西暦20XX年のある日

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 普通とは何だろう。朔夜は小首を傾げた。  朔夜にとっての『普通』といえば、雨風凌げる家という名の箱だけを提供され、少ない食べ物さえ同居人と奪い合うような施設での暮らしだ。  眠る時は堅い床の上で、身体に掛けるものはなく、冬場は寒い。年間通して、朝起きた時は体中がバキバキだ。  不衛生で掃除用具もなく、身体を洗う水さえ供給されない。病気になるなと言うほうが難しい環境の中、一度体調を崩せば軽い風邪でさえ命取りだ。  病院での診療には、莫大な費用が掛かる。今時、病院に掛かれるのは政治家か、一部の金持ちだけと相場が決まっていた。  日本人の死亡原因第一位がガンだったなんて、それこそ大昔の話で、今では盲腸がその座に君臨していると言われる。  が、朔夜は個人的には、死因の第一位は軽い風邪だと信じて疑っていない。  そこまで考えて、いや、夏場の熱中症で死ぬ人間のほうが多いかも知れないなと思い直す。  朔夜の生まれる何十年も前から、地球は異常気象だった。特に夏場の東京の暑さといったらまさしく殺人的で、そんな暑さの中だというのに、庶民には電気も供給されなくなって久しい。クーラーなんて、朔夜は大人たちの話の中でしか聞いたことがなく、どんなものなのかを想像することもできない(あると涼しいらしいと聞いているが)。  それを告げると、幽々子は淡々とした表情で頷く。 「そうさねぇ。あたしらの頃の普通は、ちゃんとした綺麗な家に住んで、風邪を引いたら病院へ行って治して貰えてた。夏にはクーラーがあって冬には暖房。毎日お風呂に入って、家族で笑って幸せに暮らして、何を言っても罰せられなかった」 「何を言ってもって?」  しかし、幽々子は唇に指先を当てただけで答えてくれなかった。 「とにかく自由だったのさ。人間らしく、自分らしく生きられた。お上に生活や思想の善悪まで決められずに、逆らったら死ぬ心配なんてしなくてよかった。そんな日が来るなんて想像もしなかったよ。外国でそんな国があっても、あくまで余所事だった。そりゃあ、あたしの若い頃はちょっと窮屈になったなって思ってたけど、それだけだった」
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