night kiss

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night kiss

そんな幸先のいい出来事を受けて、その夜の飲み会はいつも以上に盛り上がった。   駅近くの居酒屋を貸し切りにした気楽さから、宴会は乾杯後三十分もしないうちにピッチャーが行き交う混とんとした空間になっていた。   お行儀良く並んで座っていたはずの参加者も、小腹が満たされると自然と小さなグループに分かれていく。熊谷も、客先であった話を面白おかしく披露したり、近況を報告しながら席を移動していた。 開始から一時間たったころ、早く帰宅したい人たちが遠慮なく抜けれらるように中締めがあった。一旦落ち着いた隙に空いた皿をざっと下げ、追加オーダーのためにカウンターに行っていた熊谷は、料理や飲み物が足りていない席がないか、様子を見ながら戻ってきた。 ひときわ高い笑い声につられて見ると、営業事務の女性に囲まれた天羽がにこにこ笑っている。笑顔だけれど、妙に姿勢がいい。なんというか、緊張感漂う背中に吹き出しそうになる。いやいや、ここは助け船を出すべき所か。   「天羽さんが中締めの後もいる! 山下さん、無理に飲ませてないよね?」 「失礼な、合コンでお持ち帰りしようとしてる人みたいに言わないでよ」 「え、したことあんの? あらー怖いわー」 「お持ち帰りしたくなるような男前を揃えてよ、女子四人いるからね」 「ここに二人いるでしょ?」 いつもの冗談のような会話をしながら熊谷が隣に座ると、笑顔を浮かべていた天羽が素に戻った。「ね?」と笑いかけるとふっと肩の力が抜けたように見えた。あー、頑張って笑ってた?   「熊谷さん、お疲れ様です。あと、契約おめでとうございます」 「ありがとうございます、天羽さんも押しの強い女性陣のお相手お疲れ様です」   腕を伸ばし、テーブルの真ん中にぽつんと置かれたままになっていた枝豆の皿を引き寄せて天羽に進めると、会釈して鞘を一つ手に取った。枝豆を唇に挟んだ天羽が熊谷を見た。お酒のせいで血色の良い唇が、つやつやと光っている。指先に力が加わり、中から押し出された張りのある緑の豆が唇の隙間を通って口の中に滑り込む。それを受け止める舌の生々しさを想像し、熊谷は唾を飲んだ。男の癖に、その仕草が色っぽいと感じてしまった。   当の本人は熊谷の顔を見て、空になった鞘を皿の上に置いた。潤んだ目を泳がせながら視線は顔から下がり、机の上に置いた手に移動した。合コンならば品定めのような視線だが、どちらも男だ。戸惑いながら見つめ返すと、くしゃっと相好を崩されて面食らった。自分とは全くタイプの違う、まじめで落ち着いた人という印象だったが、酔っているせいかふにゃふにゃしている。すっきりとした顔立ちは、今日は随分と緩んでいる。   天羽はおちつかなげに指先をすり合わせながら、おしぼりを手元に引き寄せてたたみ直た。そして、親指と人差し指と中指を丁寧に拭った。その仕草がスローモーションのように熊谷の脳裏に刻み込まれ、鼓動を少しだけ乱した。 誰がしても大差ない当たり前の動作なのに、生まれて初めて見せられたかのように映像が頭の中でリフレインしている。なんだろう、この感覚。全てが他の人とまるで違って見える。 自分の中の違和感が表に出ないように、熊谷は正面に座っていた山下にビールを注いだ。
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