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56話 助っ人
「えぇっと……」
イルムはなにから反応すればいいのかわからなくて困ってしまった。
この国の第一王子と弟子たちが友達であったことか。
シファーが後宮付きの侍従になっていたことか。
はたまたナシムが第一王子の後宮入りを果たしていたことか。
(まさか殿下のお相手がナシムだとは……。大変なことを知ってしまった……)
頭の中でこの言葉を何度言ったことだろう。
しかも今度は第二王子が攫われたときた。
主犯はなんと王族。宮殿中の官吏までもが共謀して。
(た、大変なことが起こってしまった……)
そして彼は今、恐らくこの国で一番贅が尽くされた建物の中にいる。
(大変なところに、きてしまったなぁ……)
まさか平民である自分が王宮に足を踏み入れる日がくるとは。
人生何が起こるか分からないものである。
男前すぎる第一王子の顔が近い。
透き通るような黄色の瞳はどこか野生の獣を思わせて、イルムの背中を冷や汗が流れ落ちた。
「これはすごいな……。本当に瓜二つだ」
「て、低頭をさせていただいても、よろしいでしょうか。殿下」
「もうすこし待ってくれ。ここまで似ていると違うところを探したくなる」
「剥くなよ。アザリム」
「そこまではせん」
宰相がそっと胃を押さえた。彼の中ではいま、神への信仰心と主君への忠誠心が激しくせめぎあっているようである。
マリカはナシムとアザリム第一王子を交互に見つめて、なんとも言えない顔をしていた。
王族の住まう宮殿。
その一室。アザリム第一王子の部屋で、者々は集っている。
ナシムは久方ぶりにまみえる顔ぶれに笑顔をこぼし、シファーは呆れたように腕を組んでいて、アザリムはこの通りだ。
「ここか……!ここであったかぁぁ……!不覚ッ……!」
侍従長は悔しそうな表情で壁にぎりぎりと爪を立てている。すこしばかり目が血走っていた。
どうやってイルムを宮殿にいれ、ナシムを出すかで頭を悩ませていた彼らにアザリムは当然のように言ったのだ。
隠し通路をつかえばいい、と。
老翁の目がぎらりと輝いたのはいうまでもない。
それがある場所はアザリムの自室だという。もちろん、侍従長が何度も何度も調べ上げた部屋だ。
アザリムはナシムを自室で抱く体を装って彼を連れ込み、シファーと侍従長は主君の世話をする名目のもと堂々とこの部屋へ入った。
鋭すぎる侍従長の視線を受けるアザリムが手をかけたのは最奥の壁。金の装飾の一部である。
たくましい第一王子はゆるく目を瞑り歯を噛みしめると、その剛力をもってして壁を引き戸のように動かしてしまったのだ。
『叩いてみても分からなかっただろう?壁一面厚さは同じだからな』
にやりと笑った第一王子に、侍従長は唸り声を漏らしていた。
シファーとナシムが二人がかりで壁を断面から押してみたが、やはりびくりともしない。
『……この、クソ力が』
『そこはせめて馬鹿力で止めておいてくれないか』
こうしてアザリムにしか開くことができない隠し通路から、彼らは宮殿に入ることができたのである。
「よく来てくれた。イルム、宰相、マリカ。事の次第は今話した通りだ。お前たちの助力を乞いたい」
「御意に」
「御意に」
「御意にございます」
一斉に膝をついた三人にアザリムは威厳ある所作で頷きを返した。
「アザリム。そろそろこの部屋を出たほうがいいんじゃないか?いくらお前が絶倫でも流石に怪しまれる時間だ」
さらりと放たれた爆弾発言に助っ人たちの顔が引き攣り、ある者は胃を、ある者は耳を押さえた。
「そうだな……。侍従長。後宮に侵入者がないか確認に行ってくれ」
「御意に。殿下」
宮殿に慣れた者たちは動揺ひとつなくいつも通り。
かと思われたが、よくみればナシムがいたたまれない顔をして調度品の影に身を隠そうとしている。恥じらいの心を持つのは彼だけであったようだ。
「後宮に場所を移すぞ。あそこならもっとゆっくり話ができるはずだ」
「で、でもどうやって?廊下には近衛の方がいたよ?」
ナシムが不安そうに物陰からアザリムを見上げている。
宰相に書官、同じ顔をした青年が二人に王子と魔術部隊長がぞろぞろと歩いては、なにか企んでますよと声を大にして宣言するも同義だ。
「安心しろ。俺に名案がある」
自信たっぷりに言いのける第一王子は実に頼もしい。
腕っ節だけではなく、彼は戦略に於いてもその力をいかんなく発揮する文武両道の男であるのだ。
「なぁ。友よ」
「……うん?」
