君の笑顔

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君の笑顔

何のために走ってるんだ? 散々聞かれたこのフレーズ。 正直言って不愉快。 僕は楽しいから、走っている。 初めて陸上をやろうと思ったのは…小学校ののマラソン大会で優勝してから。 中学で陸上部に入り…才能はそこそこあることを知った。 どうしても勝てない先輩がいて…中学生のうちは、結局最後まで抜けなかった。 高校でももちろん陸上を続けた。 だがそこで、追う相手はいなかった。 常に背中を追いかけ回したあの感覚は、楽しいという言葉以外では表せなかった。 仲間に恵まれなかった高校陸上。 あんな仲間が最後の陸上仲間だなんて、考えたくもない。 それで入った大学の陸上競技部。 そこでゆみと出逢ってしまうなんてなぁ。 恋愛と陸上競技を結びつけるのは、高校でやめたつもりだった。 同じ舞台で戦う人を好きになるのをやめようと思った。 でも、結果こうして、彼女のことを想っている。 彼女を想ってレースをしている。 …だが、それを悪とは思わなくなった。 恋愛と陸上競技を結びつけたって…それが起爆剤になり、僕を走らせるなら、それだっていい。 気がつけば、楽しいから走っているだけでは、なくなっていた。 楽しいのはもちろんだったが…何より、彼女のことを思って走るようになっていた。 何のために走ってるんだ? 今はもう、彼女のためだと大声で言える。 彼女のために、僕が輝くんだ。 僕が走っている時…応援してくれる彼女のあの高い声。 それでも終わった後には平静になり、目を細めて少しすまして笑うあの笑顔。 今はすぐ走り終えて、あの声を目の前で聞きたい。 あの笑顔を目の前で見たい。 ────2000m通過、2分45秒。 まだ設定より速い。 既にかなり呼吸は荒れてきていたが、それでも足を送るスピードは緩めなかった。 ふと、前を走る星野の表情を確認しようと、横に出た。 汗をかなりかいている。 ややアゴも上がっている。 決して余裕というわけではなさそうだ。 あらかた状況の確認を終え、元の位置に戻ろうと軽く後ろを見ると、ウサギが涼しい顔をして目を見てきた。 そして語りかける。 「俺はまだ行けますけど…。先輩、もうちょい派手にやらないんすか」 この場にきてまで僕を煽るのか。 挑発に乗るか、相手にしないか、本気で悩んだ。 いつもだったら迷わず飛び出しているだろう。 だが、今日は賭けているものが違う。 狙っているものが違う。 馬鹿みたいにがむしゃらに走るのが正義では…… 僕の走りのスタンスまで変えることか? 僕は、僕の走り方を持っている。 がむしゃらに突っ込んで、ぐしゃぐしゃになりながらも記録を狙う。 その走り方が、僕らしさだ。 本物の僕だ。 もう十分ハイペースではあるが…まだスピードは出る。 徹は呟いた。 「三人仲良しこよしも、観客に申し訳ねぇな」 徹は勢いよく飛び出した。 すぐに金城と星野が反応する。 そのままペースを上げて、3000m通過、2分42秒。 2000から3000でタイムが落ちることはあっても、上がることは滅多にない。 ここからは、全員が苦しかった。 星野は3000m通過後ジリジリと後退し…50mほど差がついた。 今度は金城が前に出る。 「まだ出るのかお前…」 …正直体力も筋力も限界が近い。 これ以上のペースアップは、ラストスパートに響く。 しかし、ウサギはなおも前に出ようとする。 …どこまで燃えてんだ、このガキは…。 「…っ先輩っ…残り1000まで引っ張っから!!」 ウサギが苦しそうに言った。 …そういうことか。 泣かせるぜウサギ…。 ウサギは、僕が走りやすいレースを作るのに協力してくれたんだ。 5000mにおいて、もっとも苦しい3000〜4000で引っ張ることを、自ら選んだのだ。 「…ありがとよ」 「そっからは贔屓なしっすよ」 それでも前半のハイペースが効き、4000mの通過は2分50秒。 だがまだ合計タイムで言えば設定より速い。 大会新は見えた!! 残り1000m、ペースを一気に上げる。 苦しい。 辛い。 酸欠で耳がよく聞こえない。 目が霞む…。 「徹っ!!!頑張れ!!」 ゆみの声。 高く、愛らしく…優しい声…。 …一番最初にゴールに飛び込んで…彼女を抱きしめよう。 そう思いつき、さらに足を運ぶスピードを速めたその時、ずっと背後にあった足音が変わったことに気付いた。 …音が二つ…っ。 星野が這い上がってきたのだ。 ウサギが…わざわざ外に膨らみ、徹を抜かしにくくする。 そして気づく…。 ウサギ、お前はハナから僕を立たせる気だったんだな。 …だから一番辛い箇所でペースメーカーを買って出た。 全ては…僕を勝たせるために…。 だから今こうして…星野を抑えてくれてんのかっ!! …黙ってりゃあ先輩思いのとんでもねぇ野郎じゃねぇか…。 「…先輩っ…こいつになんか抜かれんな絶対っ!!!」 徹は最後の力をふりしぼり、残り200mで、遠くから見ていても分かるようなあからさまなスパートをかけた。 金城も星野も反応する。 だが、徹は止められない。 みるみるうちに差が開き…残り100mを疾走する。 そして手を高く上げ…5000mを、13分46秒32で走りきった。 そのままトラックに飛び出してきたゆみに飛び込む。 そして全力で抱きついた。 汗で濡れた体は、何も気にしていられなかった。 ただ抱きついた。 …ゆみはいつも通りはにかんだ。 「…おめでとう、徹」 大好きな笑顔と大好きな声が目の前にある。 苦しいこの距離を乗り越えてきた後だと、尚更愛おしかった。 徹は我に返って振り返る。 ウサギと、星野が競り合っていた。 「蓮!!!ラスト!!!」 真横で叫ぶ浦田に気付いた。 そう言えば、ゆみの横にさっきいたんだった。 ウサギは、残り20mと言うところで引き離され…負けた。 「…ウサギ……」 「…あ、あははは…俺負けちゃったよー。先輩」 その場で崩れる金城を、徹は耳を掴んで立たせた。 「…よくやってくれたよ…ありがとうな。僕が走りやすいレース作ってくれて…」 「いや…何もしてないすよ俺。走って、勝ったのは先輩なんすから…。あと、耳掴むのやめてもらっていいすか、俺兎じゃないし、そもそも兎も耳掴むのダメすからね。まず痛い」 そのやり取りを見て、ゆみが笑った。 その笑うゆみを見て、二人も笑った。 マットの上に、二人は座り込んだ。 そして小声で話す。 「…俺、先輩に華持たせられましたよね?」 「これ以上ないってくらい、やってくれたよ。でも、ここまでしてくれなくたって…」 「『僕の何かを犠牲にするだけで、君が幸せになれるなら…』」 「…っ」 「ゆみさん言ってましたよ、先輩のこの言葉が嬉しかったって…。カッコいいこと言うじゃないすか。でも、俺は今日、わざと負けたわけじゃありません。サポートみたいなことは確かにしましたけど、それは事実です。俺の実力が不足してたから、最後競り勝てなかったんすよ」 「…ありがとうな、本当に」 「…頑張ってくださいよ…東京マラソン…」 「背負うモノが増えたな。大丈夫だ。とんでもない記録を出してやるよ」 「俺もテレビ写れるように、おもっきしカマしてくださいよ。『先頭を走る菅原の所属する神奈川学院大学 陸上競技部の皆さんです』って」 「…そうだな、みんなでテレビに出よう」 金城は、その後、ゆみが一人でいるタイミングを狙い、話しかけた。 「ごめんなさい、負けました」 「…速かったもんねぇ徹。でもありがとう、彼のサポートしてくれて」 「…ゆみさんと徹先輩には…幸せになって欲しいんす。でも勝ちを譲ったわけじゃないすからね、そこは勘違いしないでくださいよ」 「うん。良い走りだったよ、ウサギ君も」 「ありがとうございます。あの…ゆみさん」 「ん?」 「俺、好きです。ゆみさんのこと」 「うん…。ありがとうね」 「だからどうして、とかは言えないすけど。好きだから、頑張ってほしいんすよ。徹先輩、大切にしてください」 「もちろん。もう、血迷わないよ」 「…次は東京マラソンすね…」 「どのくらい輝いてくれるかな」 「先輩はゆみさんのこと一番に考えて走ってるんですよ。きっと、あの場一番輝いてくれます」 「…そうだよね。その先は…きっと明るい」 表彰式で笑う徹の笑顔は、どこか、ゆみがいつも見せる笑顔に似ていた。 ゆみの笑顔は、徹の笑顔を作った。 その徹の笑顔が、またゆみの笑顔を作った。
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