君がある

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君がある

夏休みに入り、ゆみと約束通りカラオケへ行った。 この日のために、こっそり練習して、何曲かレパートリーを増やしていた。 ゆみの歌声は、想像以上に良かった。 透き通った声で、心にスーっと響いてくる声だった。 『スプリンター』を歌おうと、リモコンで入力した。 画面の右上に表示された情報を見て、ゆみが目を見開いた。 この日のために、練習したんだ。 後悔だとか 些細な自責だとか  熱情のあとに残る抜け殻 投げ捨てたゴミ箱 振り切った何度でも 終わって 始まって 終わって 始まって「泣きたい時は 泣いたらいいよ」なんて 君が言うから泣けてくるんだよ 終わってたまるか どんな悔しさも  夢を終わらすには値しない 「…めっちゃうまいじゃん、徹」 聞き慣れた曲のはずなのに、ゆみは涙を流していた。 歌詞の一つ一つが、今の僕に、過去の僕に、これからの僕に刺さる歌だ。 「こっそり練習したんだ」 「感動したよ…」 一旦、ゆみのことも、彼女との過去も、忘れよう。 対抗戦が終わるまでは…。 『只今より、令和元年度、関東私立大学対抗、陸上競技大会を、開催致します』 二日間に渡って行われる対抗戦。 関東の私立大学の対抗戦とだけあって、参加校の数もかなり多い。 箱根駅伝に出場する選手が多々参加する大会であるため、箱根で優勝を狙うような大学にとっては、他大学の選手の実力を把握する良い機会だ。 もちろん、人数が足りず、箱根の予選会にすら絡めないうちにとっては、単純に規模の大きい対抗戦でしかない。 僕が出場する3種目のうち、1500mが1日目。予選が10時から始まり、決勝は13時半からだ。 「どう?予選通過できそう?」 同期のマネージャーの聖 雪菜(ひじり ゆきな)が、番組編成表を見る僕の後ろで言った。 「あったりまえよユッキーナ。気にしてるのは決勝だけだ」 「その呼び方やめてって」 3分50秒10という持ちタイムがあれば、決勝に進出は出来るはずだ。例年通りなら。 高校2年で出した記録で、それ以降は5000mばかりやっていたから、公式なトラックで走るのはかなり久しぶりだ。 だが、走力は確実につけてきたから、おそらくベストは大幅に更新できる。 800mが2日目だったために、暇を持て余していたゆみが、アップ中の僕に近付いてきた。 「調子は?」 「良い。結構体動くよ」 「良かった。予選はどう走るの?」 「暴れまわるさ。レースの主導権を最初100mでもらって、あとは僕の好きにやる」 「徹らしいな」 10時になり、男子1500mの開始。 各組2着までが、決勝に進出出来る。 例年より遅いペースで展開する1組、2組。 いよいよ徹が出走する3組目がスタート。 「行け!ファイト徹!!」 宣言通り、最初100mで集団の先頭に立った徹は、ラスト1周に至るまでに集団をふるいにかけ、危なげなく組1位で決勝に進出した。 タイムは3分50秒98。 「おめでとう」 ゴールでゆみが待っていた。 なんだか、今回の対抗戦、やたらとゆみがグイグイ近くに来る。 「ありがとう。まだこれからが本番だ」 少しゆみと話したくなったが、周りの部員から冷やかされても癪だし、何より約3時間後には決勝が控えている。 そして、一番は、恋愛と陸上競技を混ぜたくなかった。 だから欲望をぐっと抑え、ダウンのジョグに出ることにした。 決勝では、3分40秒台から50秒台前半のランナーが首位争いを展開する。 予選で息が切れなかったから、決勝で40秒台前半は夢ではないのではないか。 気付けば13時半になり、決勝がスタートした。 予選とは打って変わってハイペースで進むレース展開。 徹は集団の真ん中で、ただ息を潜めていた。 レース中だと言うのに、徹の頭の中は、ゆみで埋め尽くされていた。 お前はゆみのために陸上をやっているのか?と、自分に喝を入れ、冷静になろうとした。 