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第六話 生贄の巫女と戦士の誓い
「こっちも駄目、かぁ……参ったね、さすがに」
その頃にはルティアは孤児たちの頭目として、すっかりまとめ役の地位に就いていた。
けれど今はその顔には誇るような色はまったくない。
強い心で隠してはいるものの、苦悩と不安が、うっすらと滲み出てきているばかりだ。
「スラムの一掃計画……本当に、進んじゃってるんだね」
街を歩く時の習慣として、できるだけ顔を隠した姿のアイシャが呟く。
布地の奥にはやはり神秘的な美しさが覗いていたが、それに見惚れる余裕は誰にもない。
解散、とルティアが片手を振ると、周囲に集っていた孤児の仲間達が散っていった。
孤児があまり一箇所に集まっていると悪目立ちして、どんな因縁をつけられるかわからない。
ルティアがいくらスラムの女勇者と囃される体術と魔法の妙手だとしても、余計な喧嘩は無用なのだ。
カルカジャの街で貧民街、スラムを一掃しようという計画が持ち上がるのは、十数年に一度の恒例行事とさえ言っていいことだった。
交易都市カルカジャにおいてスラムは必然的に生まれてしまうものではあるが、かといって行政側が完全に容認しているわけでもない。犯罪の温床にもなりかねないスラムの排除は、街の行政官が何度か代替わりするうちに必ず一人は言い出す議題の一つだった。
「一掃って言っても、結局はいつか元通りになる。早くて数年、長くても十年。警吏を使って無理やりスラムの人間を追い出しても、結局は一時しのぎでしかないんだ」
「……でも、大人の人達はともかく、わたしたちより小さな子供たちはその数年が耐えられない。運が良ければ住み込みの仕事が見つかるけど、運が悪ければ食べる物が足りなかったり、街の外で暮らしてモンスターに襲われたりして……死ぬ、んだよね」
スラムの物知りな老婆は、かつてその運が良い側の子供だったらしい。
魔神や自然災害などよりも、カルカジャのスラムで最も恐ろしいのはそれなのだと、何度も口を酸っぱくして孤児たちに言い聞かせていたものだった。
既にスラムの一掃計画は行政官と警吏の手によって進められつつある。
街のいたる所にあった裏路地や表通りから離れた区画が、次々と封鎖され、住人の立ち退きを要求されているのだ。合法的な土地の所有者でない者は、逆らえばその場で警吏によって連行される。
住む場所がなくなる。
それは普段から満足な寝床を持たないスラムの孤児たちにとってさえ、いや彼らだからこそ、不安定な生活を崩壊させる最後の一押しとして機能してしまう。
「ん、大丈夫だって! わたしがきっと何とかする。いざとなったらほら、首都で冒険者にでもなってさ。スラムの女勇者なんかじゃなく、本物の魔神を倒した勇者になって、皆にお腹一杯ご飯を食べさせてあげる。だからアイシャは何も心配しなくていいの。ね?」
「……うん。ありがとう、ルティナ」
大丈夫、というのはアイシャが悲しい顔をしている時のルティナの口癖だった。
強く、賢く、逞しい。けれど親友が悲しい顔をしていることにだけは耐えられない少女の、それは遠回しな懇願に思えて、アイシャはこの親友の前でだけは、表情を曇らせることはしないように心掛けていた。
それでもやはり、気を遣わせてしまったけれど。
だから、そう。
数日後、奇妙な占い師に連れられてやってきた老人が、アイシャにある取引を持ちかけた時。
彼女はこれをルティナにだけは、相談してはいけないことだと思った。
老人は言った。
「お前には、ある禁断魔法への類稀な才覚がある。我々はその資質を持つ者を、長らく探し続けてきた。この占者の託宣によれば、お前こそ我々が探し求めてきた存在だ」
さらに、続ける。
「私はお前の今いる状況、お前の求めるものを知っている。……孤児の同胞を救いたいのだろう。我々にはその力があり、お前が望むのであれば、その願いを叶えよう。ただし、対価であるお前の存在すべてと引き換えに」
老人はそれから長く、長く語った。
老人が求めているのは、『大砂海の巫女』なのだという。
砂海の奥地に眠る忌まわしき存在を封じるために、必要な人身御供を探していたのだと。
アイシャの犠牲は孤児の友人たちを救うのみならず、多くの人を救うのだと。
誰かがやらねばならないことで、アイシャが協力してくれるのなら、孤児たち全員の安全と、今後の生活の庇護を必ず約束すると。
たった一人。
孤児の仲間たちですら滅多に入らない辺鄙な裏路地で、占い師と老人の話を聞き続け。
日が落ちる頃には、彼女はもう心を決めていた。
死への恐怖と、仲間たちへの未練と、親友への罪悪感に蓋をして。
自分にとって、それが唯一できる恩返しなのだと、そう思ったから。
***
(……なわけ、ねぇえええええええええええだろっ!)
