フサ村

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フサ村

「情報部が事後調査に来るだろうが、一応我々も報告をしなければいかんからね」  そう言ってスヴェンはウェスリーを伴い、襲われたというフサ村の村民を訪れた。  農作業中にいきなり襲い掛かって来たのだと被害を受けた男は言う。グリフォンに前脚で掴み掛かられて肩と腰に酷い裂傷を負っていた彼を、他の村民が介抱していたが、応急処置でしかない。 「ウェスリー、回復して差し上げたまえよ」  室内の簡素な寝台にうつ伏せに横たわり荒い息をしながらも応対してくれている男と、傍らに立ち不安げなその家族を見て、スヴェンは後ろに突っ立っていたウェスリーに促した。  男の前に進み出て一礼してから傷の様子を見る。一瞬怯む。皮膚表面を優に超え、中の黄色い脂肪や筋肉組織まで覗いている。かなり深部まで爪で抉られたようだ。  初級魔法では気休めにしかならないだろう、と判断して中位回復魔法を唱える。魔法が発動し、明るい緋色の粒子が農夫の上半身を包んだ。組織が結合し、傷が塞がっていく。直前まで生々しかった傷が見る間に癒えていったのを周りを取り囲んで見ていた家族らが、感嘆の声を上げる。と思えば声を潜めて何事かを呟き交わしている。  穢れ祓いのまじないだ、とウェスリーは察した。  男から離れて言う。 「傷は塞がっていますが内部組織までは完全に治癒していないと思われますので、この後来る衛生兵に詳しく診てもらってください」 「ああ…あんがとよ兵隊さん」 「あの」  目を瞬かせて起き上がった農夫に、ウェスリーは改めて声を掛ける。 「? なんだい」 「襲われた時に何か貴金属を持っておられましたか? もしくは以前にグリフォンの縄張りで何か拾ったことは…」 「ウェスリー」  スヴェンがウェスリーの腕を後ろから引っ張る。耳元に小声で言う。 「それじゃあ彼の方に襲われた原因があるように聞こえるだろう」 「ですが、グリフォンが人を襲うならきっと何か理由が」  非難を寄越すスヴェンに小声で返したウェスリーを見遣って、男は特に感情を害した様子も無くぼそぼそと答えた。 「貴金属なんか持っちゃいねえよ。そんなもん持ってるんならとっくに売っ払ってるさ…国費で暮らしてるあんたらと違って俺らは明日食うのがやっとなんだからなあ」  男の言葉にぎくりと体を震わせるウェスリーとは対照的に、スヴェンはにこやかに応じる。 「魔物に襲われた際の状況はよく分かりましたよ。ご協力感謝する」 「いえいえ…こちらこそわざわざ御足労でしたね、こんな辺鄙な所まで…」 「何か気付いたことや変わった様子があればまたすぐに通報されるがよろしい。暫くは巡回も重点的に行いましょう」 「へえ…有難いことで」  卑屈な風に映る薄笑いを浮かべて男は頭を下げた。気付けば家人は部屋の隅に引き下がって何やらひそひそと囁き合っている。  スヴェンはウェスリーの肩を叩くと、戸口の方へ向かうよう目配せする。身の置き所の無さを感じていたウェスリーは踵を返してそれに従う。  くすんだ色に褪色してしまっている粗末な造りの扉を来た時と同じようにくぐり、外に出たウェスリーは深く息を吸い込んだ。無意識に息を潜めていたのだ。森が近い村は空気が濃い感じがする、とウェスリーは何気なく思う。  後から出てきてウェスリーの後ろを歩くスヴェンが咳払いをするのが聞こえる。  何か言いたいのだと察して、ウェスリーは歩調を緩めてスヴェンと並んだ。箒を手に歩きながらスヴェンはウェスリーの顔を見る。 「君は身近な人を魔物に襲われて亡くしたことはあるかい」 「ありません」 「そうだろうね」  鷹揚に返してスヴェンは前を向いた。  引っ掛かるような言い方をする。ウェスリーは心持ちが悪かった。  家々の間を抜け、土を起こして黒々となった畑の見渡せる畦道に入る。向こうの方に積まれた堆肥から白い靄が出ている。ああいうの、何と言うのだったか。堆肥が発酵するんだよな、などと考えているとまたスヴェンが口を開く。 「君は魔物に特殊な感情があるのかな」 「はい?」 「魔物側の事情なんかを考えるものだからね」 「は…いえ、特段思い入れがあるというわけではなくて、単に知っていた情報と齟齬があったものですから」  少し嘘があるかもしれない。あのグリフォンを哀れに思う気持ちが無かったかと自問すると否とは言えない。 「普通の人間は、魔物が襲ってきたというだけで最早ただの敵としか見ないから、そんなこと気にしもしないが」  随分厄介なんだな君は、とスヴェンは呟いて笑う。  呆れられたんだろうか馬鹿にされたんだろうかとウェスリーが俯いて眉根を寄せていると、スヴェンの声が続ける。 「考えるのは一向構わんが、事が終わってからにするとかね。戦闘中は無論危険だし、あとさっきみたいのも無用な揉め事になるかもしれんから」  止めろとは言わないんだな。 「…分かりました」 「まあだが考えても詮無き事なんてのもある」  ウェスリーは顔を上げてスヴェンに目を遣った。  スヴェンはまたウェスリーを見ている。不思議な表情をしている、とウェスリーは思った。 「任務なら討伐する、それが何であれ」  スヴェンの顔に現れている感情は何だろう。決意か、諦めか。他の何かか。ウェスリーには量りかねる。 「人を殺したことがある者だっているんだからね」  さらりと言われたその一言の意味をウェスリーが理解する前に、スヴェンは畦道を先に立って進んで行った。
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