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みんな
私の文房具屋には不思議な客が来る。
その日は学校帰りの子供たちが、わあわあと騒ぎながら彫刻刀のセットを受け取りに集まっていた。
みんな、四年生だ。
美術工作の授業で彫刻刀を使うのは四年生からと決まっている。
学校指定で購入してもらってるので、切り取り線以下の申込み書の束を確認し、子供たちに彫刻刀と領収証を渡していく。
「領収証を保護者の方に渡してくださいね」
今時の家庭は複雑だ。
むかしならばお母さんに渡してくださいねと言えば良かったのが、お父さんでも、おうちの方でも不都合が生じる。
彫刻刀の申込書のひな型を見せにきた、小学校の事務の男性職員が、愚痴のように呟いていた。『寄せ集めの家族ってあるんですよ』。
私は、注意深く子供たちに彫刻刀を渡す。
好奇心一杯の子供たちはその場でパッケージを開けてしまい、彫り物に使うとはいえ立派な凶器である刃物をみて、興奮し目をギラギラさせる。
子供に刃物を持たせるなんてと、批判が多いのも知っているが。
私としては、数少ない学校指定の大口売り上げだ。
彫刻刀を売り続けられるかは、子供たち次第だ。
「みんな受け取ったかな?授業で使うまで刃のキャップははずさないようにって先生に聞いてるよね」
興奮した子供たちの耳に届いていると信じるしかない。
私は、彫刻刀を受け取りに来ていた四年生の一団の向こうに、一人の少年を見つけた。
痩せた子供だった。
四年生の子供たちの後ろにいると、ふたまわりはシルエットが細い。
少年は、私と目が合うと、
『バラ売りの便箋と封筒を一枚ずつください』
はいっ!と片手を大きく上げながら甲高い声を上げた。
「うわあ、変な声!耳が痛い!」
「こいつのランドセル、すごいボロボロ!こんなの見たこと無い!」
「うちの学校?」
たちまち子供たちが取り囲む。
確かにその少年のランドセルの痛み様は、大人から見ても気の毒なレベルだった。
端はめくれあがり、安い合成皮革はひび割れて、本来の黒い表面の滑らかさを失っていた。
ピカピカの、かっちりしたランドセルに囲まれると、惨めに縮こまって見えた。
「見ろよ、こいつのスニーカー。【超速スニーカー】の新作だぜ」
子供たちが少年の足元を覗きこむ。
「貧乏人の癖に、靴だけ新作って変だよな!」
少年は、身なりと不釣り合いなメタリックグリーンのスニーカーを履いていた。
子供たちの間で、走るのが早くなると評判の、【超速スニーカー】。海外ブランドにシェアを奪われ倒産寸線の靴メーカーが起死回生で発売し、大ヒットして会社を建て直したとテレビで見た。
子供の靴としてはたいそう高価だが、普通の家庭で買えない値段でもなく、みんな履いていた。
「この靴、すげー高いってお母さんが言ってた。どうしたんだよ」
『誕生日にもらったんだ』
「うそだろう。盗んだんだろう!」
「そういえば六年生の靴が無くなったって兄ちゃんが言ってた。お前が犯人だろう!」
ぎらりと少年の目の奥に、怒りと狂気の光が点った。
「便箋は15円。封筒は25円。切手も必要かな」
私の問いに、少年は、はいっ!と手を上げて返事をした。
まるで、そうするようにプログラミングされた人形のようだ。
ポケットから小銭入れを出して、一枚ずつお金を数える。真剣そのもので、間違ってはならないと緊張しすぎて顔が強ばっている。
その、真剣な様子に子供たちが何事かと集まってきた。
「そこ、おかしいよ。便箋と封筒で40円。切手が82円なんだからさあ」
「こいつ、計算できないんじゃないの?」
「えー!こんな足し算、一年生じゃんか。おまえ、何年生?」
『五年生…』
えーーっ、うそだーー!ちっさーい!
四年生の子供たちが一斉に叫んだ。
少年の目が、異様な表情を見せた。
背負っていた古ぼけたランドセルを床に置くと、サイドポケットに手を突っ込んだ。
私の位置から、少年が彫刻刀を手に握りしめたのが見えた。
「ほら、みんな。見守り隊の老人会が旗を持ってきてくれたよ。帰りなさい」
この地域では、週に何度か老人会が交通安全キャンペーンで、スクールゾーンに進入してくる車を取り締まっている。
この路地は大通りまでの近道ではあるが、道幅が狭すぎるのだ。
時間指定の進入禁止を、老人会が見張っている。
「あっ!うちのバアバだ!」
何人かが店を走り出た。
つられて子供たちは外に走っていく。
「切手の代金を入れると122円。お金が足りないね…葉書だったら62円だよ」
少年は、ランドセルのポケットに手を突っ込んだまま、頷いた。
『葉書でも大丈夫。…たぶん』
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