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「12月、満月の日にだけ咲く白い花があるのさね。『雪月花』って、きいたことないかい?」
「『雪月花』って、花の名前というより、雪・月・花という自然の美しい景物を指す語のことでしょう?」
「架空の花とも言われてるもんさね。だけどね、桜池公園には4年に1度、12月の満月が輝く日に、白い花が咲く場所があるのさ」
「……あの、からかってます?」
「信じるも信じないもアンタ次第だよ。ただね、その場所は、ちょっと変わっていてね、恋を成就できなかった少女の願いが、花に託されたと言われているのさ。黒髪が長い、可憐な少女……だったそうだよ。
花はあの子の願いを聞き入れた──雪月花が咲く頃に、ある願いが叶うと言われてるのさ」
「願いが? 依頼が欲しいとか、お金がもらえたりするんですか?」
「違うよっ! バチ当たりだね、家賃倍にするよ! 願いは『あの人に会いたい』とか『あの人に抱きしめてほしい』とか、ささやかなもんさね」
「……好きな人と結ばれるとかは、ダメなんですか?」
「控えめな子"だった"からね。成就も控えめがいいのさ。大吉ばかりの願いなんて、努力のしがいもないだろう?」
「大家さん、たまにはまともなことを言うんですね」
「あたしゃいつだってまともさね! だだ願いの成就には、12月の満月、髪の長い女性が訪れて──というのが、決まりみたいだからね、もしかして愛理ちゃん……」
「誰か会いたい人でもいるのかもしれませんねえ」
お世話になった恩師とかかなあ。うんうん。
「……男ってのは本当に、バカだねえ」
奥村さんが大げさにため息をついた。
「いや、そうハッキリと言わないで下さいよ。これでも、たまに依頼は……」
「そういうんじゃなく……まあいいよ。そろそろ"おいとま"しようかね。"こんなの"といると不審者に間違えられちまうよ」
奥村さんが、しっかりとした足取りで歩いていく。元気だねえ、77歳だとは思えない。
暗い夜道。帰路は一緒だし──と思ったが、これ以上話をしていると、この話は『大家さんとぼく』になってしまうので、やめておこう。
(優しい子"だった"んだよ)
奥村さんの言葉が頭に残る。もしかしてその子って──まあ、余計な詮索は、野暮ってもんか。
桜池公園は、いつも18:00に閉園する。入り口は閉まっていた。柵を乗り越えて中に入る。え? 違うよ、不法侵入じゃない。調査だよ調査。
見慣れた公園(といっても今は霜月なので桜は咲いていないが)を歩き、普段は通ることのない、一本道へと入っていく。
雑草の手入れもされていない獣道をずんずん進む。夜の公園で獣道を進む30男半ばの男。どう見ても不審者である。僕が目撃者だったら通報してるね。
草木をかき分けて抜けた先に、辺りの荒んだ光景とは裏腹の、透き通った池があった。
暗くても、透き通っているのが分かったのは、まるでそこだけに差し込まれるように、月の光が注がれていたからだ。
「……ここが雪月花とやらが咲く場所かい?」
腰を降ろし、湖と空を眺める。滅多に吸わないタバコと携帯灰皿を取り出し、火をつけた。
「……」
どういう気まぐれか、愛理くんはぼくの事務所で働いてくれている。
少しばかりは、好意を持ってくれているんだろうな。だけど愛理くんには、本当の意味で幸せになってほしいんだ。
そうすると僕の存在は──もしかしたら邪魔──
さあっ、と風がなく。どこからか、嗅いだことのない、花の匂いがした。
……それはほんの一瞬ことだったが、何か言いようのない──違和感を残していった。
「……ん? うん。特に……変わったことはないよねえ?」
その時は、"僕だけが"気づかないまま、帰路についた。
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