再び、星空の下の大砂海。
岩陰に隠れ、アイシャの身の上話を聞き終えた俺は、あまりの酷さに身を震わせていた。
ありがちと言えばありがちな悲劇。しかしだからこそ、その最低の結果に腹が立つ。
チラリと岩陰から様子を窺うと、語り終えたアイシャは憑き物が落ちたような顔になっていた。
彼女にとっては覚悟と心の怯えの問題であって、老人の言うがままに生け贄になるのはもう迷う余地もないことなのだろう。
誰とも知れない相手に胸の内を吐き出せて、もう思い残すことはないとでも考えているのかもしれない。
ふざけるな、と思う。
アイシャではなく、悲惨な境遇の少女を食い物にした老人に。
(十中八九、いいやまず間違いなく。話術で洗脳されてるよな、この子)
疑いようもないほどに、老人のやり方は詐欺師の手口だった。
首都で海千山千の冒険者を相手に同じことをすれば、鼻で笑って叩きのめされるような見飽きたやり口。
耳障りのいいお題目を並べ立て、相手の望むことを叶えてやるとうそぶいて自己犠牲を煽る。
あるいはアイシャもスラムで生き抜いてきた一人だ。
今話した内容も、首領である老人に伝えられたとして罰を受けるような事は何も含まれていなかった。
本人がどう思っているかはともかく、頭のいい子なのだろう。
心に余裕さえあったのなら老人の欺瞞にも気付けたかもしれない。
しかし友人たちが窮地に立たされているという切羽詰った状況と、老人の巧みな甘言が、彼女から正常な思考を奪い取ってしまっていた。
「大変、だったんだな」
「いえ、わたしはルティナたちが無事なら、それでいいんです。ようやく恩返しも……できましたから」
砂漠の夜空を見上げて友人を想うアイシャの横顔に、しかし俺は同意することはできなかった。
老人にアイシャの願いを叶えてやるつもりは、おそらく毛頭ないだろう。
なにせ利益が何もない。犠牲になった少女への義理を果たそうだなどと考える人間は、そもそも一方的な話術で誘拐同然に少女を連れ去ったりなどするはずがない。
聞けば、老人は手付け金としてスラムに当面の間は孤児たちが宿に寝泊まりできる額の金銭を残していくことを許したらしい。そこまではアイシャ自身も見届けていたそうで、ならばそれが老人にとっての最大限の譲歩であってもおかしくない。
舞踊を覚えさせ、儀式を行い、大仰な一団を率いて大砂海の奥深くに向かおうというのだから、ただの人攫いなどではないのだろうとは思う。すなわち、ただの人攫いよりもタチの悪いクソ野郎だ。
その真の目的が、多くの人を救うためだなどということがあるはずもない。
「また明日、少し離れた場所で待つよ」
「……いいんですか?」
煮える腹の底をひた隠し、落ち着いた声音で告げる。
アイシャは小さくない胸の前で両の手を握り、整った顔を意外そうに彷徨わせた。
声の主を探す彼女の仕草には応えないまま、俺は岩陰で星空に誓った。
「ああ。せめてあと二日、話し相手になるぐらいなら、バチも当たらないだろ?」
体がサンドワームだろうと、何だろうと。
不幸な女の子を助けるのは年長者と男の役割で。
心底ろくでもないクソ野郎を殴り飛ばすのは、昔から戦士の特権なのだから。
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