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血の染みが落としきれずに残っているのが所々に見受けられるシャツを洗濯台に広げる。
これは魔物の血だろうか、本人の血だろうか。どちらにせよ、時間が経った血液汚れは落としにくいからな、とウェスリーは目に力が入る。
だがスヴェンが小声で囁いてきた言葉に、肩透かしを食らう。
「ミハル隊長の服はすぐに血塗れになるから、大体でいいよ」
「…やはり大隊長ともなると激しい戦闘を行うのですか」
「うーん…大隊長がどうとか言うよりは、あの人だからかもしれんね」
あの人だから? スヴェンの言い振りに少し気を取られるが、特に突っ込んで聞かずに作業を再開する。やるからには適当で済ますなんてことはしたくないのだ。
いつものように洗濯刷毛を動かしていると、ふと洗濯所では嗅いだことのない香りが鼻をくすぐった。仄かに甘い、花の香り。
「…?」
何処からしているのかとウェスリーは鼻を何回かひくつかせた。周りに花の咲いた木は無いし、花壇も少し離れている。
「どうかしたかい」
横で腕を組んで立ち、先程ウェスリーに絡んできた男達が自ら洗濯しているのをさり気無く見張りながらスヴェンが問うた。
「いえ…」
はたと思い付いて、試しに洗っている途中のミハルのシャツに鼻を近付けてみる。
これだ。香りの発生源。
爽やかな、それでいて甘い花の香り。何処かで嗅いだことがあるような…
「臭いのかい?」
笑いを含んだ声でスヴェンが再度問うてくる。
「…花の匂いがします」
「本当に? そんないい匂いがするのかい?」
可笑しそうに笑いながら腕を組んだままで同じように鼻を近付けるスヴェン。ウェスリーは少し身を引いた。
「石鹸の匂いと土っぽい匂いしかしないが。…あと汗の匂い」
不満気に言って顔を離すスヴェンに、ウェスリーはえ、と声を上げる。
「花の匂いがしますよ。何の花だったか…」
「そんないいものじゃないよ。どこぞの御令嬢じゃあるまいし、男の匂いだね」
元の場所へと退がりつつぷっと吹き出すスヴェン。ウェスリーは釈然としない。ここまではっきり香りがしているのに、分からないものだろうか。
スヴェンの鼻が利かないのかもしれない、と結論付けてウェスリーはまた洗濯台に向かった。
それにしても、とウェスリーは思う。
いきなり人前で躊躇無く脱ぐなんてどんな神経をしているのだろう。確かに軍に入ってから、人前で肌を晒さざるを得ない機会は増えたが、医務室でも浴場でもないのにあんなに堂々と。
正直、品位に欠けていて不愉快だ。
なのに、脱いだシャツから優雅とも言える香りがする。ウェスリーは混乱する。
きっと洒落者ぶって香水を付けているんだ。
あんな目で人を見て、馬鹿にして。
先日隊舎の廊下で出くわした時のことまでついでに思い出す。何故だか妙に苛々してしまっているウェスリーが力を込めて洗濯刷毛を叩き込んでいると、横で見ていたスヴェンが気の抜けたような声で言った。
「おやおや随分気合が入っているね」
ウェスリーは鼻の頭に皺を寄せてスヴェンに振り向いた。
「絶対真っ白にしてみせます!」
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