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 カフェ『あどりあの』に戻る頃には、天上が傾きかけていた。  ひぐらしの声に紛れた私の靴音に気付いた店主は、私を見るとどこか安堵の表情をしたように見えた。 「おかえりなさい。どうでしたか」  カナカナと鳴く声に溶け込むような店主の声だ。私は、とても綺麗だった、と告げた。  手近な席に座らせてもらうと、店主はアイスコーヒーを持ってきてくれた。「おごりです」  素直に礼を言って受け取る。  空が橙に焼けている。差す赤みを帯びた光が強いほど、向かいに座った店主に掛かる影が深くなる。  ひぐらしが鳴いている。いくつも声が重なっているのに、なぜだか静謐という言葉が思い浮かんだ。 「あなたの名前をおしえてください」  切り出した私を、店主は驚いたように瞬きをして見つめた。  私はバックパックから手帳を取り出して、ペンを店主に差し出した。 「手紙を出します。あなたに宛てて」  友人が語ったことを伝えるだけなら、その追体験を想うだけなら、電子媒体という手段もあったはずだ。  手紙には時間が存在する。あの白い封筒に封じられたのは、ただのインクとアイボリーの紙だけではない。  目の前の人間の、生きている時間を封じられたのだ。  曖昧な店主の形を、確かに私の中に象らせた。 「─── 『草間 文』 と、申します」  見慣れた黒インクで、綺麗な蔦が店主の名前を描いていく。  青い蔦の文字を持つ人。 「私も、手紙を出します。私から、あなたへ」  文はそう言うと、言った自分に照れてしまったようで、それを隠すように小さく笑った。
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