* * *
魔術部隊長と侍従を兼任するうつくしい男は小さな溜息を吐いた。
ゆっくりと歩きだす姿は力なく、どこか儚げであった。
ゆらゆらと覚束ない足取りのシファーを近衛兵は心配そうな面持ちで見つめている。
「あっ……」
ふらついたうつくしき魔術部隊長をとっさに支える近衛兵。
艶めく夜空色の髪がふわりと揺れ、赤い紋様の入った胸鎧を掠めていった。
「ああ。申し訳ない。最近すこし眠れていないもので……」
色のある吐息を漏らす唇は仄かに赤く、近衛兵をぞくりとさせた。
「い、いえ。どうぞ、お気をつけて……」
そう言いながらも近衛兵はシファーの肩を掴んだ手を離そうとはしない。
柔らかな手つきで白く輝くような指が近衛兵の手を剥がしていく。
そうして壁伝いに歩こうとしたシファーであったが、またもふらりとよろけて今度は近衛兵の腕に抱きとめられてしまった。
「む、無理をなさらないほうが……」
「重ね重ね、申し訳ない」
いえ……、と紡いだ近衛兵の声は興奮で上擦り気味だ。
シファーの長い睫毛は伏せられ、恥じらうように視線が斜めに流れている。
「その……、あなたの腕はたくましいんだな……」
ぼんっ!と音を立てそうな勢いで顔を赤くした近衛兵の背後を早足で駆けていく影。
その数、五つ。
しんがりを務める大男の目は弧を描いていて、噴き出しそうなのを我慢しているのがいやというほどよくわかった。
(なぁぁんで俺が色仕掛けしなきゃならないんだ!くっそアザリム……!あとで覚えてろよ!!)
胸のうちで思いつく限りの暴言を吐いたシファーは離れたところで絢爛な後宮の扉が閉まるのを見るやいなや、すっくと力強く立ち、早口で言うのであった。
「もう大丈夫そうだ。いやぁ、助かりました。どうぞ忘れて。では」
すたすたと歩き去るシファーに向かって伸ばされた近衛兵の手は尾を引く後ろ髪にすら届かず、彼は切なそうに胸を押さえていた。
後宮の扉を僅かにだけ音を立てずに開き、身を滑り込ませる。
仕立ての良い衣服を纏った肩をくつくつと震わせる赤毛の友をしばき倒してやりたかった。
「お前、意外と演技が下手だな。棒読みもいいところだ」
「あんな薄ら寒い台詞を吐かされるこっちの身にもなってみろ!なぁにが名案だくそったれ!」
国で二番目に尊い男に向かって暴言を吐くうつくしい魔術部隊長に、何も知らない官吏が二名ほど目眩を起こしていた。侍従長も眉を顰めているが、アザリムの勅命によってシファーはある程度の言動の自由が許されているので致し方なく黙認しているといった体だ。
「だがうまくいっただろう?」
「けっ!」
「あ、あの、シファー。ありがとう。シファーのお陰でぼくたち、見つからずに戻ってこれたよ……?」
申し訳なさそうに上目遣いでナシムに見つめられると、シファーはこれ以上悪態がつけなくなってしまった。
ナシムに瓜二つのイルムが眼鏡を触りながら複雑そうな表情を浮かべ、紅一点であるマリカは哀れむような視線をシファーに送っていた。
「殿下。そろそろ作戦を立ててはいかがかと」
宰相の目は僅かに死んでいる。
同性同士の愛を禁ずる教えを信仰する彼にとって、男が男を誘惑するなど悪魔の所業としか思えないのである。
魔術師統括責任者カルゼブが宴を開くのは明日。
それに乗じて女装したナシムが屋敷に忍びこみ、イクリム第二王子を救出する。
イルムはナシムのふりをして後宮で過ごし、世話と警護を兼ねたシファー以外と口を利いてはならない。彼は姿形こそ似ているが、声はまるっきり別人であるのだから。
「シファー、お前は討伐に出るな。討伐部隊の采配は俺がふる。魔術部隊長の仕事は最小限にとどめてくれ」
「わかった」
侍従長は国王の寝所を警戒しつつ、シファーがいないときに後宮を訪れるものがないように目を光らせておく役目である。
「イクリムはまだ十三歳で身体もあまり大きくはない。ナシム、背負えるか?あいつは恐らく歩けない」
「大丈夫。それくらいの力はあるよ」
大きく頷いたナシムの頭に褐色の手が乗る。頼んだぞ、と低い声が呟いた。
* * *
唯一の女性であるマリカの役割。
それは。
「おいマリカ。もっと不細工にしろ不細工に。クソ豚カルゼブが襲ってきたらどうしてくれる」
「うるっさいわね、魔術部隊長シファー。気が散るわ」
「ああくそ!ナシムをこんなに可愛くしてどうするつもりだお前!」
「まだほとんど何もしてないわよ!」
ナシムを女に見えるように着飾る係である。
