君のため

1/1
前へ
/21ページ
次へ

君のため

「…もうすぐあれから一年すね、先輩。やっぱり戻ってきましたか」 「…雪辱は晴らす」 「…もっと大きいもの、背負ってるんでしょう?」 「…そうだね。僕だけじゃない。ゆみのことも、背負って走るよ」 徹先輩の後ろで、ゆみさんが笑っていた。 ────はじめは、徹先輩とゆみさんの関わりを見ていて、穏やかな心持にはなれなかった。 部内恋愛というそのものがもともと好きじゃないし、何より長距離種目において、最も意識するべき相手である徹先輩が、ゆみさんとのなんやかんやで、陸上競技にまで影響を及ぼしているのが気に入らなかった。 …それに… 入部当初、一番最初に声をかけてきてくれたのは、ゆみさんだった。 髪が伸びており…一瞬誰か気が付かなかったが、高校時代、地区が一緒で、それなりに名前を轟かせていたゆみさんだと、名前を見て気付いた。 「陸兎…くんか、あれ、高校で地区一緒だった?」 「は、はい。多分、そうだと思います」 ゆみさんは、俺のことを知っていた。 素直に嬉しかった。 「結構上進んでたもんね。名前の字特徴的だし、覚えてるよ」 「まさかこんな所でお会いするなんて」 「地元一緒で陸上続けてくれてる子がいるのは嬉しいな〜。なんて呼んだらいいかな?」 「な、なんでも、構わないです」 「じゃあウサギくんね。それが可愛い」 「え?あ、あぁ…まぁ、それでいいすよ…あはは…」 俺のことを〝ウサギ〟と呼び始めたのは、ゆみさんだった。 そんなゆみさんを、好きになるのは一瞬だった。 でもその自分の感情に素直になったと同時に…徹先輩と、ゆみさんのなんとも言えない関係にも気付いた。 陸上でも、こっちでもライバルってか…? 徹先輩は、俺のゆみさんへの気持ちも理解しているようだった。 理解した上で、特に詮索はしてこなかった。 徹先輩と、なぜか知らないが、そういう話をしたかった。 いっとき、徹先輩とゆみさんがゴタついて、なんだか変な空気が部活に流れていたが…それもまた俺を苛立たせた。 部に恋愛を持ち込むな。 走るときは、がむしゃらに走るだけなんだ。 そこに愛だとかそんなものはいらない。 …と思っていた。 だが、少しして、結局ゆみさんとの徹先輩は付き合うことになり…その後の、徹先輩の競技の調子の上がり方ったらなかった。 くだらなく思えていたが…大切な人がそばにいる中で走るというそれも、決して馬鹿なことではなく、何か意味があるように思った。 要は結果のスポーツなのだから。 そこの背景がどんなのであれ、記録が出せる人が偉いんだ。 …去年、俺は徹先輩に、賭けをして、偶然ながら勝った。 あれは、俺の実力で勝てたのでは無い。 運が良かったから勝てたのだ。 あれから一年…徹先輩の調子が戻っている。 また何か、かけて…走りたかった。 徹先輩は、ゆみさんを、心から大切にしている。 悔しいが、お似合いと思ってしまった。 少しでも、惚れたゆみさんが、競技においてライバルの徹先輩の彼女。 徹先輩のレースへの思いを高めるためにも、ゆみさんへの想いを高めるためにも…俺が悪役になろうと思った──── 「…先輩…また何か賭けて走りませんか…?」 「…いいよ。今度は何賭ける?」 「…その…」 「俺が勝ったら、ゆみさんと付きあわせてください、って言いたいんだろ」 全て、読まれていた。 後ろにいたゆみさんが、驚いた顔で俺と徹先輩を交互に見る。 「…なんで分かるんすか」 「目を見りゃ分かる」 「えっ、えっちょっと」 「ゆみさん、いいすか、それでも」 「え、いや…え…」 困惑するゆみに、徹が振り返って言った。 「…頷いてあげてやってくれ。その方が…お互い燃える」 「…でも…」 「…去年負けといて、言える身分じゃないけど…大丈夫、絶対に負けないよ」 徹の目は、力強く、まっすぐ輝いていた。 「…分かったよ。いいよ、徹にウサギくんが勝ったら、付き合ってあげる」 「…本当に良いんですか?」 「…徹が良いなら、良いよ…私は」 …この時点で、もう勝てないと思ってしまった。 徹先輩からあふれ出ていた自信は…俺を震えさせた。 ゆみさんを失うかもしれないリスクを背負ってでも…俺に勝つ気だ。 本気だった。 去年、言ったってかなりの記録を出して…少なからず注目されている俺と徹先輩。 徹先輩は、この対抗戦の先を確実に見ていた。 「僕が輝くのは…その先、誰もが僕の名を知れるレース…」 「大勢の人が、テレビで観る舞台すよね?」 「…そうだよ。対抗戦、今年から追加のルール出来たろ」 「…5000mの上位2名を、東京マラソンに招待しますってやつすよね…?」 「…二人で枠取ろうぜ」 「俺はこの際、悪役に徹しますよ?もし、三人での争いになったら…一枠は俺が抑えますから」 「…あめぇよ。僕はトップでその枠を取る。せいぜい二枠目取れるように頑張れよ」 「…言ってくれますね」 勝てないかもしれない。 だが負ける気もない。 本気の、絶好調になった徹先輩と、全てを削りながら勝負がしたい。 それで負けても悔いはない。 もし、勝てたなら…ゆみさんを手に入れられる。 …負けたって、ライバルである徹先輩を引き立てさせられる。 大丈夫だ…。 俺は悪役だって良い。 …徹先輩の人生という映画の中に、そういう存在があった方が、きっと面白いはずだ。 それになれるんなら、負けたって構わないさ。 …対抗戦は…もう目の前だ。
/21ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加