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4.
ジョゼフは理事長の家で娘の家庭教師をしているらしく、息子のエドワードとはそこで知り合ったと聞いた。そして度々、絵のモデルを……
そんなことを考えながらダリルが校内の階段を下りて行くと、廊下にジョゼフとエドワードの姿を見付けた。ジョゼフは何やら困ったような表情をし、エドワードが何か説得をしているようだった。
しかし視線に気付いたエドワードは、ちらりとダリルのほうを見ると、逃げるように早足でいなくなった。
「?」
不審に思ったダリルは、すぐにジョゼフの下へ駆け寄った。
「ジョゼ!」
「ダリル?」
「何か困ってたみたいだけど、大丈夫か?」
「……」
その問い掛けにジョゼフは苦笑いした。
「ヌードを描かせてくれって、頼まれてさ……」
「ヌード!?」
ダリルは唖然とする。
「それで、断ったのか?」
「いや……」
ジョゼフは首を横に振り
「まさか、OKしたんじゃ……!?」
気が気ではなかった。ジョゼフは無防備だと思ってはいたが、“そんなこと”があっていいわけがない。
「いや、まだ“イエス”も“ノー”も言ってない」
「そんなのすぐに断れよ!」
何で断らないんだ!? お人よしな彼に、ダリルは憤りさえ込み上げてきた。
「やっぱ、そうしたほうがいいのかなぁ……?」
ダリルは溜息が出た。呑気なジョゼフのその言葉にすっかり呆れてしまう。一息ついてから言葉を吐き出した。
「当たり前だろ?……すぐに断れ!」
「でも、お世話になってるしなぁ……」
「そんなこと関係ない! ――あいつは変態だ。お前のことを……『綺麗』だなんて言ってたし……」
それは自分が言った言葉ではなかったが、ダリルは言うのが恥ずかしかった。それを聞いたジョゼフは
「綺麗?……ははっ、冗談だろ」
と全く真に受けていなかった。
「今日、空いてる?」
ある晴れた日の午後、授業を終えるとダリルが言った。
「うん。空いてるよ」
ジョゼフはそう返事した。穏やかな陽気が心地いい。こんな日はカントリーでも聞きたいな。ダリルはそんなことを思いながら伸びをした。
すると携帯電話の着メロと連動してバイブが鳴った。
「……」
ジョゼフがバッグから携帯電話を取り出し、着信メールを読む。
「ごめん、今日彼女がうち来るってメールが来ちゃった……」
「彼女?――」
ダリルの頭の中は真っ白になった。
「本当ごめん! また今度っ」
申し訳なさそうにジョゼフは言ったが、ダリルは何も言わずに無言で去って行った……
ダリルは原付バイクを飛ばした。このままフルスピードで駆け抜けたい気分だ。スピードを上げると容赦なく風が全身に吹きつける。空は穏やかに晴れていたが、彼の心は薄暗く曇り、ぽっかりと浮かぶ怪しげな雨雲を連想させた。それはまるで土砂降りの前のような……
自宅のアパートに着き部屋に戻ると、彼はCDを流した。
「――」
70年代のベストアルバムを聴き――それに浸る。
「くそっ!」
しかし、すぐに気分は苛立ちへと変わった。
クリアなその音は鮮明に当時の楽曲を再現していたが――違っていた。
彼は“あの音”が聴きたかった。
ターンテーブルに乗せたレコードに
モーターアームの先に付いた針を乗せ
回転を始めた瞬間……
パキパキッと擦れる
レコード盤との
――摩擦音
回転が進み
それをシンプルに再生する
スピーカーの
あのモノラルの音が
ジョゼフに彼女ができたことはすぐに校内で噂になった。ジョゼフはもちろんのこと、ダリルが誰かに話したわけではない。どこかで見かけた者がいたのか、とにかく根も葉もない噂ではなくそれは事実だった。
「あいつ趣味悪いな」
「何で、あんなブスなんかと」
そんな悪意に満ちた言葉があちらこちらで飛び交う。
相手は同じ大学の生徒で地味で、目立たない同級生の女子らしい。悪い子ではないのかもしれないが、散々他の美人な女子生徒達を振り続けてきたジョゼフが、彼女を選んだことに納得するものはいなかった。誰もが二人を祝福せず、非難と嫉妬の嵐である。そんな中ダリルは彼女がどんな女性か知らなかったが、やはり祝福はしていなかった。そして、その存在を知ったあの日以来
――彼とは距離を置いていた。
『女が抱けない』
そう言った彼も、彼女を抱くのだろうか
キスは……
こんなことを考えてしまう自分が分からず、苦悩する日々が続く。
ある日の明け方、深夜のバイトを終えて帰宅すると、玄関の前で携帯電話の着メロが鳴った。上着のポケットからそれを取り出す。
“Jozeph” ディスプレイの表示が相手を示す。着信はジョゼフからだった。
「……」
ダリルは電話に出るのことを躊躇うが、急かすように電話は鳴り続けていた。
「……ちっ!」
しつこく鳴り続ける電話に舌打ちすると、ダリルは根負けして仕方なく電話に出ることにした。端末を耳に当てる。
「――」
何も話したくないので無言で待つ。
《良かった。出てくれて……》
久しぶりに聞く、ジョゼフの声。
「何か用か?」
ダリルは冷たくそう言い捨てた。女を抱けないと言っておきながら彼女がいたジョゼフ。あれは嘘だったのか? ダリルは裏切られたような気分になり、ジョゼフが許せなかった。
なんであんなことをオレに言ったんだ。彼女がいるくせに……
馬鹿にしやがって。
くそ――!
ダリルはその怒りをぶつけてソファーを殴った。
《彼女が死んだ》
「――?」
電話口から聴こえたその一声に、ダリルは言葉を失った。
ジョゼフがさらに続ける。
《オレは彼女と恋人のふりをした。
彼女はあんなに幸せそうにしてたのに……
オレに愛されてると思い込んだまま死んでった。
だから、“罪を償う”ことにした》
「!?」
償う――その最後の言葉に衝撃が走った。頭の中で最悪の結末を展開してしまい、ダリルは激しく頭を振ってその思考を否定した。駄目だ、そんなこと。あってはいけない! 止めなくては……
「ジョゼ、何を考えてる!?」
《ダリル、最後にオレの声を聞いてくれてありがとう……》
電話の声はそこで途切れてしまった。
「ジョゼ?……」
ダリルは家を飛び出した。
原付バイクを飛ばしてジョゼフのアパートへと向かう。闇を振り切り裂くように原付バイクを走らせる。途中の信号待ちが煩わしい。立ち並ぶ家々がうっとうしい。全部突き抜けて一直線に彼の下へ行きたかった。ただの勘違いか、冗談であってほしい。しかしジョゼフは冗談であんなことを言うような奴ではない。ジョゼフがいなくなってしまう……! そう思えてならなかった。
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