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慕情未遂
「やめてよ。」
棗は手で顔を覆った。代わりに痙攣するくびれが露わになる。薄い。薄い、薄い、薄い身体だ。彼の声は古いビデオのようにかすみ、雨の音が全てを曖昧にしている。
「だめ。そんな風に見んな。」
「そんな風って?」
「……。」
まだ十七時。薄暗い部屋に、時折遠雷がひらめき入る。ぼんやり外を見ては、ざんざん降りやねえ、と言っていた、二十分前の彼からはきっと想像できまい。恨めしげに黙るその姿に、不気味な高揚が芽生えた。押し潰してしまいたい。このまま。愛しさをストレスとして与え続け、ぐしゃぐしゃにしてしまいたいと思った。比較的静かで穏やかなセックスには、見合わない感情だ。
「面白がんないで。」
「面白いんだから、しょうがないでしょ。」
「やだ。可愛げないわ。もう早くして、いって、早く。」
ほとんど無茶みたいな我儘を言い、身動ぐ彼の手を掴む。俺が言うのもなんだけど、細いな。女とはちょっと違う、ベクトルのずれたか細さだ。弱々しくて、いささか生命力に欠けているよう、に、感じる。焦らしも兼ねて間を置いてから、引き裂くようにして腕を引き、白いシーツに叩きつけた。露わになった棗の顔はいつも通り赤く惚けていて、それでも心をつんざくような目はこちらを見ているのだから、これまたシュールな話だ。
「何笑ってん。」
「笑ってました?」
「声出てたよ。」
「……そうか。」
窓越しに低いうなり声が聞こえる。妻を失った、雄獅子のような。棗はかわらず鋭い眦で俺を睨んでいて、一方その手は暇そうにベッドボードを撫でている。ちぐはぐな人だ。雨音が急き立てる。なにかに追われているわけでもないのに、事足りていないような、風呂の湯が妙に少ないような、日常的なざわつきに襲われた。満たされない。臍の奥を叩くと、人はみな夢中になる。彼の声が高くふらついた。
「子供みたいだ。」
隣街に雷が落ちた。架線が切れて、停電したらしい。
鳴りを潜めてそぼ降る雨と、つかの間の眠りに身を委ねた彼に、「今はこれでいいのかもしれない」と思った。
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