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月明かりの下で線香花火
俺はその日…不思議な体験をした。
世間がほどほど寝静まった夜に俺は一人でドライブに出掛けていた。
仕事で嫌なことがあり、とにかくどこか遠くへと車を走らせたかったのだ。
ナビも使わず、たどり着いた先は静かな湖畔の小さな駐車場であった。
車は一台も止まっておらず、俺はその場所に一人きりであった。
俺は車から降り、湖畔を散歩することにした。
俺の心の中とは裏腹に、満月の明かりに照らされたその湖畔は凄く美しかった。
「俺も見習わなきゃだな…。」
湖畔の周りは雑草が生い茂り、少しぬかるんでいた。サンダル来てしまったことを後悔した夜だった。
「あっ…そういえば。」
俺は急にあることを思い出し、車へと戻った。
9月の初旬の夜だった。8月までに消化出来なかった花火を荷台から取り出す。
「どうせだから使ってしまおう。しけっちゃうしな。」
俺はバケツと花火とチャッカマンを携え、再びさっきの場所へと戻った。
湖の水をバケツで掬い上げる。水面に写し出された満月が歪む。
カチッ…
ボアアアッ…
「線香花火だけたくさん残ってる…可哀想なやつだ。俺と一緒だな。ははっ。」
バチバチと輝き出した光の球体が次第に膨らんでいく。いつかは落ちてしまう儚さを背負い込みながら、それは元気よく弾ける。
「俺の人生もこーんな感じかな …よーしこうなりゃ、一気に燃やして、あの満月よりでっかい球体をつくりあげてやろうか。」
俺は勢いよく線香花火の束を握りしめると、
一気に着火した。
ボアアア…ボボボボォ…!!
バチバチ…ヂリヂリ…!
「はぁ…なんだか悲しいな…俺はなにやってんだろ…。」
その瞬間…。
「!!」
光の球体が凄まじく膨張し、俺の身体を丸ごと飲み込んだ。いや、包み込んだといったほうがよいだろう。
温かくて、柔らかくて、気持ちのいい膜の中で俺の脳裏に浮かんできたものは…
小さい頃の記憶だった。いや、全く見覚えのない記憶?思い出がそこにあった。
湖畔のボートに笑顔満ち溢れる情景。そして、優しそうな男性と女性の温かそうな腕で包み込まれている幼い子供…
これは俺だ。それは理解できた。
俺は幼い時に両親を不慮の事故でなくしている。その記憶や思い出は全く覚えてはいない。両親の顔さえも…。
ただ、そこには間違いなく存在していた。感覚が滑り込んでくる。これは頭の片隅に眠っていた記憶の欠片…本物の記憶だと伝わってくる。
「お父さん…お母さん…」
自然と涙が溢れ出してきた…。止めどなく流れ落ちるその泪は球体の下の方に無数に落ちていく。
ジュワッ…。
涙を流すたびに、その記憶の映像は次第に薄くなっていった。
「まだ…まだ消えてはだめだー!」
手を伸ばそうともどれだけ声を出そうともその叫びは届きはしなかった。
……湖畔に柔らかな風が吹く。
何事も無かったように湖面に照らし出された
満月は綺麗に浮かんでいる。
さっきと比べて一段と光輝いて見えた。
俺は乾いた涙を確認し、一礼して感謝した。
「ありがとう…。」
不思議な体験をしたにも関わらず、俺は何も疑いはしなかった。
昔、家族で訪れた場所…唯一浮かび上がってきた思い出の場所。
俺はスッキリした顔で車中泊をしていたに違いないだろう。折角の思い出を決して絶対に忘れないように何度も何度も頭に焼き付けながら。
………
折られてしまったのだろうか。落ちていた看板には満月の夜花火禁止の文字とともに、こう書かれていた。
『思い出したい記憶の欠片…甦ります。』
【完】
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