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a cup of coffee
新人研修の一環か訪問件数稼ぎかは知らないが、下調べもせずに飛び込み営業に来るのはやめてほしい。
天羽はイライラしているのを相手に悟られないよう、そっと息を吐いて口角を上げた。柳の葉のような柔らかな弧を描く双眸に苛立ちの色が浮かんでいる。
落ち着いた声、丁寧な説明をしなくてはと自分に言い聞かせる。
「殆どの企業で効果がある、と仰いましたよね。でもうちの事業は企業相手の中でもカスタマイズありきの製品なんです。このご提案はどちらかと言うと単価の大きくない汎用製品向けではないかと思うのですが」
目の前の男の的外れな広告提案を聞くのは時間の無駄だ。それをはっきり伝えているつもりなのにどうも話がかみ合わない。
「えっと、それについては、あの、大丈夫だと思います。実際多くの企業でですね」
「具体的にどう言ったターゲットをもつ企業でしょうか? 多くの、とは何社中何社ですか? あと、大丈夫な根拠を示していただけませんか?」
ああ、イライラが隠しきれない。
クシュン!
パーティションの向こうからくしゃみに続いて「失礼」と小さな声がした。営業が休憩に使っていたのだろう。
そして、その低く響く声が天羽の体温をじわりと上げた。
椅子を引く音がして、硬質な直線の上にウェーブのかかった髪が見えた。そのまま出入り口に向かってゆく。扉のところで背中が見えた。服越しにも見て取れる骨太で筋肉質な身体。
熊谷さんだったのか。きつい言い方をする、と思われただろうか。
「あのぉ、このデータにある通りなので、細かい事は今データがないので分からないんです……なので一旦持ち帰って、社内の担当さんに御社用の提案を作らせて、で、またプレゼンさせていただければ」
半分意識を持って行かれていた天羽の耳に、神経質そうな声が刺さった。
敬語も丁寧語も無茶苦茶な話を逆ギレ気味になって口にしている男を見て吹っ切れた。天羽は泰然と微笑んだ。
「弊社のウェブサイトはご覧いただいてますか? 取り扱い製品がまとめてあります。簡単なものから、試作用のカスタマイズまで概要が書いてあります。弊社は業界の媒体にも定期的にプレスリリースを寄稿しております。まずはそれらをご一読いただければと思います。申し訳ありませんが、次の予定が入っておりますのでこれで失礼します。エレベータまでお送りします」
有無を言わさず会話を終わらせた。退出を促すように立ち上がると、相手は「へっ?」と素に戻り、悔しそうに睨み返してきた。そんな顔されたって仕方がない。これ以上話しても時間の無駄だ。
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