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挽き終わった豆をフレンチプレスにセットし、二度に分けてお湯を注ぐ。その様子を熊谷は興味深々と言った様子で見ていた。
「紅茶を淹れるやつでコーヒーもできるんだ」
「飲んでみる?」
「え、それ二人分ですか?」
「一人分ですけど、名前忘れてたお詫びです。どうぞ」
話をしている間に出来上がったコーヒーを自分のマグカップに満たして手渡した。しまった、彼のカップに入れるべきだったか。引っ込みがつかないまま立っていると、湯気の立つカップと自分の顔を交互に見比べて、熊谷はまた屈託なく笑った。無条件の笑顔に、思わずつられて顔が緩んでいた。そんな天羽に熊谷は何度か瞬きして眉根を下げてさらに口角をあげた。
「俺、強請っちゃいましたね。すいません、遠慮なくごちになります」
節の目立つ大きな手がカップを掴む。今度は天羽がカップから熊谷の顔へと視線を動かした。
「どうぞ......」
コーヒーも渡してしまったので、手ぶらでデスクに戻るしかない。出入り口に立っている熊谷に天羽が近づくと、半身で避けた熊谷も後ろについてくる。立ち止まると向こうも立ち止まり、歩き出すとまた後ろを歩いてくる。扉の前まで来ると、隣に並んだ。彼の方が背が高い分、必然的に上目遣いになってしまう。
「カード忘れてしまったんで、一緒に入れてください」
「熊谷さん結構それやってますよね」
「ははっ、そうでしたっけ?」
「客先で会議室に入れなくなって、先方の社長に開けてもらったと聞きました」
「あー、プレゼン前に急いでトイレ行った時だな。外人のおっさんと目が合ったから、オレ ワルイヤツ チガウ ココ ハイリタイってジェスチャーしたら開けてくれたんですよ」
カードリーダーにかざしかけた手が止まる。驚くべきか呆れるべきなのか、天羽は目を丸くして口を開いた。
「営業チームのリーダーなんですよね? 意外とドジなんですね」
「やだ、酷い……天羽さんにそんなこと言われるとは思いませんでした」
熊谷は鷹揚に笑い、宙に浮いたままの天羽の手を取ってスワイプさせた。ピッと音を立てて解錠された扉を押し開き、そのまま天羽が通るのを待っている。
「そこも含めて、みなさまに可愛がってもらってるんすよ」
中に入った天羽に向かって熊谷はにっこりと微笑んだ。営業の席に歩いて行く背中は自信に満ちている。
熊谷のスラックスのポケットにIDカードが入っていることに、天羽は気付いていなかった。
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