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以前に隊舎の廊下ですれ違ったあの時、ウェスリーは業腹だったのだ。
その場では自分でも判じえなかったのだが、部屋に帰って落ち着いて思い返せば、ウェスリーを揶揄したミハルの態度や言葉、何よりあの表情に大層腹を立てていたのだった。
何故だろうか、他の上官や同期の兵達に痩せぎすの体を笑われようがけなされようが大して気に障らないのに、あの薄暗い廊下で彼に軽く嘲笑されたように感じたそれだけは思い出しても腹に据えかねるのである。
彼が自分と同じ年代に見えるからだろうか(実際は二歳ほど年上であることが判明した)。ウェスリーほどではないが華奢な身体つきに映るからか。子守だと、お前が言うなとそう思ってしまったのか。ウェスリーには分からなかった。
そして周囲の人間から話を聞くにつれて、ますますミハルという男を敬遠したくなる。フロルとヤンに聞いた以外では、言葉遣いが荒い、寝坊が多い、気紛れで気付けばいなくなっている、それ故パートナーはよく置いてきぼりにされる、面倒臭がり、不愛想、何を考えているか分からない、大食漢、すぐ脱ぐ、等々…。
すぐ脱ぐのは実証済みだ。
聞けば聞くほど自分とは本来接点のあるべきでない男に思える。神経質なウェスリーには耐えられそうもない。
勿論、彼の大隊にいるというだけなのだから、共に時間を過ごすことなどそう無いであろう。何せ一個大隊には三〇〇名弱の将兵がいるのだ。精々班が同じにならないことを祈るばかりである。
もっとも、彼が率いるミハル班は第二大隊内でも特に精鋭が集められるという話なので、これも杞憂に過ぎない。
ただ、腹立たしく思ったこの気持ちの遣りどころをどこに持って行けばいいのか分からない。そんな心境を何とか収めたくてミハルの情報を得ようとしているのか。妙な行動だとウェスリーは我が事ながら思う。
「それで、気は済んだのかね」
鬱々とまた思考を巡らせていると、前を箒で飛行するスヴェンが音声拡張器越しに声を掛けてきた。
この音声拡張器という魔法具は、箒兵科に最近導入されたらしい。元はアーデルランドの技術で、かの国では随分前から軍に導入されていたそうだが、リパロヴィナ軍においてはようやく一部の師団から徐々に実装されてきたところなのだ。
拡張器という名称だが、音声を単純に大きくするものではなく、同じく拡張器を装備した状態で近くにいる者の元に明瞭な音声を伝える機能を有する。箒にて飛行中は風切り音で互いの声がかき消されるため、これまで箒兵達は箒上で会話しようと思えばありったけの大声で怒鳴り合うか、近距離にいるというのに通信機に頼るしかなかったのである。
ウェスリーは今の上官の言葉に先だって何か会話をしていただろうかと疑問に思う。
「何がです?」
「君、随分と熱心にミハル大尉のことをあれこれ聞き回っていたからな。少なくとも我が班では君が大隊長に恋をしたようだとの見方が固まりつつある」
「こいっ…!」
引き絞るような間抜けな声を出すウェスリー。間を置かず悲痛に叫ぶ。
「違います‼」
「うん知っている」
あっさりウェスリーの否定を受け取ると、スヴェンは続ける。
「君はミハル大尉が気に食わないんだな。もっと言うならこの間の彼の言葉を根に持っている。違うかい?」
「…違いません」
「ふっふっふ」
スヴェンがくぐもった笑い声をあげる。ウェスリーには何が面白いのか理解しがたい。
「君は面白い男だねウェスリー。同期の、階級で言ったら君より下の奴等の侮辱には反応しないのに、ひっくり返っても敵わない上の男には憤るのか」
「何が面白いのか分かりません」
ウェスリーは敢えて論点を外して返答する。
「自分でも何故怒りが湧いたのか分からないんだろ?」
年長者であるためか彼が特別敏いためか、あるいは自分が思っていたより分かりやすい人間なのか、とにかくスヴェンは折角ウェスリーが避けた核心を遠慮なく突いてくる。
「…理由なんて、きっと私と大隊長が合わないというだけです」
「そうかな? 僕には二人が合わないというようには見えない。少なくとも現段階では判断のしようもない。君はまだ彼と話したこともないだろう」
「話さなくても分かりますよ。俺とは別種の人間だと」
話していて激してきたせいか、ウェスリーはつい私的な自称を用いてしまっていた。
「誰が言っていたのだったかな、父かな。好意の反対は嫌悪ではなく無関心なんだそうだ」
「何が言いたいんですか」
「君はミハル大尉に対して無関心ではいられないということだね。その他大勢とは違うと感じているのではないかな、意識的にか無意識的にかは知らんが」
「やめてください。それこそ話したこともないのに特別視してるわけがない」
前方を飛ぶスヴェンを睨み付ける。彼から見えるわけではないので意味は無いのだが。スヴェンはまた笑っているようだ。肩が震えているのが確認できる。
「スヴェン曹長――」
「おや、2時の方向を見てみたまえ。トロルが一体うろうろしているではないか。他にはいないようだからはぐれトロルかな。二人で始末してしまおう」
言うなりスヴェンは箒を急降下させて目標のもとへ向かった。ウェスリーも遅れず続くが、はぐらかされたような心持がして気分が悪かった。
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