7人が本棚に入れています
本棚に追加
/3ページ
*
早速作業にかかりました。
晩秋です、いつこのコートの出番があるとも限りません。
丁寧に裏地の縫い目をほどきます。左の身ごろを外し始めて間もなく、何かが入っているのが判りました。
飴の個包装の袋やアメリカピンなど──ああ、裏地と同じ布で作られた袋状のポケットが破れています、気が付いてご自身で縫ったのでしょう、不自然な形で合わせて縫われていました。これも一緒に直しましょう。
他にも丸まったティッシュや切符などもあります。切符はかなり掠れていますが91と言う文字が見えました、1991年ということでしょうか。このコートが見てきた歴史を感じました。
そして、小さな封筒を見つけました。
手に取り思わず微笑みました、拙い字で「おかあさんへ」とあります。
失礼ながら中も確認させていただきました、ふたつに折られた小さな紙が入っています。
見てしまう事は内緒です。そっと取り出し、開いていました。
『おかあさんへ
いつもおいしいごはんつくってくれてありがとう
いつもミコのためにいろいろしてくれてありがとう
おかあさん、だいすき
ミコ』
ミコ、とは矢上さまのお名前です、美湖さまです。
拙い字、拙い内容、幼い頃に書いたお手紙と判ります。
受け取った時のお母様の笑顔が見えるような気がしました。
そして大事に取っておこうと思ったのでしょう、お気に入りだと言うコートのポケットに入れて、いつの間にかコートの奥深くに落ちてしまったのでしょう。
それから何十年も、この手紙はひっそりといつも傍にいたのです。
その様子に笑顔にならずにはいられません。
飴の袋やティッシュは捨ててしまってよいでしょうが、これだけはきちんとお戻ししないといけません。
手紙を元のようにたたみ、封筒に戻しました。他にも出て来たものと一緒にビニールの袋に入れ、店のお知らせを貼ってあるコルクボードにピンで留めます。
これをお返した時に、おふたりは喜ぶだろうかと想像して、私はまた笑顔になりました。
まるで小さなタイムカプセルです。時を越えて、親子は愛を確かめあうでしょう。
その様子を思うと、とても温かい気持ちになります。
さあ、一生懸命、作業を致しましょう。
終
最初のコメントを投稿しよう!