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遠くに行っていた兄が帰ってきた。
面影はすべて灰になり、白い陶器の壺のなかに収まっていた。
それは梅雨空の広がる薄暗く肌寒い日のことだった。
粗暴な男だった。
言葉で気持ちを伝えるのが年端もいかない子供よりも下手くそで、母と父を悲しませては私を苛立たせた。
配慮というものがなく、自身の声の音量すら調節出来ない。どこにいようと馬鹿のように大きな笑い声が聞こえてくる。そのたびに私は頭痛を催していた。
あの男への感情で、まともなものは何一つない。訃報を聞き、骨壺を手にしたところで、私の心は平時となんら変わりなかった。むしろ凍えるぐらいに冷たく凪いでいた。
供花や水とともに仏間におかれた兄はとても静かだった。こちらの気持ちをいたずらに波立たせる言動もとらない。あの男の前に座って、これほどに心穏やかでいられたことがあっただろうか。
母は些細な事で涙を流すようになった。兄が使っていた部屋に入っては泣き、台所の引き出しからあの男の箸置きを見つけては目を潤ませていた。家中に細かに散らばった故人の痕跡を器用に見つけては口元を覆って泣いた。
四十九日が近づいてくるころには、そんな母の背をさすることも欠伸やくしゃみのように日常のひとつになっていた。死んでもなお両親を悲しませる男への怒りも幾分か落ち着いてきていた。
寺の手配を終えて黒電話の重い受話器を置いたところで、玄関の引き戸がガラガラと開いて、途中で突っかかった。戸に嵌った擦り硝子がわめくように鳴り響く。
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