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そりゃそーだ②
「そりゃソーダ」はラムネ菓子の様な白く小さい錠剤だ。ほんの少ししか入っていないため、練習として誰かに使うのは得策ではないだろう。
つまり、一発勝負だ。
『使い方は簡単、水でもなんでも液体に入れればそれで充分です!一粒ならグラス一杯に二分としないうちに溶けてしまうでしょう。それを飲み干せば、目の前の相手に言われたことを何でもかんでも納得してしまうのです、そりゃそーだと言わんばかりに!』
酒場で出会った青年の言葉を思い出す。重要なのは、飲まされた相手が自ら納得してしまう、ということだ。それが本当なら、どんな理不尽な要求をしても後腐れが残ることはない。
例えば、奥さんと別れて私と結婚させるなんてことはもちろん、私だけに生涯の愛を誓って、他の女には一切話しかけないようにする、なんてことも可能なのだろう。それは案外悪くない考えに思えた。
きっと彼は結婚なんて形では縛れない。本当に私の物にしたいなら、選択肢を奪わないといけないのだ。彼が私にしたように、徹底的に。
始めは単なる上司と部下だった。彼は仕事ができると評判で、要領の悪い私はそんな彼にあこがれを抱いていた。だから一緒のチームで働き始めたときは、純粋に嬉しかったのに。
それはいつも、私たちのほかに残る人がいなくなった深夜のオフィスでのみ行われた。
「ねえ、また同じところでミスしてるよ?僕がいったこと、聞いてなかったのかな。メモ取った?」
「す、すみません」
「僕はメモを取ったか、って聞いてるんだけど。一年目の子でも聞かれたことにはちゃんと答えるよ。君、新人だっけ?」
「……取りました。三年目です」
「じゃあ僕の指示が悪かったのかな?ごめんね、君がこんな簡単な作業もできないなんて思いもしなかったんだ。もういいよ、君がこれ以上関わっても効率が落ちるだけだから、少し休んでてくれるかな」
「申し訳ありません、もう一度チャンスをください!」
「いいよいいよ、もう遅い時間だし、今日は帰りなよ。明日また頑張ればいいから」
「わ、私、まだやれます!次は絶対ミスしません!だから、み、見捨てないでください!」
「……そんなつもりはないんだけどな。別に、君に意地悪したいわけじゃないってことは分かるよね?」
「は、はい!私が馬鹿で愚図なのは分かってます!先輩に手間ばかりかけさせて、申し訳ございません!」
「そこまで卑下する必要はないよ。君は別に頭が悪いわけじゃないんだから。ちょっと不器用だけどね」
「……すみません」
「君が憎いから言ってるんじゃないよ。むしろ、大事に思ってるから言うんだ。君みたいに要領が悪い人は見たことがないけど、僕と一緒にやっていけば必ず成長できるから」
「は、はい!」
「うん、じゃあもう少しだけ頑張ろうか。僕は興味のない人には言わないからね、こんなこと。君が変われる人間だと期待してるから、こうして指導してるんだよ」
二人だけの時に行われる叱責とその後のとろける様な言葉の愛撫で、私の精神は少しずつおかしくなっていった。今では、彼のことを愛しているのか憎んでいるのか、それさえも自分では判断ができない。
「……私、結局どうしたいんだろう」
ワンルームの部屋で一人、小瓶を明かりに透かしてみる。彼を支配したいのか、愛したいのか、傷つけたいのか。どれも正しいようで、どれも違う気がする。
小瓶の中の錠剤は、蛍光灯を受けて雪のように柔らかい影を落としている。どんなにのぞき込んでも、そこに答えは見つからなかった。
*
「話が、したいんです」
そう切り出すと、彼はいつも通りの柔らかい笑みで返答してみせた。
「そろそろ持ちかけてくるかな、と思ってたんだ。いいよ、いつにしようか?」
「明日の二十一時にいつもの居酒屋で、どうでしょうか」
「月末の金曜日に上司を呼び出すなんて非常識だって言いたいところだけど……いや、冗談だよ。分かった、空けておくよ」
「必ず来てくださいね。これでもう、終わりにしますから」
彼は意外そうに眉を上げたが、それ以上言葉を重ねようとはしなかった。私はすぐに自分のデスクへとつき、仕事に戻った。
デートレイプ目的で睡眠薬を盛るときは、酒の味と色で誤魔化すのが重要らしい。今後の人生で絶対に役立てたくない知識だ。
彼が都合よくカクテルなんかを飲んでくれればいいのだが、そういうわけにもいかないだろう。彼が最初に頼むのは決まって生ビールだ。それと食事があらかた済んだ後は、ウイスキーを飲み続ける。透明な酒に薬を盛るのは都合が悪い。やるとしたら、最初にやるべきだろうか。
それとも、どうにか理由を付けてコーヒーでも飲むよう仕向けてみようか。ねえ先輩、私コーヒーが飲みたくなっちゃいました。よかったら一緒にどうですか?
考えただけで思わず笑ってしまった。彼を思い通りに動かせるほどうまく私の口が回るなら、そもそもこんな事態には陥っていない。
「どうしたの?なんか機嫌よさそうだけど」
「ううん、なんでも。ただ、週末が楽しみだなって」
隣の席の同僚と思ってもいないような会話を交わす。
彼との対決まで、あと三十七時間ある。一刻も早く時間が過ぎ去ってほしいような、永遠にその時が来ないでほしいような、奇妙な感覚だった
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