検挙実績が少ないと来年度の予算に関わるからな。そういう裏側まで引っくるめて、納得してやってるのが警察官だ。純粋に市民の平和を第一にと務めているのも居れば、金の為と割り切ってる奴も居る。どこも同じだよ」 「納得、できるんですか……二階堂さんは」  (うつむ)いた俺は、氷がチリチリと解けていく様を(にら)んでいた。  二階堂さんなら、分かってくれると思ったのに。 「なぁ、お前は警官の制服が、青黒い理由を知ってるか?」 「え……」  質問の意図が分からない。顔を上げると、今までになく真剣な表情をした二階堂さんが、俺の答えを待っていた。  青黒い理由。そんなの、考えたこともない。 「青は寒色ですから……見た人を落ち着かせる、とか。黒は高級そうなイメージがあります。犯人や市民に、しっかりした印象を受けさせたいんじゃありませんか?」 「そうかな。俺は別の解釈をしたよ。警官の制服を誰よりも目にするのは、犯人でも市民でもない――警官なんだ」  思わず、喉仏が動いた。 「青いのは警官を自制させる為、黒いのは権力を自覚させる為じゃないか?」 「…………」 「紺より暗く青黒いのは、そういうことだと思っている。俺らは目に見える勝手なイメージを、知らず識らずの間に刷り込まれているのかもな」 △▼△▼  今日も俺は、この青黒い制服に袖を通す。  (ふところ)には辞表の封筒を忍ばせて。  いつ訪れるとも分からない、理不尽な上下関係という恐怖に怯えながら。  まだ耐えれる、まだ耐えれると自分に言い聞かせて。  首輪の付いた『国家の犬』を、俺は(まっと)うしてみせる。  人伝(ひとづて)に二階堂さんの辞職を知ったのは、その日の夜だった。
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