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12月20日
冥途にやってきた坂本龍馬は様々なモンスターに遭遇した。
冥途にも居酒屋があり、近藤勇たちに粛清された山南敬助と共に夜更けまで酒を飲みつつ世間話を楽しんでいたところ、屏風の後ろが急に明るくなり、人の気配がした。屏風の裏を覗くと、燃え上がる炎の中に真っ赤な法師が立っており、周囲が怪しむ中で姿を消してしまった。
坂本龍馬は病にかからない呪文を覚えた。
あの坊さんは悪い奴ではなさそうだ。
冥途にも病があり、亡くなると現世に戻る。
山南から妙なことを聞いた。
夜中に「甘酒はござらんか?」と民家を訪ね歩く老婆がいるらしい。これに答えてしまうと、甘酒がある、ないのいずれの返答でも病気になる。
この妖怪の来訪を防ぐためには戸口にスギの葉を吊るすと良いといいらしい。
龍馬は以前、江戸にいたことがあり千葉道場に通ったことがある。
かつて江戸では流行病の時期、疫病神である甘酒婆が「甘酒はないか」と言いながらやって来るといわれ、江戸各地に後述のような咳を治める老婆の神像があったことから、子供を抱える母親たちは急いでこの神像を拝んだという。
文化14年(1817年)から文政3年(1820年)にも、江戸・京都・大坂の三都や名古屋などの大都市でもこの甘酒婆の噂話が流行しており、人々は甘酒婆の甘酒を売る声に返事をすると流行病を患うといって恐れ、前述のスギの葉やナンテンの枝、トウガラシを門口に吊るしたり、「上酒有」と書いた紙を貼っていた。この噂話は、本来は疱瘡(天然痘)を患うという話が伝聞を経て単なる流行病と変化したものと見られ、このことから甘酒婆とは疱瘡の疫病神である疱瘡神のこととする説もある。
山南は喀血して亡くなった。
居酒屋から旅籠に戻ろうと宇治川の辺りにやって来た。グツグツと煮立った赤い川に人面魚が泳いでいる。
「落ちるわけにはいかんちゃ」
霧の向こうにに鉄の輪を頭にのせた美女が立っている。彼女は左手に血まみれの刀、右手には男の生首を手にしている。
龍馬の男根は信じられないほど固くなっていた。おりょうの膣の中に大量に注いだときのことを妄想した。幼い頃に母親から虐待されていた為に子供を作ることに抵抗があった。新選組にいた武田観柳斎のように男が好きだったわけではない。射精障害になっていたのだ。
嵯峨天皇の御世(809年-825年)、とある公卿の娘が深い妬みにとらわれ、貴船神社に7日間籠って「貴船大明神よ、私を生きながら鬼神に変えて下さい。妬ましい女を取り殺したいのです」と祈った。明神は哀れに思い「本当に鬼になりたければ、姿を変えて宇治川に21日間浸れ」と告げた。
女は都に帰ると、髪を5つに分け5本の角にし、顔には朱をさし体には丹を塗って全身を赤くし、鉄輪(鉄の輪に三本脚が付いた台)を逆さに頭に載せ、3本の脚には松明を燃やし、さらに両端を燃やした松明を口にくわえ、計5つの火を灯した。夜が更けると大和大路を南へ走り、それを見た人はその鬼のような姿を見たショックで倒れて死んでしまった。そのようにして宇治川に21日間浸ると、貴船大明神の言ったとおり生きながら鬼になった。これが「宇治の橋姫」である。
橋姫は、妬んでいた女、その縁者、相手の男の方の親類、しまいには誰彼構わず、次々と殺した。男を殺す時は女の姿、女を殺す時は男の姿になって殺していった。京中の者が、申の時(15~17時ごろ)を過ぎると家に人を入れることも外出することもなくなった。
そうした頃、源頼光の四天王の1人源綱が一条大宮に遣わされた。夜は危険なので、名刀「鬚切」を預かり、馬で向かった。
その帰り道、一条堀川の戻橋を渡る時、女性を見つけた。見たところ20歳余で、肌は雪のように白く、紅梅色の打衣を着て、お経を持って、一人で南へ向かっていた。
綱は「夜は危ないので、五条まで送りましょう」と言って、自分は馬から降りて女を乗せ、堀川東岸を南に向かった。正親町の近くで女が「実は家は都の外なのですが、送って下さらないでしょうか」と頼んだので、綱は「分かりました。お送りします」と答えた。すると女は鬼の姿に変わり、「愛宕山へ行きましょう」と言って綱の髪をつかんで北西へ飛び立った。
