君を見る

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走る前に、髪をこめかみから手をかけて耳の後ろまで持っていくあの仕草。 少し威圧感があったけど、私は徹君のあの仕草が好きだった。 部内恋愛、というものに、抵抗が無かったわけではない。 むしろ、あまり良いとは思っていなかった。 私が徹君と付き合い始めたのは、高校二年生の、夏休み。 告白は、私からだった。 夏祭り終わりの、保土ヶ谷公園の階段。 『徹君…私は…あなたのことがどうしても好き。部内恋愛は避けたかったけど…どうしようもなかった』 まっすぐな想いを伝えた返事は、『僕も気になってたんだ。付き合ってみようか』だった。 私たちのこの関係は、他の部員に徐々に知られ始めた。 それをよく思わない人が多かった。 特に、徹君に想いを寄せていたであろう、マネージャー、浦田 夏美は、そうだった。 マネージャーは、かなり派手めな女子で、部員以外の友達も多かった。 部内では割とワガママな子だった。 それ故に男子を従え、さらに気が強い性格だったから、半ば暴君的な雰囲気を感じてはいた。 だから、あまり得意な子ではなかった。 だが、私たち陸上部員は、数が少ない故、みんな仲が良かった。 苦手という感情は押し殺して、生きていた。 二年生後半から、あからさまに部員からのいじめが始まった。 ランニングシューズに画鋲を入れられた。 着替えを隠された。 あからさまなハブり。 ネットへのデマの書き込み。 初めは涼しい顔をしていた。 苦痛に顔を歪める私を、彼女らは期待している。 だから、意地でも平穏を装った。 我慢、我慢の日々。 我慢を続けた私は、3年生に上がる頃、限界に達していた。 最後の総体を迎え、徹君と共に取り敢えず1500mで県大会を決めたが、県大会で良い走りができるとは思えなかった。 そんなくだらないことに、頭を悩ませながら、県大会に向けた調整練習をしていたら…。 くだらない段差に足を取られ、捻挫というくだらな過ぎる怪我をして、県大会を走ることが出来なくなった。 何もかも、どうでも良くなった。 そして…最後の県大会の前日…。 鈍く光る銀色がギラつく。 それをすぐにどす黒い赤が隠した。 怪我をしたことは聞いていた。 だから、大会に来なかったのも、何となくそういった事情で来たくなかったんだろうと考えた。 だが、頑張ってくるねと送ったラインの既読が、いつまでも付かなかった。 それに違和感を感じずにはいられなかった。 違和感を感じながら、良くない心持ちで走ったためか、最後の総体は、2年生時の新人戦よりもひどい結果に終わった。 彼女が死んだことを知ったのは、総体が終わった翌々日、学校で急遽開かれた全校集会だった。 遺書には僕の名前が書いてあったから、先生に呼び出され、事情を聞かされた。 確かに、いじめはあった。 それに悩むタイミングで怪我をして大きな大会を棄権して、自尊心が傷ついていたのは分かっていた。 だが、彼女はその程度で死を選ぶような子では無いと、どこかで思っていた。 部員への怒りは只者ではなかった。 彼女が死んだというのに、いつものように、僕と彼女を除くメンバーで笑いながら話している。 まるで空気だ。 僕も彼女も、ハナからここにいないかのような感覚になった。 だが怒り狂うことはなかった。 感情は押し殺した。 それは、彼女の遺言を、守るためだった。 彼女がとても自殺したとは思えなかったが、遺体は期待を裏切り無惨であった。 どうして、最期に僕に相談してくれなかったんだ。 彼女が、こうなってしまうほどにまで追い込まれていたことに気付かなかった自分が情けなかった。 …何か、彼女の死ぬ理由が他にあるんでは無いかと思った。 それを考えないといけないくらい、彼女が悩んでいたことが、彼女が死ぬに値しないと思ったからだ。 だが、どんな理由であれ、彼女がこの世から消えたのは事実。 二度と戻らないことに変わりはない。 だが、彼女が骨だけになっても、未だもういないと言う実感は湧かなかった。 こんなことがあって、大学で陸上競技を続けようとは、本気で思えなかった。 言ってもそこそこな成績は残していたから、いくらか大学から推薦も来ていた。 だが、陸上競技をまともに続ける気は無かったから、全て蹴った。 そう言った視点から言えば、神奈川学院大学は、人数は少ないが皆実力はそこそこ、と言った、仲良しグループの集まり感があって、好感を持てたのが、入部した理由でもあろう。 何より、連中を僕の最後の陸上競技の仲間に、したく無かったのだ。 だから続けた。 しかし、入ったら当然、新たな出会いがある。 結局は、そこで出逢ったゆみのお陰で、心が穏やかでなくなっているのだが…。 また今夜も、君が夢に出てくる。 『ゆみさんを諦めたの?』 『自分で課したハードルを越えられなかった。付き合うことはできない』 『そう…。じゃあ、いつ付き合うの?』 『…一旦離れる。この間に、ゆみにとって良い人が現れるなら、そっちに行って構わないって思ってる』 『それを耐えられるの?』 『…きっと耐えられない。でもしょうがない』 『…そう言うところ、本当堅いよね。』 『…最後に戻ってきてくれればとは…思うけど』 どうしてだろう。 確かなものは、僕はゆみが好きであると言うこと。 付き合いたいと言うこと。 だが、過去の彼女のことを引きづりつつも、続けた陸上競技。 やるからには、生半可に終わらせる気は無かった。 だから、エースであろうと思った。 だから課した。 生意気な後輩の挑発に食ってかかり、自らハードルを課した。 そこにさらに、それを越える糧も、自ら与えた。 そのハードルを、不可抗力とは言え越えられなかったのも己。 その糧を逃したのも己。 そして、彼女から離れると言う選択を取ったのも、また僕自身だ。 だというのに、こうしてまた毎日ゆみを想っている。 煮え切らないこの感覚で頭がおかしくなりそうだった。 毎日夢で語りかけてくる彼女が、ゆみについて問うのも辛い。 こんなことになっている中…ゆみは誰を想い、何を見るのだろう。 彼は、頑なに私を愛してくれた。 その愛を裏切る行動を取った私を、私は死んでから後悔した。 私の願いは、彼が誰も恨まないでいてくれること。 そして、私を忘れて、私以外の誰かと幸せになること。 自殺まで追い込んだ彼女らを、恨むなと言ったのはどうしてだったかな。 確か、怨みをつらつら書いた手紙も用意した。 でも、なんだかそれだと、彼女らに取って、一過性の罪意識しか与えられないと思ったのだ。 放っておこうと考えた。 わざわざ私が死んでまで教えることではないと。 いつかきっと、知り、悔やみ、どん底を見る。 そうなれば良いと思った。 だから変わらず、気付かずに大人になって欲しかった。 だから恨むなと書いた。 無関心で良い。 どうせ関係のない人生だから。 それで十分だったけど、やっぱり悔やんだのは、私のことを引きづり、煮え切らず、苦しんでいる徹君を見て。 伝えてすぐ吹っ切れるわけはないとは思った。 でもやっぱり、彼はいつまでも暗い目をして…だから夢で話す。 大学でも陸上競技を続けたのは驚いた。 同時に嬉しかった。 だから、そこで出逢った、ゆみさんのことを夢で話す。 その恋を、叶えて欲しかったから。 綺麗事じゃない。 私で苦しむ徹君じゃなくて、隣にいるのが他の人だとしても、楽しそうな徹君が見たかったんだ。
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