失ってでも

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失ってでも

無事にゆみをアパートまで送り届け、そのまま家へと向かった。 「ごめんな…無理させたな、ロド」 徹はロードスターに語りかけた。 もう、ぶん回してはいけない。 そう誓ったが、今にも消えそうな、ゆみのお母さんの命が灯っているうちに、ゆみを送り届けるため… 回さざるを得なかった。 徹は、愛していた車を犠牲に…ゆみの幸せを守った。 家に着き、意を決してどう考えても調子の悪いエンジンを切る。 「お疲れ様…」 きっとこれが、最後の命の灯火…。 とにかく疲れた。 さっさと風呂に入って寝よう。 精神的にも、身体的にも疲労が出ている。 ベッドに倒れこんだ瞬間、全身の力がどっと抜け、気付けば朝になっていた。 朝起きて、朝飯も食べずに、徹はロードスターに乗り込んだ。 キーを差し込み…ひねる。 やはり、エンジンはかからない。 地面を見ると、オイルが大量に垂れていた。 「…帰りまで、よく持ってくれたよ。ロド。ありがとな。お疲れ様」 ゆみを送り届けることが、車を犠牲にしてでも果たすべきだったことか? 自分を傷つけた彼女に対して、そこまでしなければならなかったのか? そんなこと、徹は考えなかった。 ただ、自分が車を犠牲にしてでも送り届ければ、ゆみはお母さんが生きているうちに会えるかもしれない。 そう思っただけだ。 助けることに、疑問は全く抱かなかった。 好きな女だ。 守らなくてどうする。 助けてやらなくてどうする。 後悔は、微塵もなかった。 ────数日後。 私は、徹の車がまた壊れてしまったことを知らされ、思わず泣いた。 あの時の徹の様子が、全て理解出来たのだ。 徹は知っていた。 アクセルを踏み込めば、私はお母さんの消えゆく命に間に合う。 だが、車は壊れるということに。 徹は、車でなく、私を取った。 車が大好きで、それが人生と言ったって過言じゃないような男、菅原 徹。 その男が、愛する車を犠牲に、愛してくれた私を助けてくれた。 嬉しさと、申し訳なさで、涙は止まろうとしなかった。 「気にしないで欲しい。僕が選んだことなんだから」 そう言って徹は、優しく笑った。 今、冷静になって考えたら、もし周りからの評価を気にしたとしても、あれは誤った選択だった。 こんなに私のことを大切にしてくれて。 自分のことより、私のことを考えてくれている。 誰でも分かる、そんな誰もが憧れる典型的な良い人といて、何が足りないと言うのだ。 全くもって馬鹿であった。 テストが始まって、学校でこうちゃんとすれ違った。 あれから、送ったメッセージに既読は付いていない。 想像した通り、全く目を合わせず、真横を通り抜けていった。 …っ。 短く、体に残っていた居心地の悪そうな空気を押し出した。 後ろは振り向かない。 誰かがこうちゃんに近づく気配がする。 「あー、いた!早く行こうよ〜」 女の子の声。 こうちゃんは答える。 「悪い遅れた。行こっか」 …そう言うことね。 すべてを理解しながら、こうちゃんがこちらを見ていることを察した。 振り向くな。 あなたは私で遊んだだけの…最低な男。 私はあなたを、やっぱり愛せない。 でも、その最低な男に、欲望にまみれた挙句溺れた私も最低な女。 私は最低だ。 …なのに徹は、この最低な私を愛してくれた。 許してくれた。 ────最高に優しい男だ。 久し振りに徹を家に呼んだ。 とても懐かしい、冬の感覚だった。 ちょうど、まさにこの時期だったか。 馴れ初めは。 「そう…他とも遊んでたんだ、彼」 「なんとなく、そんなことだろうとは思ってたよ…」 「これから大変だよ、ゆみ。彼が女をすぐ乗り換えたことが公になる。その軽い男と、一瞬でも付き合っていたゆみ。それ知って寄ってくる男は増えるぞ」 「…もう反省した。どんな風にきたって、全部断るよ」 「僕はその中にあるの?」 「…そんなワケないでしょ」 「…あ、やっぱりロドが壊れた責任、取ってもらおうかな」 「…えっ…急になんで…。まぁでも…うん、私の責任だよ。責任とるよ」 「言ったな。なら、僕と付き合ってくれるか?」 震えそうになる声と体を必死で押し殺した。 「…イエス」 新しい空気を吸い込んでから発した言葉は、結局震えた。 その後に続けて、やはり体の震えがやってきた。 徹は、震える私を、今度は優しく抱きしめてくれた。 そのあとは、私は徹に染まった。 汚れていた私の色は、徹の色が上からそれを染めてくれた。 そこにあったのは、紛れも無い、愛であった。
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