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 私の文房具屋には不思議な客が来る。  三十代半ばの主婦だろうか。  中年にさしかかりつつある落ち着きと、健康的な肌色。  何の苦労も不幸も感じさせない強さを持っていた。 『この写真の男性に見覚えはありませんか』  彼女は手に握りしめていた写真を私に差し出した。  家庭用プリンターで印刷したらしい、変色が進んだ写真だ。  アウトドアキャンプをしている男性と、目の前の女性。  二人のやんちゃそうな幼児が写っていた。 「いいえ……残念ですが。ご主人様ですか」 『……手紙が届いたんです』  その主婦の女性はキャンバス地のトートバックから手紙を引っ張り出した。  よれよれになった角、水に濡れたのか宛名の文字はかすれてしまっている。  切手には確かにこの店の最寄り基地局の消印が押されていたが日付は途切れて読めなかった。 『川遊びをしていた時に三歳の息子が流されて、夫が助けるために飛び込みました。私もすぐに消防隊を呼びました……でも、助からなかったんです』  それまで気丈にしていた彼女の堰がもろく崩れた。  ポタポタと涙を流す彼女を店内に招き入れて、唯一のテーブル席でもあるテレビゲーム台の前のスツールに座らせた。 『夫は手紙で、お前の大切な息子を危険にさらして悪かったと何度も謝っています。でも、わたしはそんな事を謝ってほしかったんじゃ無いんです』  はらはらと睫を伝うしずくが、彼女の膝に触れてこぼれる。  それでも彼女は嗚咽を漏らすこと無くしばらくすると落ち着いた。 「何かお飲みになりますか」 『いいえ……結構です』  そう言うと、タオルハンカチでメイクに触れないように気を遣いながら涙を拭って立ち上がった。 『バラ売りの便箋を一枚くださいませんか』 「ええ。もちろんです」  私は安物の便箋を一枚用意した。 「封筒や切手はどうしますか」  私が尋ねると、彼女はにこっと笑って彼女の夫から届いた手紙の中から返信用だと思われる封筒を引っ張り出した。  私の店でバラ売りしている封筒よりもはるかに上質で、切手も綺麗な絵柄の物を選んでいる。 『今、どうしているか教えてほしいからって返信用の封筒が入っていたんです。でも、便箋は入っていなかったの……あの人って気がきくくせにどこか抜けてるのよね』  くすくすと笑いながら便箋を受け取り、揃えておいたロボットアニメのイラスト入り鉛筆を手に持って、 『珍しいわ。この鉛筆って小刀で削っていらっしゃるの?』  私は曖昧に返事をし、彼女もそれ以上問いかけてくることなくテレビゲーム台に便箋を置いて、ふうっとため息をついた。
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