斑猫

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斑猫

ハンミョウという昆虫がいる。  漢字では『斑猫』。  空色とオレンジ色の模様が美しく、昆虫好きなひとなら一度は捕獲に夢中になった経験があるらしい。  私はバラ売りの便箋の横に色鉛筆を並べ、この美しい昆虫のイラストを描いていた。 「わーー!上手だね!でも、どうして同じ昆虫ばかり描いてるの?」 「ねえねえ、カブトムシ描いて!ヘラクレス!」 学校帰りの子供たちが私の回りに集まってきた。 「この昆虫しか描けないんだよ。絵は苦手でさ」 そう言いながら、私は子供たちの顔を見回した。 「そうだ。君たちが余白に色々な絵を描いてくれないかな?そうしてくれたら、みんなにクジを一回ずつ引かせて上げるよ」 わあっと、子供たちがテーブルがわりのゲーム台の回りに集まる。 色鉛筆を融通し合い、たちまち、余白の多かった便箋は表も裏も、賑やかなアニメキャラクターやらで埋め尽くされる。  約束取り、みんなにクジを引かせると『愛の鐘』が折よく鳴り始めた。  子供たちが元気よく店を飛び出していく。  家に帰ったらまずは宿題だろうか、それともテレビゲームか。  私は子供たちの家での過ごし方を知らない。  どんな家庭で、どんな遊びをしていて、何時に寝るのか。 知っているのは学校帰りの、わずかな時間にみせてくれるひとときの顔だけだ。 イラストで埋め尽くされた便箋を持って、私は店の奥…ささやかな事務室がわりの部屋に上がった。 質素な部屋には似つかわしくない、立派な仏壇の前に座ると便箋を見つめる。 私の描いたハンミョウは、いつの間にかオリンピックキャラクターの胸に抱かれている。 なかなかセンスのある構図に、思わず唸った。 「ハンミョウみたら、いいことがある……」 誰に教わったのか、こんなジンクスをこの年になるまでずっと信じ続けている。 実際、ハンミョウは比較的街中でも見る事ができるわりに、発見すると気持ちが明るくなるほどの美しい昆虫ではある。   気まぐれだ。  便箋にハンミョウのイラストを描き、その寒々しさを紛らわすために子供たちの絵を加える。  何か伝えたい事があるのでもなく、ただ、仏壇の前に引き寄せられるように座し、手を合わせるでもなくぼんやりとしていた。  賑やかな絵手紙だ。  字が読めなかったあの子も喜ぶだろう。  そしてたくさんのイラストに埋もれた、大好きなハンミョウを見つけて、ピョコンと飛び上がって笑顔になる……。  私は便箋を仏壇の端に突っ込んだ。  同じような便箋が何枚も突っ込まれている。  この手紙は、ずっとここで留まったままだ。  私の手紙が届けられるまで、まだ間があるらしい。 『愛の鐘』はとっくに鳴り終わっていた。  私が気まぐれを起こしたせいで、今日は手紙の客が来られなかったのだろう。  彼らを拒む理由などないはずなのに、時おり、その存在のあやふやさに引きずられそうになる。  私がいま、生きているからだろう。  そう結論づけて、私は店に戻った。
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