十五夜の奇跡

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「わかった。お前は田中なんだな」 「はい」 自分のものだと言わんばかりにベッドの上を占領し、足を組みながら、床に座る私を見下ろした彼は、やっと私が田中であると信じた。けど、十五分かかるってどういうことだ。 「じゃあ山田、俺は迎えをここで待つ」 「おっとぉ」 名前を聞いたらすぐこれか。名前ももう間違えてるし。しかも問い掛けではなく既に決定事項。というかどこからの迎えだよ。月か、月なのか。かぐや姫(うさ耳男)か。となると、今更だがもしや、夢か。目を開けたら朝ですなオチか。よし分かった。今すぐ目を開けてやろう。 …もう開けてたわ。 「安心しろ。迎えは…明け方までには来る、はずだ」 今日は寝られそうにないが、明日は土曜なのでまだ良かった方、なのだろうか。 「…そうですか」 何もかもを諦めている気がするが、どうせ今夜に限った話なのだ。ならばもうどうとでもなるだろう。 「あの、ところで、どうしてここに?」 見知らぬ人との沈黙は苦手だからそうなる前に何か話をしなければと、まずは相手の気に障らなさそうな事から聞いてみた。 「そういえばそうだったな。俺は、月では餅つきの合いの手をしてるんだが、俺の相棒であるあの野郎が___つき手のシロツキがぼけっとしてて、間違えて杵で俺をつき飛ばしたんだよ」 杵でつき飛ばしたってどういうことだとか、月で餅つきとは何だと考えたところで、ふと、霞がかかる。あまりにも突飛な話にも関わらず、どこかでそんな話を聞いたことがあるような気がした。おそらく、幼いころに聞いた童話か絵本かだとは思うのだが、私の記憶はなぜだかそれを否定する。 「ったく、忙しいのが今日の夕方までじゃなかったらどうするつもりだったんだ。それに、人型になるのはあんま好きじゃねぇってのに。いや、もしかしてあの野郎全て分かってて…あークソッ!」 杵で特大ホームランされた時のことでも思い出したのだろうか、彼の直りかけた機嫌が再び悪くなり、先程まで考えていたこともその圧で吹き飛ばされた。 とんとんとんと早めのリズムが彼の指から刻まれて、何も言われていないが、私はまるで説教を受けている気分だった。 「ちなみに、どうしてここに来ると人型になるんですか?」 「あ?人に紛れる為だよ。ったく面倒せぇ」 うさ耳男子にそんな仕様があったとは。 「おい、俺の話はもういいだろ。次はお前の番だ」 「ひゃ、はい」 いきなりこちらを睨みつけて呼ぶものだから、驚いてうまく声が出ない。それでもじっとこちらを見つめてくる彼に、私は呑気にその瞳を見つめ始める。 ____随分と綺麗な目をしていると思った。随分と優しい目をしていると思った。そこで私はやっと気づく。あぁ、やはり彼は人ではないのだと。 「…はぁ。俺に見惚れるのもいいが、お前のこと、早く聞かせろよ」 「……。」 口を開きかけて、やめた。一体、私の何を話せばいいのだろう。私には彼のように面白い話は出来ないし、そもそも話そうと思う出来事さえない。その日スマホでしたことや、授業内容など、変化することが当たり前な事以外の変化が無い日々。人々はそれを平和な日常と言うのだろう。けれど私には単調で、価値があるものとは思えなかった。 「なぁ、俺は今のお前の話が聞きたいんだ」 「私には、話すことなんてありません」 声が震える。少し前までは何事も無かったのに、急に彼を拒絶し始める。 「どんな些細なことでもいいんだが、それでも無いか?」 「…はい」 後ろめたいことなんて何も無いはずなのに、私はもう、彼の顔が見れなくなって、俯いた。 「見た目から、そんなに経ってはいないと思っていたんだが…お前も変わったということだな」 その瞬間、プツリと何かが切れた。 そんなに経っていない?変わった?彼は一体私の何を見てきたというのだ。私はこんなひとを今日まで見たことすら無いというのに。 「私は、変わってなんていませんよ」 「いいや、変わったな。お前は変わった。あの頃とは全然違う」 「私、あなたに会ったことなんて無いと思うんですけど」 「会っただろう、少し前に」 そうして気づく。彼は初めから私のことなんてみていなかった。