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君のため
「…もうすぐあれから一年すね、先輩。やっぱり戻ってきましたか」
「…雪辱は晴らす」
「…もっと大きいもの、背負ってるんでしょう?」
「…そうだね。僕だけじゃない。ゆみのことも、背負って走るよ」
徹先輩の後ろで、ゆみさんが笑っていた。
────はじめは、徹先輩とゆみさんの関わりを見ていて、穏やかな心持にはなれなかった。
部内恋愛というそのものがもともと好きじゃないし、何より長距離種目において、最も意識するべき相手である徹先輩が、ゆみさんとのなんやかんやで、陸上競技にまで影響を及ぼしているのが気に入らなかった。
…それに…
入部当初、一番最初に声をかけてきてくれたのは、ゆみさんだった。
髪が伸びており…一瞬誰か気が付かなかったが、高校時代、地区が一緒で、それなりに名前を轟かせていたゆみさんだと、名前を見て気付いた。
「陸兎…くんか、あれ、高校で地区一緒だった?」
「は、はい。多分、そうだと思います」
ゆみさんは、俺のことを知っていた。
素直に嬉しかった。
「結構上進んでたもんね。名前の字特徴的だし、覚えてるよ」
「まさかこんな所でお会いするなんて」
「地元一緒で陸上続けてくれてる子がいるのは嬉しいな〜。なんて呼んだらいいかな?」
「な、なんでも、構わないです」
「じゃあウサギくんね。それが可愛い」
「え?あ、あぁ…まぁ、それでいいすよ…あはは…」
俺のことを〝ウサギ〟と呼び始めたのは、ゆみさんだった。
そんなゆみさんを、好きになるのは一瞬だった。
でもその自分の感情に素直になったと同時に…徹先輩と、ゆみさんのなんとも言えない関係にも気付いた。
陸上でも、こっちでもライバルってか…?
徹先輩は、俺のゆみさんへの気持ちも理解しているようだった。
理解した上で、特に詮索はしてこなかった。
徹先輩と、なぜか知らないが、そういう話をしたかった。
いっとき、徹先輩とゆみさんがゴタついて、なんだか変な空気が部活に流れていたが…それもまた俺を苛立たせた。
部に恋愛を持ち込むな。
走るときは、がむしゃらに走るだけなんだ。
そこに愛だとかそんなものはいらない。
…と思っていた。
だが、少しして、結局ゆみさんとの徹先輩は付き合うことになり…その後の、徹先輩の競技の調子の上がり方ったらなかった。
くだらなく思えていたが…大切な人がそばにいる中で走るというそれも、決して馬鹿なことではなく、何か意味があるように思った。
要は結果のスポーツなのだから。
そこの背景がどんなのであれ、記録が出せる人が偉いんだ。
…去年、俺は徹先輩に、賭けをして、偶然ながら勝った。
あれは、俺の実力で勝てたのでは無い。
運が良かったから勝てたのだ。
あれから一年…徹先輩の調子が戻っている。
また何か、かけて…走りたかった。
徹先輩は、ゆみさんを、心から大切にしている。
悔しいが、お似合いと思ってしまった。
少しでも、惚れたゆみさんが、競技においてライバルの徹先輩の彼女。
徹先輩のレースへの思いを高めるためにも、ゆみさんへの想いを高めるためにも…俺が悪役になろうと思った────
「…先輩…また何か賭けて走りませんか…?」
「…いいよ。今度は何賭ける?」
「…その…」
「俺が勝ったら、ゆみさんと付きあわせてください、って言いたいんだろ」
全て、読まれていた。
後ろにいたゆみさんが、驚いた顔で俺と徹先輩を交互に見る。
「…なんで分かるんすか」
「目を見りゃ分かる」
「えっ、えっちょっと」
「ゆみさん、いいすか、それでも」
「え、いや…え…」
困惑するゆみに、徹が振り返って言った。
「…頷いてあげてやってくれ。その方が…お互い燃える」
「…でも…」
「…去年負けといて、言える身分じゃないけど…大丈夫、絶対に負けないよ」
徹の目は、力強く、まっすぐ輝いていた。
「…分かったよ。いいよ、徹にウサギくんが勝ったら、付き合ってあげる」
「…本当に良いんですか?」
「…徹が良いなら、良いよ…私は」
…この時点で、もう勝てないと思ってしまった。
徹先輩からあふれ出ていた自信は…俺を震えさせた。
ゆみさんを失うかもしれないリスクを背負ってでも…俺に勝つ気だ。
本気だった。
去年、言ったってかなりの記録を出して…少なからず注目されている俺と徹先輩。
徹先輩は、この対抗戦の先を確実に見ていた。
「僕が輝くのは…その先、誰もが僕の名を知れるレース…」
「大勢の人が、テレビで観る舞台すよね?」
「…そうだよ。対抗戦、今年から追加のルール出来たろ」
「…5000mの上位2名を、東京マラソンに招待しますってやつすよね…?」
「…二人で枠取ろうぜ」
「俺はこの際、悪役に徹しますよ?もし、三人での争いになったら…一枠は俺が抑えますから」
「…あめぇよ。僕はトップでその枠を取る。せいぜい二枠目取れるように頑張れよ」
「…言ってくれますね」
勝てないかもしれない。
だが負ける気もない。
本気の、絶好調になった徹先輩と、全てを削りながら勝負がしたい。
それで負けても悔いはない。
もし、勝てたなら…ゆみさんを手に入れられる。
…負けたって、ライバルである徹先輩を引き立てさせられる。
大丈夫だ…。
俺は悪役だって良い。
…徹先輩の人生という映画の中に、そういう存在があった方が、きっと面白いはずだ。
それになれるんなら、負けたって構わないさ。
…対抗戦は…もう目の前だ。
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