しかし、ゆみの声が聞こえてくるたびに、徹の身体はひどく緊張した。 ここ一番で加速し切れず、タイムは3分50秒20。 目標である40秒台はギリギリ達成することができなかった。 不甲斐なさに溢れながら、スパイクの紐に手をかけていた徹のそばに、今度は陸兎が来た。 「お疲れ様です。あとちょいでしたね」 「…あぁ」 「先輩、浮かれてるんと違います?ゆみさんとイイカンジだから」 「浮かれちゃねーよ。あんま茶化してるとチョコ食わすぞ」 「俺はチョコじゃ死にませんて本物のウサギと違うんだし。てかチョコ好きだし。でも先輩、このままじゃ、明日のレースは俺が勝つことになりますよ」 「ほざいてろ。絶対に負かすからよ」 そうは言ったが、余計なことを考えてロクな結果を出せなかった自分が不甲斐なさすぎて、自信が持てなかった。 宿泊先のホテルに戻ると、ゆみから連絡が来て、呼び出された。 「調子悪そうだった」 「…ごめん。カッコ悪いところを見せてしまった」 「私のこと考えてた?」 …図星だ。 こうもストレートに言われてしまっては、なかなかに苦しいものがある。 「いや…そういうわけじゃ…」 「考えてもいいよ。でも、考えるんだとしたら…5000で勝った時の私とのことを考えて欲しいかな」 「…そうだな。分かったよ」 ゆみの言葉が暖かかった。 期待させるようなその言葉と、あからさまな態度が、心拍を上げた。 明日に備え、早めに夕飯を食べ、ベッドに潜り込んだ。 明日は雨、それもなかなかに強い雨のようだ。 悪条件で走ることは嫌いじゃない。 ウサギの野郎に一泡吹かせてやらないと。これ以上ナメられるのは癪だ。 翌朝は、予報通りかなりの雨だった。 朝の準備を済ませ、競技場に向かうと、何やら主催の連中が忙しなく動き回っていた。 10時30分に始まるマイルの予選のために、アップを始めていた徹は、主将である、3年の加藤 優也に名前を呼ばれて足を止めた。 「午後から雨がひどくなるって言ってな。マイルの決勝が5000mの前に行うことになったって…」 「なんですって!?どんなスケジュールになるんですか僕!!」 「マイル…やめておくか?」 奥の方で、正午から始まる800mのアップに行こうとしていたゆみが動きを止めた。 正直、今日の本命は5000mだ。 本来、5000mの1時間後にマイルが行われる予定だった。 しかし、雨が午後からひどくなるという予報を受け、主催がとった行動は、予選決勝と分けられるマイルを早めに終わらせ、その終わりの天候で続行かを判断してから、時間のかかる5000mは最後に行うと言うものだった。 これにより、マイルにエントリーしていた徹は、マイルの決勝をしてすぐに5000mも走らなければならないことになってしまったのだ。 徹が5000mに本腰を入れていることは加藤も知っている。 だから、徹にマイルを棄権するか呼びかけたのだ。 「…僕が出ないって言ったら、ウチとしてはどうするんです?加藤さん」 徹は敢えて、挑発的に言った。 「大谷と杉田は、特に影響ないけど…補欠の相田が走っても…意味があるかってのは…だからまぁ、菅原が出ないんなら…ウチは棄権するかな…」 1走の加藤、2走の、同い年で、高校からの知り合いの大谷 純(おおたに じゅん)、3走の、3年杉田 誠(まこと)。 この3人の想いは、徹が走るかどうかに委ねられた。 補欠の、1年相田 隆太(りゅうた)は、人数が足りず取り敢えず入れられたメンバーだから、いきなり責任重大な4走を走らせるのも酷だ。 ここで走ったら、5000mで良いタイムが出ない可能性の方が高い。 今日の5000mは、色々なものがかかっている。 並々たる想いではない。 しかし、徹は迷うことなく答えた。 「僕は走りますよ。僕が走らないだけで、他3人の想いを踏みにじるんなら、5000mに響いたとしたってやりますよ」 真っ直ぐすぎるくらい、はっきり言い放った。
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