私に似ている___いや、その誰かに似ている私をみていたのだ。 「私、あなたに会ったことなんか一度もないんです」 「はぁ?何言って…」 「あなたこそ、私を通して一体誰をみているんですか?」 「俺はお前をみているに決まってるだろう」 「私は会ったことがないといっているのに?」 「それはお前が忘れてるか、揶揄うために嘘をついているからだろ」 「汚い」 「あ?」 ぼそりと呟く。久しぶりにこの感覚を思い出す。洗っても洗っても綺麗になれない、そんな感覚を。 あぁ、きたない、みたい物しか見ない(きたない)五月蝿い(きたない)信じてくれない(きたない)わかってくれない(きたない)! なんだ、結局、彼も… 「おい、なんか___」 言えと続くであろう彼の言葉を遮って、私は勝手に話を始めた。 「こうして、こうしてここにやって来る時人型になるのは、紛れる為なんかじゃなくて、あなたが人になっていたからだったんですね。納得しました。あっ、それだけです。もう私には話すこと、無いんですけど」 だからもう、彼に何かを…なんて___ 「諦めただろう」 「えっ?」 「今、お前諦めただろ」 何を、言っているんだ。今の台詞のどこにそんな文字があったというのだ。 「何だ、バレないとでも思ったか」 「…」 何言ってるんですか、と笑い飛ばすつもりだったのに、どうやっても口からは、はくはくと空気しか出てくれない。 「ははっ…何、言って。私は、そんなこと、思って___」 どうしよう。 どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしよう。 頭が、まわらない。何を言えば正解になる、何を言えば不快にさせる、何を言えば_____ 「無駄な抵抗はやめておけ」 月のような()が、わたしをみてやさしくわらう。 「俺は月兎のクロツキだ。だから俺にわからないことなどない」 意味が、わからなかった。そんな根拠も何もない言葉を誰が信じるんだと言ってやりたかった。 「っは、あはははははっ!何ですかそれ、意味がわかりません」 けれど出てきたのは笑い声と、手で、拭っても拭っても拭いきれない程の涙だ。 「どうして笑うんだ。ギャグを言ったつもりはなかったのだが」 「いえっ、あの、だってあなたが真面目な顔でおかしな事を言うから」 彼は本当に理解できないと言った顔で私を見るが、私だってどうして笑っているのかわからないのだ。 「おかしな事?俺の名前か?黒い兎が月で餅を作ってるからクロツキと言う名前を貰ったんだが、そんなにおかしかったか」 「ふふっ、安直すぎますね…ん?クロツキ?」 「何だ?と言うか、名前をくれたお前が笑ってどうする」 あっ、わかった。昔、おばあちゃんが話していた物語のひとだ。 それは唐突に思い出された。どこかで聞いたことのある話だと思っていたが、まさかあの話だったとは。と言うかあれは本当のことだったのか。 昔、祖母が話してくれた物語は、当時の幼い私から見てもおかしなものだった。主人公が十五夜に月を眺めていると、月から黒い兎が飛んできて、その兎は主人公の前でドロンと煙をあげながら人型になる。その姿になった兎に主人公は一目惚れをするのだが、いかんせん兎は荒れていたために、告白どころではなくなり、最終的には良き友人として、様々な事に吹っ切れた兎が月に帰るのを見送ったという話だ。そう、それで主人公は兎から友情の証に名前をつけて欲しいと言われて、咄嗟に思いついてあげたその名前を、兎は大事そうにしながら帰った。その名前は確か___ 「クロツキ」 「お、おう。何だ」 「あなたにその名前を送った人は、多分、私の祖母だと思います」 「そうか」 「だからやっぱり、私は山田ではなくて、田中で、あなたの知っている人ではないんです」 何だかスッキリとした。それはモヤモヤとしていた記憶をようやく思い出すことができたからだろうか。 「そうか」 「それでも、その…あなたのことを、クロツキと呼んでもいいですか?」 「何を言ってる」 だからもう、どんなことでもきちんと受け入れられる。 「当たり前だろ」 クロツキは、やっぱり黒い月兎だった。
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