綱はあわてず、鬚切で鬼の腕を断ち斬った。綱は北野の社に落ち、鬼は手を斬られたまま愛宕へ飛んでいった。綱が髪をつかんでいた鬼の腕を手に取って見ると、雪のように白かったはずが真っ黒で、銀の針を立てたように白い毛がびっしり生えていた。
鬼の腕を頼光に見せると頼光は大いに驚き、安倍晴明を呼んでどうすればいいか問うた。晴明が「綱は7日間休暇を取って謹慎して下さい。鬼の腕は私が仁王経を読んで封印します」と言ったので、その通りにさせた。
剣巻では橋姫の腕を斬った「鬚切」はこの事件により「鬼丸」と呼ばれるようになったとされる。綱の羅生門の鬼退治(『酒呑童子』)や多田満仲の戸隠山の鬼退治(『太平記』)などで振るわれた鬼切(おにきり)と同一視されることが多い、鬼と縁が深い名刀である。
橋姫が浸った川は宇治川で、祭られているのは宇治川の宇治橋だが、綱が橋姫と出合ったのは堀川の一条戻り橋である。
ツクヨミから聖銃をもらう。「満月の夜までに7人を倒すのじゃ?さすれば新政府軍なんぞ怖くはない怪物になれるぞい?」
3回チャンスがある。
1回目は陸系モンスターに、2回目は海空系モンスターに、3回目は陸海空系モンスターになれる。
タイムリミットは1868年3月9日だ。その日までしか龍馬は現世にいられない。
12月26日 新月、月齢 0.1、大潮。月は出ておらず漆黒の闇だ。
1月3日(慶応3年12月9日)
王政復古の大号令、小御所会議
ちなみにこの日は金曜日だ。金曜ロードショーなどこの頃は存在しない。
上弦の月が浮かび上がっている。月齢 8.1、小潮。
タイムリミット1
1月10日 でかい満月だ。坂本龍馬は鬼童丸に変貌した。
『古今著聞集』には以下のように記述されている。酒呑童子討伐で知られる武将・源頼光が弟・源頼信の家へ行ったとき、厠に鬼童丸が捕えられていた。頼光は、無用心だから鎖でしっかり縛っておくようにと頼信に言い、その晩は頼信の家に泊まった。鬼童丸は縛めの鎖をたやすく引きちぎり、頼光を怨んで彼の寝床を覗いて様子を窺った。頼光はこれに気づき、従者たちに「明日は鞍馬に参詣する」と言った。
そこで鬼童丸は鞍馬に先回りし、市原野で放し飼いの1頭の牛を殺して体内に隠れ、頼光を待ち受けた。しかし頼光はこれをも見抜き、頼光の命を受けた渡辺綱が弓矢で牛を射抜いた。牛の中から鬼童丸が現れて頼光に斬りかかってきたが、頼光が一刀のもとに鬼童丸を斬り捨てたという。
鳥山石燕の妖怪画集『今昔百鬼拾遺』には「鬼童」と題し、鬼童丸が雪の中で牛の皮をかぶり、市原野で頼光を待ち受ける姿が描かれている。
鬼童丸の話はこの『古今著聞集』がよく知られているものの、ほかにも武者絵本類や伝承などで様々に伝えられている。京都府福知山市雲原の口碑では、鬼童丸は酒呑童子の子として以下のように伝承されている。源頼光が酒呑童子を討ち取った後、酒呑童子に捕われていた女子供たちは故郷へと帰されたが、その中の1人の女は精神に異常を来たしており、故郷へ帰ることができず、雲原で酒呑童子の子供を産んだ。その子供は産まれながらにして歯が生えそろっており、7、8歳の頃には石を投げてシカやイノシシを仕留めて食べていた。やがてこの子供が成長して鬼童丸となり、父の仇として頼光たちを狙うようになったのだという。
1月16日
ウィリアム・デーヴィス(William Davis)が冷蔵車の米国特許を取得
1月17日(慶応3年12月23日)
江戸城二の丸が焼失
1月21日
ヨーゼフ・シュトラウスのワルツ『天体の音楽』初演
1月27日(慶応4年1月3日)
戊辰戦争: 鳥羽・伏見の戦い
1月28日(慶応4年1月4日)
戊辰戦争: 阿波沖海戦
2月4日(慶応4年1月11日) - 神戸事件
2月24日
アンドリュー・ジョンソン米大統領に対する弾劾が米国下院を通過(126対47)
2月21日
病の英国首相ダービー卿(保守党)がディズレーリに後事を託し辞職。
2月29日
英国で第一次ディズレーリ内閣成立
2月-3月
ドイツ関税同盟選挙(ドイツ語版)
3月8日(慶応4年2月15日)
堺事件
3月9日
アンブロワーズ・トマ歌劇『ハムレット』初演(オペラ座)
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