元々後宮付きであったという侍従長も化粧を施す技術をもっていたが、シファーに引けを取らないほどの美女に仕上げられたため全員がこれはだめだと首を横に振ったのである。ナシムの面影すら残っていなかった。
老翁の化け粧術によって何人の王が騙されてきたのだろうか。
ほどほどにできないのか、とアザリムに言われたが、老翁はうつくしくならぬ化粧など化粧ではないときっぱり言い放ったのであった。頭がかたい老人だ。
他の男たちは化粧などしたことがないので、マリカに白羽の矢が立ったというわけである。
『化粧してそれか』と失言を漏らすシファーにマリカの青筋が浮いたのはいうまでもない。
女性には優しくすべしと本で読んだことがあるナシムが『マ、マリカはきれいだよ!』と即座に援護をすると、頬を染めて恥じらうような表情に変わった。惚れた男に容姿を褒められて嬉しくない女はいないのだ。
「ナシム。……って呼んでもいいのかしら」
「うん。前と同じように話してほしいな」
「わかったわ。目の周りに線をひくから、目をつむって動かないでね」
「う、うん」
興味深そうな王子と魔術部隊長に眺められながらナシムは目を閉じた。
ナシムと似たような色をしたマリカの指がそっと触れ、縁取るように黒墨がひかれる。
「女たちは一体なんのためにこんなことをするんだ?」
「目を大きく魅力的に見せたいのよ。何もしなくても美人なあなたと違って女性は努力をしているの」
「それはそれは、ご苦労なことで」
あてつけるようなマリカの物言いにさらに煽るような言い方をするシファー。
閉じたまぶたの先で繰り広げられる静かな戦いにナシムはおろおろとしてしまった。
「あっ、だめよ、動かないで!あぁー……」
縁を大きく外れてしまった黒墨。
「ご、ごめん……」
目を開けて項垂れたナシムの目尻から、下方に向かって黒い線がついている。
「ああっ、可愛い……!変なところに変な線があっても可愛い……。ああ、ナシム……」
ほぅ……、と熱い吐息をはく魔術部隊長とは裏腹に、すこし離れたところで見守っているイルムと宰相の顔は引き攣っていた。
男性としては些か小柄かもしれないが、ナシムの身体つきは立派な男のものである。
女物の薄い衣服から出ている肩は女性にしては肩幅がありすぎるし、話をする度に動く喉仏は『ぼく男ですよー』と主張しているのだ。
顔立ちもそう。シファーのように中性的でうつくしいわけではないし、ごくごく普通だ。目は多少大きいかもしれないが。
男くさい顔ではないので化粧でどうにかなりはするであろうが、かつての師も上司も、彼の顔立ちが可愛いと思ったことはないのである。
(表情はね、まぁ、わかる気はするけれど……)
アザリムは何も言わずに食い入るようにナシムが変わっていく様子を見つめている。
しかしその心の中はどうせシファーとそう変わらない言葉を呟いているに違いないのだ。
ナシムの目に黒墨がひき直され、唇に紅がのる。
するとぐっと女性らしく見えてくるから不思議なものであった。
シファーが胸を押さえて切なげに声を漏らす。
「ああ、ナシム……。嫁にしたい」
「悪いな。すでに俺の妻だ」
「もう黙って。全員あっちへ行って」
手を止めたマリカが男たちを個室から追い出す。
殿下もあちらへ、と王子には丁寧な言葉を遣ってはいたが、その顔にははっきりと邪魔よと書いてあった。
「まったく……」
「な、なんかごめんね」
へらりと笑ったナシムの顔は化粧に彩られてはいたが、マリカの記憶にあるものと同じであった。
「……心配、したのよ」
「……うん。ごめん」
「あなたは何も悪くないじゃない。どうして謝るの」
ナシムの姿が城から消えて二年。
彼女はずっと彼の手がかりを探し続けていたのだ。
まさか後宮に入れられていたとは思いもしなかった。探しても見つからないわけである。
「私、書官部長になったわ」
マリカの指がナシムに頬紅を少しだけのせる。
「すごいや。おめでとう、マリカ」
「本当なら、あなたもなるはずだった」
マリカが書官として召し抱えられたとき、すでにナシムは一番の働き者として書官たちの信頼を一身に集めていた。
そのナシムが病で故郷に帰ったと聞き、皆ひどく心配していたのだとマリカは言う。
「皆、とても寂しがっていたわ」
「うん」
「私もそうよ」
「うん」
ごめんね、と笑う彼の表情はあの頃と同じ。
「無事で…、無事で、よかった」
眦に光るマリカの涙をそっと拭ったナシムは、柔らかく微笑んだ。
彼女の記憶にあるままのとても優しい表情で。
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