君が夢

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君が夢

気付けば二人で遊ぶような関係になって、半年。 2年生に上がった彼らは、少し余裕の出てきた授業に、ホッと息をついている頃だった。 「でも徹声良いから歌ったら絶対うまいって」 「言われたことないんだけど…」 半年経ったが、話すことも、遊び方も、特別変わっていなかった。 未だゆみとは交際関係にはない。 少し踏み出したいと考えたりしたことはあった。 でも、それでもやはり、高校生時代の嫌な過去が、あと一歩で邪魔をする。 そういえば、一つ変わったことがあった。 僕はゆみのことが好きだ。 それは断言出来るところまで確信があるものにまでなった。 だからと言って、今の関係から進む、というのはまた別の話だった。 「聞いてみたいなー。徹の歌声」 「…分かったよ。いつ空いてる?」 いつまでもこの関係を、続けて良いものか。 「ほんと、今年から仲良くなり始めたなんて思えないなぁ。色んなところ行ったし」 「楽しめてもらえているならありがたいけど…」 「楽しいよ。今まで遊んでいた男の子たちとは、なんかこう、違う感じがして」 「今まで遊んでた、ねぇ…」 「嫉妬?」 「そうかもしれない」 「…徹、私に彼氏が出来たらどうするつもり?」 「…彼氏が出来たら…か…。考えたことなかったな…」 「もう自分の物とでも思ってた?」 「…いや…そんな…」 「…いつか他の人の所に行っちゃうかもよ?」 ゆみのこう言う所が怖い。 言葉の端々に現れるサディスティックな雰囲気が、徹にどこか鳥肌を立たせた。 「…僕は…良い子だって思うけど…」 「へぇ〜良い子ね。良い子なんだ?」 「なんだって、なんだ」 「しらなーい」 「はぁ…」 ゆみも気付いている。 このままただ一緒に遊ぶだけの関係でどうするんだと。 他に男から遊びに誘われていることは知っていた。 ゆみ本人がそれを言っていた。 それをわざわざ言ってくるゆみもまた、サディスティックだった。 その翻弄されるような、試してくるようなゆみは、何を思ってそれをしてくるのだろう。 気付いていることには気付いていたが、その上でのゆみの対応は、どう言うことなのか判断出来なかった。 そう言う所がまた、ゆみが気になる理由になった。 「好きなんだぁ?私のこと」 「好意を持ってなければ、こんなに遊んでない」 少し勇気を出して言った。 遠回しではあったが。 「…そう」 少し不意を突かれたかのように、ゆみは顔を赤くした。 それを見て、僕は体温が上がる感覚を味わった。 屋根をオープンにした所から入ってくる、トラックを走るだけでは感じることのできない風が、それを際立たせた。 「大学生の恋愛って、もうだいぶ先を見据えて考えなきゃいけないよね」 「友達も言ってたよ、それ」 僕はゆみと釣り合える、その〝先を見据えた人〟としてふさわしいのだろうか。 ゆみの夢はなんだ? 「就職は?何したいの?」 「家とかの、デザイナーかな。徹は?」 「僕は…自動車メーカーかな」 「……先を見据えてどう思う?」 「車が入るガレージがある、洒落た家をデザインしてくれよ」 「それはどう言うこと?」 「どう言うことだろうな」 歌うのはあまり好きではないが、カラオケがかなり楽しみだった。 「対抗戦、もうすぐだね」 「負けられないよね。かなり燃えてるよ」 「エントリーは?」 「1500mと…5000m。あとマイル」 「まぁたオールラウンダー。すごいよね」 「でも、5000は少し、もしかしたらだけど…離れてみようと思ってね…」 「…どうして?」 「記録の伸びが甘い。マイルとか大学でやり始めて…中距離行ってみようかなって…」 「800!!やってみなよ!」 「今度の対抗戦で────」 「…はぁっ…はぁっ…速ぇな…ウサギ…」 「…もう少しで…抜けそうだったんすけど…」 「次の対抗戦は何出るんだ?」 「5000すよ。あそうだ菅原先輩、今度5000すよね?もし俺に負けたら、今後の大会とか、俺に5000譲ってくださいね」 「…言うなぁ。分ぁったよ。かかってきやがれクソガキ」 4月になり、どんな後輩が入ってくるのかと思いつつ、仮入部の申し込み用紙に書かれた名前を見ると、5000mのベストタイムが1/100秒まで同じタイムだった、金城 陸兎(きんじょう りくと)という男がいた。 生意気なガキだった。 僕はまだ、高校時代に出していた5000mでのベストタイム、14分39秒08という記録が、 未だ破れずにいた。 「今度の対抗戦でウサギに負けたら、しばらく5000から離れる」 「…そしたら800?」 「そうだな。1500と800の専門に切り替えることになると思う」 「でも十分5000速いけど…」 「…僕の夢の舞台はフルマラソンとか、トラックなら5000とか、そういうロングの種目だった。でも無理だ。身体つきが見合ってないんだ。僕のガタイだったら、短い方が向いてるんじゃないかとは思ってる」 「まさか、ハナから負ける気?」 「…そんなことはない。やるからには負けるつもりはない」 「それで良い!でも負けた時のリスクはあるのに、勝った時に何もないって言うのもなんだか不釣り合いな気がするけど」 「まぁ…たしかに────」 … 『ごめん…私はこれ以上…耐えることができない…。私は弱かった…。ごめんね、徹君…。ありがとう。さよなら』 誰のせいか 誰のお陰かなんて 答え合わせはどうせ死ぬとき フィニッシュラインの後も人生は続くように終わって 始まって 終わって 始まって「泣きたい時は泣いたらいいよ」なんて  決して言わない口が裂けても こらえるべきだ  その悔しさは 君を泣かせるには値しない ゆみから教えてもらった、菅田将暉のスプリンターという曲を聴いていたら、訳もわからず涙が出た。 あの日…彼女が死んだ日。 あれから僕の時間は止まったままだ。 あの出来事は、僕を泣かせるのに値しなかったか。 そういえば、彼女が死んだ時、僕は泣かなかった。 状況が飲み込めなかっただけだとも思うし、その方が彼女の幸せだったのではないかとも思った。 彼女が選んだことだから…。 止められなかった自分には後悔したが、もし止めていても、彼女はどこかで死んでいたと分かっている。 それくらい、彼女の意思が固まっていることは分かっていた。 だから、どこかで覚悟していたし、なんとなく想像はついていたのかもしれない。 あれから、ほとんど毎日君が夢に出てくるんだ。 そして語りかける。 ゆみへの想いを捨てるなと。 私を原因にして縛られるのはやめてと。 それは僕のエゴかもしれない。 罪悪感を拭うために、僕が僕を許すために、僕のエゴがそうさせたのは容易に想像出来た。 でも、彼女は今僕がゆみに想いを寄せていることを知ったとして、それでもきっと喜ぶ。 彼女は、そういう子だ。優しい子だ。 …私以外の誰かを、幸せにしてあげて。 もう、こうならないように。 彼女の手紙を、何度も読み返した。 覚悟は固まっていた。 今がその時かもしれない。 「────なら今度、僕がウサギに勝ったら…僕と付き合って」 「分かった、いいよ」 想像以上に、ゆみの返事は軽かった。 即座に返ってきたその返事のせいで、本気なのかふざけているのか、照れ隠しなのかなんとも思っていないのか、何も分からなかった。 でも構わない。 負けられない理由がもう一つ出来た。 5000mのエースは僕だ。 夢の舞台だ。 そして…君が夢だ。
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