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なんだろっかー①
暑い。駅前じゃなくて図書館に行けばよかった。
僕はベンチに座って行き交う人々をぼんやりと見つめていた。
漫画の発売日だから本屋に来たのに、どんなに探しても置かれていないのは変だと思ったんだ。まさか曜日を一日間違えていたとは思わなかった。
愛想の悪い店員に聞くのをためらっていたら一時間も店内を探し回ってしまったし、勇気を出して聞いてみたら鼻で笑われるし、夏休みが始まった嬉しさに浮かれていたのが馬鹿らしくなってしまった。
ポケットの中で握りしめていた百円玉は、体温と区別がなくなってしまって気持ちが悪い。
「……ジュースでも買おうかな」
手ぶらで帰るのも何だか悔しくて、僕はコインパーキングの脇の自動販売機
に立ち寄る。
カルピスか、アクエリアスか。悩んでようやく硬貨を入れようとしたら、手が滑って取り落としてしまった。
舌打ちしようとしても、口の中が粘っこく渇いてうまく音が鳴らない。もう、何もかもがうまくいかない。叫びだしたい気持ちをぐっとこらえて、僕は熱気を放つアスファルトの上にしゃがみ込む。
「おや、気を付けた方がいいですよ?そのロッカー、壊れてますから」
「……え?」
見上げると、背の高い男が僕を覗き込んでいた。こんな人、さっきまでいただろうか。
「……いえ、違います。僕は、お金を落としただけで」
「なんと扉を閉めただけで勝手に鍵がかかってしまうのです!困りものでしょう?」
「あの、だから僕は……」
「もちろん後からお金を入れれば解錠出来るんですがねぇ…後払いのコインロッカーなんて聞いたこともありませんよ」
そう言って男は自動販売機の横のコインロッカーにちらりと目をやる。
その革靴の先に、百円玉が転がっているのを見つけた。
「……あの、足、どけてもらえませんか」
「しかしその分おまけがあるんです。なんとこのロッカー、入れたものが別の姿に変わってしまうんです!」
と、男は僕の目の前のロッカーを開けると、右足の革靴を脱いでそこに放り込んだ。
「……えっ?」
「こうして扉を閉めるとあら不思議、もう鍵がかかってしまいました。オートロックでセキュリティは万全というわけですね」
「……そんなの変だよ。コインロッカーって普通、先払いじゃないの」
「言ったでしょう、お金を入れれば開きますよ。ほら」
そういって男は僕に硬貨を差し出した。鈍い銀色に光るそれは、僕のよく知る百円玉ではない。
「これ……外国の?」
「大丈夫ですよ、入れてごらんなさい」
もしこれが偽物だったら、僕も貨幣偽造の共犯者になってしまうのだろうか。父親がそんな映画を見てた気がするけど、あれはお札だったっけ?
男は黙ってにやつきながら僕を見つめている。その沈黙に耐えきれず、僕は恐る恐る硬貨を投入口に入れる。
「うん、惚れ惚れするようなナイストスです!それでは続けて下のカギをひねってください!」
詐欺でもなんでもいいから、早く終わってくれ。僕は一心にそう思いながら、差し込まれたままの鍵をひねる。
かちゃん、と手ごたえがあり、扉が開く。その途端、僕の顔に向けて何かが飛んできた。
「う、うわあっ!?」
頬に当たった硬い感触は、毛の生えた細い脚のようなものを使い、うぞうぞと僕の肌を伝い、首筋まで撫でるように素早く這い降りていく。
「や、なんだよこれ!?き、キモいって!」
「ふむ、蝉ですか。なかなか変わったものが出ましたね」
男は事も無げに僕の首に手を伸ばし、そいつを摘まみ上げる。
確かにそれは蝉だった。白い指の先で、もぞもぞと脚を動かしている。
「え?何これ、ドッキリ?」
開けっ放しのロッカーを覗き込むと、その中は空っぽだった。彼がさっき投げ入れた革靴はどこにいったのだろうか。
「……とこのように、このロッカーに入れたものを出すときにはどこか変わって出てきてしまうのです。外からじゃ決して分からない、まさに『なんだろっかー』ということですね!」
「……駄洒落かよ」
衝撃の連続に耐えて僕はなんとか言葉を絞り出すが、男は表情一つ変えない。
「くれぐれも、大事なものを入れないようにお気を付けくださいね。それでは」
と、止める間もなく彼は右手の蝉をひょいっとロッカーに放り込み、扉を閉める。
「っ!ちょ、これ、どうする……んですか」
「アズ・ユー・ライクでございます」
彼は僕に向かって指揮者の様に優雅に一礼すると、片方だけ裸足のままひょこひょこと歩き去っていく。
一風変わった大道芸だったのだろうか。靴や蝉はどうにか仕込んでおいたのだろう。その割に観客が僕一人だったのは、気の毒だとは思うが。
あまりのことに放心している僕の背後から、耳障りな羽音が響く。
「そうだ、蝉……」
別に虫なんか好きじゃないけど、この気温でロッカーの中で蒸し焼きになるのは流石にかわいそうだ。
僕はため息をつき、ようやく百円玉を拾い上げた。ジュース代のつもりだったけど、人助け、いや虫助けになるならそれもいいかもしれない。
太陽にあぶられて熱くなった硬貨を投入し、鍵をひねる。
かちゃん。
今度は顔にとびかかられないよう、ゆっくりと扉を開く。
「……あれ?」
そこにはやっぱり虫がいた。今度は革靴に戻っていたりは、もちろんしない。おかしいことなど何もない。
だけど、僕の目が、あるいは記憶が間違っているのだろうか。扉の中には、小さな空を悠々と飛び回るトンボがいたのだ。
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